愛は運命に打ち克つか

「インカー!」

 クリスがとびらを開けた。玉犬ぎょくけんの仔犬達が、もとの姿に戻ったノノの周りに集まってえている。

「ノノさん……インカーは……」

 クリスがノノに問うと、ノノはそっと口を開けた。

 彼女の大きな舌の上に、インカーがいた。しゅうしゅうとけむりをあげ、弱々しくうめいている。そのはだに炎が増えてくると、ひゅっとノノが吸いとった。成熟した玉犬は炎をあやつる。ノノはインカーが燃えあがらないように、その炎を食べていた。

「ノノさんが守ってくれてたんだな……」

 クリスはプラズマイドでナノマシンの活性化をはかる。フィーネもノノの舌ごと彼女をらす。それでも内側から起こる炎は、あっという間に彼女を再びおおってしまう。

「インカー……聞こえるか? 炎の神の試練だそうだ。体の内の炎を制御できれば、助かるんだと。ロジャーが言ってた……」

 インカーは答えない。クリスはそっと両手を伸ばした。彼女のけるほほに触れる。自分の手もじりじりと焼かれていくが、そんなものは後でどうとでもなると彼は知っていた。痛みを遮断しゃだんするか医療モジュールが聞いてくる。ノーだ。遮断してしまったら、彼女の頬の感触が、分からなくなる。

 くやし涙が止まらない。こんな理不尽な形でうばわれるなんて絶対にいやだ。

「インカー、俺だ。クリスだ。俺はここにいる。だから、行かないでくれ、頼む……! がんばれ……何とか耐えて、おさえてくれ……!」

 やむ気配はない。

 これは、だめ、なのか。

 インカーでは、なかったのか。

 好きになるべきでは、なかったのか。

「いやだ。お前がいないとだめだ。お前が一番好きなんだ! 負けんなインカー、一緒に来い! 苦しい思いなんかさせない。痛い思いなんか、もうさせない。ずっと俺のそばで笑っててくれ!」


 彼女は、聞こえていた。

 彼女の一番大切な人が、彼女の両頬に触れているのを感じていた。

 冷たくて、心地いい。

 もう全身が熱くて、痛くて、わけが分からないけれど。

 そこだけは、動かせそうな気がした。

「……っ!」

 名前を呼びたかった。しかし、はいから上がってくるのはのどを焼く熱風。

「……シュ、……シュ」

「……! そう、俺だよ、スッスだ」

 通じた。ホントか!? 今ので分かったか!? インカーはなんだか可笑おかしくて、ふ、と笑った。笑えた、気がした。


 ああ。でも。

 痛みをだんだんと感じなくなってきた。

 頬の感触も、もう分からない。

 そろそろ終わりが近いということか。

 この大好きないとしい人に、なんと別れを言おう。

 やはり、愛してる、がいいだろうか。

 いや、それは。

 その言葉は。

 あいつが死にぎわに言ったものと同じだ。

 クリスをのろった言葉だ。

 それだけは、だめだろ。

 なら。


「……っしょに、い、きた……い」


『得たり』

 殷々いんいんと、声がひびいた。



 インカーは、夢を見ていた。

 まっ暗闇くらやみの中、どこかから子供の泣き声がする。

 おそるおそる、足をみだす。進んでいる感覚はないが、声はだんだんと近づいてきた。

「……どうした? なんで泣いてるんだ?」

『……。マ……マ……』

 明らかに子供の声ではない。洞窟の奥を吹きぬける風のような、恐ろしい怪物のような響き。しかし、インカーはその内容の方が気になった。

「母親がどうした? はぐれたか?」

『イナイ……ナッタ………ママ、イナイ……』

「そうなのか。いつからいないんだ? どこへ行ったか、分かるか?」

『ママ……ズットマエ……イナイナッタ……ウゴカナイ……ウメタ……』

「ああ、それは……」

 死んだのだろう。

 インカーが言葉にきゅうしていると、また泣き声が聞こえてきた。

「……どんなお母さんだったんだ。」

『ヤサシ……ミカタ……ボクノコト……ミツケタ……』

 インカーはその声のたどたどしい話にじっくり付きあった。声が母親と認識しているのは、拾ってくれた相手のことらしい。彼女に拾われる前の記憶はなく、彼女をうしなった後の記憶もない。喪ってからずっと、この闇で泣きつづけていたのだろう。

『ネーチャン……ママ、ニテル……ヤサシ……』

「そうか。でも、姉ちゃんはきびしいことも言うぞ。もう、泣くのはやめろ。私の母親も、もういない。一度、泣くのをやめて、ここから出よう。また泣きたくなったらいつでもここに戻ってきていい。でも、ここにずっと一人でいるのは、さびしいだろう。外に出るんだ。もう母親に会えなくても、そこにはきっと、素敵すてきな出会いが待ってる。お前は、母親に愛されていたのだろう。ならきっと、誰かを愛することもできるはずだ」

『ネーチャン……コワイ………オソト、コワイ』

「大丈夫だ。今はほら、姉ちゃんがついてる」

 インカーが手を伸ばす。何かが触れた。にぎこぶしほどの大きさの、すべすべした卵のようだった。彼女はそれを抱きしめて……


「インカー!」

 呼びもどされ、ハッと目を覚ます。彼女は炎に包まれている。しかしもう、それは身体を焼いていない。

「インカー、大丈夫か?」

「スッス……。よく分からないが、大丈夫みたい……?」

 インカーはノノの舌から起きあがる。熱くないが、炎ではあるらしい。クリスの手はあいかわらず焼かれつづけている。

『炎の神が目覚めた。新生の時だ。インカー、私の中へ入りなさい。そして炎の剣を取るのです』

 ノノが念話でしゃべる。頭に響くような、しかし優しい声だった。ノノはごくんとインカーをまるみした。クリス達から距離を取り、炎に包まれる。やがて炎が収まると、ノノの姿は消え、そこにはザザ神の衣をまとい、炎の剣を手にしたインカーが立っていた。

 もはや体は燃えていない。いや、炎の剣を持つ右手だけが燃えているが、その炎は彼女にとって熱くもなんともないようだ。仔犬達がわんわんと吠えながらインカーにけよる。安堵あんどしたように寄ってたかってインカーをめまわす。クリスはその場にへたりこんだ。インカーが彼の方に歩いてきて、空いている左手を差しだした。

「よっ。心配かけてごめんな、スッス。さあ……一緒に行こう」

「あ、一緒に行きたい、だったの……? 生きたい、だと思った……」

「そ、それじゃまるでプロポーズじゃねーか!?」

 インカーが炎の剣をぶんぶんと振りまわす。危ないわ! モモが決死の覚悟かくごでインカーのそでみついて彼女を止めた。

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