七神剣の森

 その夜。レオンはひとり、大樹のこずえこしけていた。

 もうずいぶん長いこと、こうしてひとりでいる時間を取ってこなかった。

 絶望も、希望も、幸福も、諦めも、全部ここで味わった。

 ひとりで長命種になったあの時のことを思いだすと、今でも泣きたくなる。

 それでも、懐かしいな、と思える自分は、やはりとても幸運なのだろう。


 結局、陸を作ることはできなかった。万能に思えた七神剣には、大地の形を変える権能だけは備わっていなかった。水をせきとめて海底を露出させることもやってみたが、肝心の人間達が水のかべを怖がって地面に降りようとしなかった。

 それも当然。一度すべてを飲みこんだ海なのだ。そんなものが頭のはるか上までせまっていて落ちつけるわけがなかった。

 諦めたわけではない。ただ、人の記憶が風化するのを待つと共に、ほかのやり方がないかと思っていた。今残っている者達は移民船に乗ることすら選べなかったのだから……例えば、トニトルスの様に空を飛ぶとか……。

 大樹の胴吹き枝はすべて解放した。しばらくはこれで保つとは思う。人がどれくらいで増えていくのか、誰かが肩身の狭い思いをしていないか。まだまだ全然見当がつかないけれど、きっと感覚で分かるようになったとしても、自分は人と直接関わることをやめてはいけないと思う。

 どこにでもいる少年として、子供達と遊び、大人の手伝いをし、人の暮らしを見守ってきた。しょくざいの意識は消えない。多分大樹で暮らすかぎりはずっとそうだろう。それでも人が生まれるのは嬉しかったし、亡くなるのは悲しかった。自分にできるのは、すべて見届けること。目をらさないことだけだった。


 そんな時、支えてくれる影や仲間達がいるのは本当にありがたい。だから、幸運だと思うのだ。

 ラインハルトは相変わらずアザレイと顔を合わせばつんけんしているが、それも自分があいだに入ればほこを収めてくれる。自由に海の彼方かなたまで飛びまわっていたサンリアも、ようやくそばに落ちついてくれた。剣の仲間達は、おのおの自分の使命を見つけてがんばってくれている。サレイ母さんも、カミナも、後から長命種になったイグラスの人達も、〈夜明けの神〉の味方だ。

 俺は、もう、ひとりじゃない。

 こうしてひとりになってみて、改めて実感する。

 ひとりはとてもさびしくて。

 どんな手を使ってでも仲間を取りもどそうとして。

 その結果、前世の俺はまちがえた。

 今回の俺は、ギリギリなんとかなった。

 だからこそ、こんな夜には、全部錯覚だったんじゃないか、ひとりで気が狂いそうな時に見る優しい夢でしかないんじゃないかと、現実を疑ってしまう。

 淋しいのは、もうイヤだ。


 ……もう少しこうして自分をいじめていたいような、そろそろ帰りたいような。

 どうしようかな、とレオンが少しだけ振りむこうとした次の瞬間、彼のみぎどなりにはラインハルトが立っていた。

「……まだ呼んでないぞ?」

「ええ。でも、今はおそばにいた方がよろしいかと思いまして。独断です。おいやであればおっしゃってください。」

 そう言ってうつくしい夜の化身は自身の主に寄りそい座る。レオンはちょっと呆れながら、それでも劇的に自分の心が落ちついていくのを実感した。

 そうだった。この男だけは何があっても自分のそばにいてくれる。たとえ神になってからの幸福が全部、全部夢だったとしても。

「ラインハルトって、俺の影みたいだな……」

「いいえ、影よりは遠慮してますよ。ですが半身のように思ってくださるなら光栄です。」

「……いつも、ありがとな」

 レオンが隣に右肩を預けると、ラインハルトの笑みをはらんだかすかな呼気が彼の頭上から聞こえた。左肩を抱かれ、やみ色のローブがレオンの背を温かく包む。

「……はい。愛してます、レオン。」


 愛してる。

 そうか。俺も、愛してるんだ。

 ラインハルトのことも、仲間達のことも、短命種の皆のことも。

 欲張りな俺は、皆のことが大好きだから、ラインハルトのようにひとりだけを愛することはできないけど。

 その人を大切にする、それがきっと、愛するってことだから。


 サンリアが帰ってきた。おばあちゃんになっても人としてのかがやきを失わず、羨ましいほどカッコよかった。あいつが俺のことを見限らない限り、俺は正しく生きているのだと自信が持てる。

 セルシアはもうすっかり人気者だ。でも、頼めばいつでも俺のために歌ってくれる。お代はいらない、俺のことは特別なのだと言ってはばからない。恥ずかしい気もするけど素直に嬉しい。

 クリスとリノは一番頼りになる。というか、頼りっぱなしだ。俺だって一応なんとか勉強して、自然の仕組みなんかを少しずつ理解できはじめていると思うけど、あの二人がいてくれたから、不便さをそこまで感じずにここで暮らせていけているのだ。

 フィーネもクリス達と一緒にコトノ滝を生活に活用できるようにいろいろと試行錯誤をしてくれている。それから海底の資源探査なんかも。本当はそっちに専念したいと思っているはずだ。コトノ主様の復活を、ずっとずっと待っているのだから。でも、俺達の役に立つことを優先してくれている。

 インカー姉は一番優しい。俺がいつも悩みごとをまっさきに相談するのは彼女だ。風の便りに、移民船がライサとリンリスタンの人達を乗せたと聞いた時は、優しい彼女が、守りたかった人達をすべて失う結果にならずにすんで本当に良かったと思った。

 アザレイはラインハルトさえ絡まなければ大人になった。なんかあいつに兄貴面されるのはムカつくけど、俺なりにあいつの気持ちもずいぶん読めるようになってきた。あいつ、多分ラインハルトのことも嫌いじゃない。俺が好きだと言ってる相手を嫌いでいられるやつじゃないのだ。ほんと、身内に甘いんだよな。


 ……ああ、お前ら皆、大好きだ。お前らが肯定してくれるから、間違った時にはちゃんと指摘してくれるから、俺は神様なんかを続けていられる。俺自身のことも、イヤにならないでいられる。

 ……がんばろう。おわりの剣を持って、終わりのない夢を追い求める。目的は、今日よりも良い、最高の明日。普通の子供だった俺が、なんだかんだ前向きに生きていけるのは、諦めないで立っていられるのは、きっとお前らがいてくれるからだ。

 甘えっぱなしで、本当に、ごめん……

 じゃなかった、本当に、ありがとう。


 明日からはまた、神様として。

 でも今だけは、レオンとして。


 少年はなにも言わずに、そっと目を閉じた。

 温かい。

 淋しいのはイヤだと叫ぶ声も、俺はひとりじゃないと叫ぶ声も、もう聞こえない。

 夜明け前の静寂しじまだけが、そこにあった。



──────

 魔女タナルキアの報告を受けて、剣の仲間達がひさびさにそろった。

 大樹のうろのひとつに、地下へとつながる穴ができているというのだ。

 移民船は戻らず、人々のらしは大樹のみきの上ではこれ以上の発展が望めない。それならば、地下に新天地を求めてみるのもいいかもしれないな、とレオンは考えた。ラストリゾートで調光してやれば、地下だって快適な空間になるだろう。問題は、どんな規模きぼの穴なのか、ということだが。


「……入り口は大したことなかったですが、これは深そうですね……。虚の位置までの高さの倍は下に続いていそうです」

「そんなに……!?」

 セルシアの言葉に、仲間達は気を引きしめる。

 一行はぎょくけんの背に乗り、ゆるやかに下降していった。


 何キロメートル下降しただろうか。やがて、大きな空洞くうどうに出た。大樹の根はその空洞を意に介さず、更に下に伸びている。闇は深く、お互いの姿すら見えない。

「〈調光〉」

 レオンがラストリゾートをかかげると、その空洞に光が満ちた。

「これは……!」

 そこに広がっていたのは、青くかがやく洞窟どうくつ。大地と壁面は黒く豊かな湿しめふくみ、所々で玻璃はりや水晶結晶が見える。それらがきらめいて、夜空に青い星を散りばめたようになっていた。

 空洞上空から全体を見わたすに、広さは十キロメートル四方は下らないだろう。高さは一キロメートルあるかどうかのようだ。想像以上に、巨大な地下空間だった。

「いいね、ワクワクするねー!」

 クリスがココをって飛びだす。

「こりゃすごい、これ全部土か!?」

 インカーが床を目指してぐんと下降する。

「インカーさんの街も巨大な地下都市でしたが、ここに都市ができたらもっと大きなものができそうですね。たしかにこれは、心おどるなぁ……!」

 セルシアも目をかがやかせる。フィーネは壁面へきめんを伝う水を調べていた。

「んー、残念ながら塩水ですね……。でも、大樹の根の付近は真水があると思います。そのあたりなら……」

「移民できそう、って話かね?」

 魔女がたずねる。フィーネが花開くような笑顔を見せた。

「はい! リオンさん、サンリアさん、これはおがらですよ!」


 やがて全員が地に降り立ったレオンの周りに集まった。

「皆に提案がある」

 レオンの挙手に、一同はうなずいた。

「ここを全部都市にしてしまうことも、確かに考えたんだけどな。多分それだと環境的にたんすると思うんだ。だから、俺はこの数十年見ていなかったものを、ここに復活させようと思う」

 クリスがそのとおりだと言いたげにうなずいた。

「ラストリゾートを、この空洞の天井にして封印する。それで光を全体に行きわたらせて、海水から真水を作って雨を降らし、風をじゅんかんさせる。熱の調節もしてもいいかもしれない、太陽みたいに」

「新しい世界を……ここに作ると?」

 アザレイが半信半疑でレオンに問うた。

「そうだ。そして、ここを森にしたいんだ。俺達が旅した危険な森じゃなくて、人の生活にたしかにりそってくれる、豊かな森に。

 都市は小さな街レベルのものを作ろう。それで足りなければ、他に空洞が作れないか探す。森は減らさない。後はそのうち、草原と、砂丘と、れいな湖が欲しいかな。それを森でつなげて、維持いじしたい。俺達が海にれて忘れてしまう前に、人のいろんならし方を思いだして、守っていこう。

 賛同さんどうして、手伝ってくれるか?」

 それを聞いた時、皆が思いだしていたのは、自分達があの数ヶ月間でめぐった、実に多様な世界と深く広い森のようす。それらに対するぼうきょうの念は、皆の一致するところだった。いいぜ、やろう、面白そうです、と皆から賛同の声が上がる。


「ありがとう、皆。俺の思いつきに付きあってくれて。

 ──それじゃあ、取りもどそう……いや、新たにつくろう。七神剣の森を」


 夜明けの神は、おわりの剣で天を切りひらいた。




 ──完──



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