のびのび新生活

 ぎょくけん達がイルカの姿で海を飛びはね、ぽんとんだかと思うとおおかみに戻って大樹の根に飛びのった。赤い髪の女司教が、せいしょくしゃらしからぬ作業着を着て何やら大樹の枝の上で野良のら仕事をしていたが、玉犬達の姿を認めると笑顔で声を掛けた。

「おう、お帰り。たらふく食ってきたか?」

 わんわんと玉犬達がはしゃぎながらみきを駆けのぼる。そして、彼女がいる枝まで到達すると、急にその場をぐるぐるとまわってもよおしだした。

 どしゃあ、と土が枝の上に排泄はいせつされる。玉犬の主食は岩や土、砂なのだ。

 海底の土砂は塩分が多く農作業にてきさない。しかも、樹上に引きあげるのにも手間てまろうりょくがかかる。それを一気に解決してくれるのが彼ら玉犬達だった。玉犬達は土の中の塩分などを消化し、植物がえられるていどのミネラル含有がんゆうりょうに変えてくれる。更に、イルカの姿で海底までもぐって食事をし、狼の姿で枝まで上って排泄してくれるので、土砂を運搬うんぱんする必要もない。

 人々は最初こそこの巨大な神狼しんろう達をこわがっていたが、たいそう役に立ち、しかも人にれていて温厚おんこうだと分かると、手のひらを返したようにありがたがった。

 そしてその玉犬達をしたがえる女司教も、尊敬そんけいまなしを集めていた。一見男まさりで気性があらそうだが、そのじつ思いやりがあり誰に対してもかざらず分けへだてなく接する彼女は、ひそかにほうじょうの女神などと呼ばれることもあった。胸の大きさのことではない、念のため。

「豊……インカー様! これ神さんと司教の皆様で召しあがってください!」

「ホウって何だ? ……うわ、すごい量のニンジンじゃないか! こんなにもらってしまったらお前らの取り分がなくなるだろ。長命種はメシなんかほとんど無くても大丈夫なんだから、お前や家族と皆で分けろ」

「そんなこと言わんでくださいよ、もちろん私らの分もありますで! せっかく初めてのしゅうかくなんだから、神さんにささげてご加護かごいただきたいんでさぁ」

「そうかい、足りてるなら遠慮えんりょなくいただくよ。まあアズ……武神サマはニンジンきらいだけど……私のうででなんとか食わせてみせるさ」

 インカーはお日様のような笑顔で喜び、人々はもうそれだけで祝福を得た気分になるのだった。


「インカーさん遅くなりました! お待たせしました〜」

 水色のワンピースを着た女司教が駆けてくる。

「フィーちゃん! よく来てくれたね、……かみれてるぞ」

「あっ、急いでて忘れてました……ん〜!」

 彼女が頭を振ると、彼女の髪を濡らしていた水がぱらぱらっと吹きとび、周囲にすいてきになってただよう。その一瞬で髪はかわいていた。

「どうせなのでこれも使いますね。それじゃ、いきますよー……それ!」

 彼女が両腕をひろげると、みずかたまりが彼女の頭上に出現した。

「ん、じゅうぶんだ。それじゃ今日はあっちのわくの中お願い」

「はーい」

 フィーネが水をあやつり指示された畑に水をる。

「毎日来てくれてありがとね、助かるよ。……ところで遅くなったのって」

 インカーがたずねようとするとフィーネがほほを赤らめたので、なるほどね、とインカーは納得なっとくしてついきゅうけた。別にうらやましくはない。羨ましくはないが、今日はちょっと本の虫をさそいだしてみるか、と彼女は図書室のある学園を見おろした。


「あら、二人はここにいたんだ」

 ふわりとサンリアがりてきた。彼女は今学園にへんにゅうし、魔法の勉強をしている。休日のはずだが、自主的に飛行訓練でもしていたのだろうか。

「おお、サンちゃん。なかなか魔法少女もいたについてきたねー」

「や、やめてよその呼び方……今の私は魔女ならいってとこよ。ウィングレアス持ってたころは魔法少女だったかもしれないけど、今はちゃんと勉強して自分の力で飛べるようになってるんだから」

「なにが違うのか……門外漢もんがいかんには分からんな。そうだ、今日ニンジンをいただいたんだ。皆様でどうぞって言われてるから、サンちゃんもぜひ来てよ」

「あら、いいわね。アザレイも何とは言わずに連れてくわ」

 サンリアがたくらみ顔でニヤリと笑う。アザレイは今学園で体術のどうをしている。がらな体からりだされるきょうれつな技のキレに、武神先生、武神様、などと呼ばれているが、もとが貴族なので意外と食に好き嫌いが多い。そこでインカー達はあの手この手で克服こくふくさせようとしているのだった。

 人の世界はあの時から、とてもせまくなった。嫌いなモノ、苦手なモノとも和解していかなければ生きのこれないからな、とインカーは青い空と青い海を見わたし笑みをかべる。女神のような微笑ほほえみを。



──────

 ライサは青い空をながめながら、青い海をただよっていた。

 何が起こったのか彼には全く理解ができないまま、世界の様相ようそう一変いっぺんしていた。

 彼の人生の全てだった女から昔、お守りにともらっていた、ぎょくけんノノの毛を使ったかみめ。

 恐らくそれが、彼をあの恐ろしいだくりゅうから守ってくれた。

 水の中に沈んでも、その周りだけは空気が保たれ、おかげでライサはおぼれずにんだ。

 そしておどろくべきことに、彼は一度も泳ぎを学んでいないはずなのに、水を得た魚のように体をあやつり水面まで上昇することができたのだ。

 しかし、彼の強運はそこまでのようだった。

 何もない、海の上。食事どころか水分補給すらのぞめない。

 海、という名前も知らないライサは、海水を飲みつづけてみたものの、そろそろなんらかの限界な気がしていた。あえぐように天をあおぎ口を開けたまま、彼は流れに身をまかせていた。

 そこに。


『おい、見ろよルイ。なつかしいモンが流されてるぜ』

『イル。あれはどう見ても人でしょう、モノあつかいしないの』

『金髪かっしょく。〈海の民サラ〉の奴らかな』

『似ていますが……サラがほろんだのはもう遠い遠い昔の話。彼らの子孫ではあっても、私達のことは知らないでしょう。ってそんなことより、きゅうじょ〜! どうやら死にかけ! た〜いへん!』

 にぎやかな会話が聞こえてきたかと思うと、ライサはなにやらツルツルした弾力のある物体に乗りあげた。


『コレもあの神殿に運ぶ、でいいんだな?』

『そうするしかないでしょうね、今のところ。りく乳母めのとに頼るのは業腹ごうはらですが、人は海中では生きられないんですし。この子がつけてる髪留めも、〈陸の卵〉のものですし……』

『サラの連中は空の女神の眷属けんぞくになったんじゃなかったのかよ? なんで陸の加護を受けてんだ?』

『さあ……ひとつだけ言えるのは、それだけ長い、長い時間が経ってしまったということでしょうか』

『やーっぱニンゲンはころころ入れかわって面白えなぁ!』

『イル、言葉は選びなさい。大精霊としての品格がうたがわれますよ』


 会話はのんきに続いていたが、あり得ないほどのスピードが出ているのを肌で感じたライサはおそるおそる目を開けた。

 ツルツルの物体は生き物のようだった。双頭そうとう。片方は白く優しい目をした、なめらかなくちばしを持つうろこのない竜のような姿。もう片方は同じ形を取りながらも漆黒しっこく、目は猛禽もうきんのようにするどく、くちばしの中に肉をらうきばが見える。蛇のような胴体どうたいでつながり、尾はなくりょうたんが頭になっている。その胴はライサの体を下から持ちあげ、彼が水中に沈まないよう支えてくれていた。ライサを乗せたまま、数枚のヒレと胴のうねりだけでこのスピードが出ているのか。

ぎょくけん様……?」

『おいコイツ言うにこといて俺らのこと陸のノロマどもあつかいしやがった、捨てるか』

『無知をはんするのはおやめなさい。それに、私達とて陸に上がれば同じようなもんです』

 意識がはっきりしてきたライサは、どうやら自分を助けてくれたらしい生き物の機嫌を損ねつつあることを自覚し、慌てて首を振った。

「ごめんなさい、俺なんも知らなくて。あの、俺を助けてくれたのか、ですか、その……イルさんとルイさん?」

『おっ? お前聞く耳あったのかよ。おう、俺達はイルカルイ。気の良い大精霊様だぜ』

『海の民の末裔まつえいの子よ、私達の名はサーガに残っていますか? ヌィワは? ニーコリァは?』

 ライサは最後の単語にピンと来た。こないだまで共に暮らし、ライサの生き方を変えた唄神ルイネ。ライサ自身が調べなおして彼に伝承を教えた、その名は。

「ニーコリァ……空の民ニーコリァ?」

『うひょひょひょひょう!! 話が通じるとやはり嬉しいですねー! 私達が彼女を初めに助けたのですよ、そうあれは……』

『今はよせ、ルイ。そろそろ陸の神殿に着くぜ。おいお前、名前は』

「ライサ」

『ライサ。陸の乳母殿どのによろしく伝えといてくれ。いつしまが沈んで思わぬご近所さんになっちまったが、あいかわらず俺達は古き盟約めいやくに従うと』

『また会いましょう、なつかしき王にそっくりな海の民の子』

 なぜ急にわかれを、とライサが思ったとたん、海が割れた。


 ばくでなじみ深い熱気が顔に吹きつける。しかしその風はきりよりも多分に水分をふくんでいる。

 すりばち状に海がへこんでおり、そのまん中に都市があった。ライサは祭のしばで見たことがある、あれは──

 リンリスタン。

 砂漠のオアシス都市だった、リンリスタンだ!


「ど、どうなってんだ、これ……!」

『陸の乳母の権能が大洪水から神殿を守っているようですよ。都市に生きのこりの人間がいます。きっと助けてくれるでしょう』

「……いや、ムリだ、俺、褐色はだだから」

 ライサは都で彼らがべつみんとしてあつかわれていることをイルカルイに話した。

『……ルイ』

『……分かっています。人はやはりおろか……変わりませんね。

 であれば、私達は今ひとたび王と共に。ライサ、太陽の髪色に褐色の肌は海の民のあかし。あなたを海の王とみなし、陸の奴らをくっ……海と陸、対等な存在として認めさせましょう』


 イルカルイの体が水にほどける。そしてがらなライサをかたかかげる、白黒二人のじょうの姿に変化した。そのまま波に乗ってリンリスタンへと降り立つ。ライサは信じられない事態の連続に、ルイらしき白髪の男の肩の上でむねたからせていた。まるで自分が急に伝説の舞台に引きあげられたここだった。炎の神リンリと女狼神ザザにふんした、大好きで大嫌いな友人達の顔を思いかべる。

 ざまあみろ、こっちはホンモノだぞ。

 ライサは自然と笑顔になっていた。



 炎の神の乳母、すなわちじょ狼神ろうしんザザの力によって守られていたリンリスタンは、しかしこの場を維持いじすることかなわず一年後にほろびをむかえる。そこにみちびかれたイグラスからの移民船。人々は今度こそ全てのしがらみを捨てて旧世界の広い大地を目指す。

 そのかたわらで、白黒の心優しき精霊が、ずっと彼らを守護していた。

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