神との契り

 ろうが一人、大樹たいじゅこずえに座り、一服いっぷくしていた。

「……やれやれ、じゃ。寄る年波としなみには勝てないねぇ……」

 彼女はじょだった。かみはすっかり黄白おうはくしょくになり、白い魔女ぼうと白いローブを着こんでいる。さらにシロフクロウまで連れて、なにか白にこだわりでもあるのかというちだった。

「なぜ老いを選ぶのか、私には分かりませんね。」

 彼女の背後に満天の星空を切りとったような夜の神が現れる。

「お前にゃそうじゃろうね、ラインハルト。あいかわらず別嬪べっぴんさんだね。」

「私は美の神ですから。レオンの期待をうらるわけにはいきません。あなたと違ってね。」

 ラインハルトのいやに、老婆はくつくつと笑う。

「そんで、あいかわらず大バカだわね。あいつが私の今に納得なっとくしてないとでも思ってるのかい? それとも嫉妬しっとかしらん?」

「現にあの方はこの六十年間、何度もあなたを止めたでしょう。納得していないに決まってます。嫉妬なんか、ありませんよ。うつくしくないものに嫉妬などしない。」

「だが私はとっくに決めていたのさ。私はじーちゃんのようなイケババァになるってね。別にあいつを残して死ぬわけじゃあない。耄碌もうろくだって毛ほどもしとらん。それに、今日はさすがにそろそろねんおさめ時かなと思ってここまでのぼってきたのじゃ」

「そうだったのか。ありがとう、サンリア」

 みずみずしい少年の声がしたかと思うと、ラインハルトと魔女は、白い洋館のテラスに移動していた。

「……もうサンリアとは名のっていないんじゃがな。エズベレンド十七世、エズベレンド公、タナルキア殿どのに直さんか?」

「ああ、そういう面倒くさいとこ、じーちゃんにそっくりになったな。あのサンリアが俺の中でサンリア以外であるもんか」

「誰が面倒くさいじゃと!?」

 現れた少年にしばがかって食ってかかり、それから二人はフッと笑った。

「……お帰り、俺の一番大切な人」

「ああ、帰ってきてやったわ。おもしろい報告もあるんじゃが、私の契約けいやくと、どっちを先にする?」

「もちろんお前だ。さんざん待たせやがって! 本当に、お前は鳥みたいに自由に……いつ俺の見てないところで野垂のたれ死にやしないかと気が気じゃなかった」

「なんじゃ、いつになくよう口が回るじゃないか。でも私が短命種のままでいたから、お前はまごの顔も見れたんじゃぞ」

 長命種は子ができにくいようだと分かりはじめたのは最近のことだ。特に誰もそれについてあせってはいないが、レオンの孫は剣の仲間の皆に孫可愛かわいがりされている。

「それはそうだけどさぁ……いやそれならマルタが産まれた段階で止めてもよかったんじゃ……?」

「……チッ。本当に今日はいつになく気がつく奴じゃ。さては偽物にせものか?」

 するとレオンは魔女のくちびるにキスをした。

「おばあちゃんにキスする物好きなんて俺しかいねーよ」

「なるほどねぇ」

 サンリアは悪戯いたずらっ子のような目をラインハルトに向ける。

「……してませんよ、嫉妬なんか。」

 ラインハルトはそっぽを向いた。


「……はい、終わったよ」

あっないもんだね。もっと呪文とかあるかと思ったが」

「ディスティニーの権能使うだけだからな。相手の気持ち以外、なんの準備も要らない」

「……契約とは言ってるが、実際は契約じゃないってこと?」

「ま、確認ってとこかな。本当に長命種になってもいいのか?っていう。俺との契約って言えばかくも決まるだろ」

「そうか……。うん、やっぱり私は魔女タナルキアになれてよかった。レオンが待っていてくれたおかげさね」

 レオンは本当はサンリアに、常に一番そばにいてほしかった。しかしそれは彼女の意思をそんちょうしない、彼の我儘わがままだった。それが分かっていたからこそ、そして自由に飛びまわるサンリアのかがやきを愛していたからこそ、彼は彼女が好きなだけ老いてゆくのを、ただじっと待っていた。

 そして、小鳥はようやく年老いて、彼の手もとに安寧あんねいを求めにきた。もう二度と手放さない。それは言葉を交わさないまでも、たしかに契約だった。

「しかし、年寄りしゃべりが抜けないな……そのままだと長老あつかいになるぞ? 実際は一番年下なのに」

「いいんじゃ。精神年齢は昔っから一番上じゃったしな!」

 魔女タナルキアは呵呵かかと笑った。



 魔女タナルキアが長命種となった、というお披露目ひろめは、歴史的和解などと市民にもてはやされた。

 魔女の手を取り嬉しそうにはにかむ夜明けの神と、顔じゅうシワだらけにして嫌そうな表情をあらわにしつつもその手をにぎられるがままにしている魔女。ごく一部の者達をのぞいて、そんな二人の本当の関係性を知る者はいなかった。

 お披露目ひろめ会が終わり、司教の館にタナルキアがおとずれると、出迎えの司教達が集まっていた。その中に一人だけ司教服を着ていない者がいる。

「ふふ、母さんがついに折れたか」

 ニコニコと笑う中年の男。オレンジ色のツンツンした短髪にはすでに白髪が目立っていた。

「なんでサリオンがここにいるんじゃい」

「俺が呼んだんだよ」

 タナルキアが嫌そうな顔をしたのであわててレオンが口をはさむ。

「そうそう。レオンが、母さんきっと疲れて帰ってくるだろうからって」

「冷やかしなら帰っとくれ」

「冷やかしじゃないさ。死出しでの別れに近い。俺もかくしてはいたが、心のどこかで母さんは……さいまで、俺のそばにいてくれると期待していた」

 サリオンの顔がくしゃっとゆがむ。れいとともに祖父に似てきた、と血のつながらない祖母に溺愛できあいされている彼だが、そういう表情は父親によく似ていた。タナルキアは静かに目を閉じ、岩のように動かなかった。

「……さようなら、母さん、いや魔女タナルキア。ヒトの生はあなたにとって幸せな時間だったか? 俺は、あなたにおや孝行こうこうできていたか?」

「……お前とマルタ、エンシィさんとカストルさん。皆が自分の生き方を大切にして、長命種、短命種の差を乗りこえてお互い認めあって支えあって生きている。レオンと私には何よりの親孝行じゃったよ」

「二人とも過去形にすんなよな! 俺もサンリアも、ずっとお前らのことは大好きだよ」

「……そういうとこじゃぞ、レオン」

「ホントだよ、俺らはしんみりしてるってのに……まあレオンは子供だからな」

「なんだよー! 子供ができて生意気になったんじゃねえの」

 食って掛かる幼い父親を笑って流しながら、サリオンは過去の自分を思いだす。

 反発したこともあった。父親だと認めたくない思いもまだある。しかし自分にも子供ができた。子供や孫のすえれなくレオンが大切に見守ってくれるのは、とてもありがたく頼もしいと思うようになった。そう、ようやく父ではなく神として彼を見ることができるようになってきたのだ。

 彼自身は家族としてありたいようだったが、サリオンからすると、やはりヒトとかいした彼は、母とは違う。

 老いを選べなかった少年。世界をその小さい背に負って立つ少年に、サリオンはずっと……あこがれていた。

 憧れは距離をともなってしまう。自分は長命種には絶対にならないと彼は決めた。レオンに、子供が老いて死ぬことを知らしめるのが、自分の役目だと今は確信している。レオンは子どもらしくさびしがり屋で、周りの司教達は過保護かほご気味ぎみだから……。

 妹のマルタはカストルとの間に子を作った後、長命種に転じた。それは彼女の選択であり人生だ。父を、神をどう支えるか、どうつきあっていくかは、ひとりひとりが決めればいい。ほかでもない母がそうしてきたように。

「ま、長命種になったとて死なんわけじゃないからの。ここでサヨナラを一度言っておくのは悪くないわい」

「相変わらず母さんは意地いじわるだ……」

「ふん、魔女タナルキアは優しくて正直なんじゃ。……心配はらん、どうせ問題なくヨボヨボじじいになったお前を看取みとってやるとも」

「お似合いの二人になりそうだな! いでッ」

 ちゃしたレオンは愛する妻と子に容赦ようしゃなくどつかれたのだった。

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