死人は幸せになれない

しつけって言うから、どんなヤバい遊びが待ってるのかと思ったよ」

 クリスが、いな、リノがうすく笑う。二人は再び祭にりだしていた。

「ばかやろう、んなもん私の体が持たねえっつの。まずははらごしらえするんだよ。野生の獣には餌付えづけが一番効果的ってね。味の好みはどうなんだ? スッスの好きなモンでいいのか?」

「クリスの好きな物なら僕もたいてい好きだよ。僕は付きあいがいいからね」

「んじゃモルヴィんとこ行くか。今年はまだ食べてないからな」

 インカーが先を歩きだすと、リノはするりと彼女に腕を組ませた。

「……は?」

「は? じゃないんだけど。なんで僕とは腕組まないの? リノだから?」

「あー、お前そういう感じ? でなきゃあんなに傷作らないか」

「勝手に解釈かいしゃくして納得するのやめてもらえる? 不愉快ふゆかい

ねんなって。そんじゃ、デートといきますか!」


 意外にも、それはリノにとって悪くない時間だった。徹頭てっとう徹尾てつび「クリスのリノ」としてあつかわれるのもうれしかったし、クリスの口で言いたい放題言えるのもスッキリしたし、それでも自分に好意を向けつづけてくれるインカーを、なんとなく「自分のもの」だと認識にんしきしはじめていた。この場合の自分とは、「クリスのものである僕」のことだった。

「そういえば、傷全部消しちゃったんだ?」

「だってそりゃ、スッスがいやがるからなぁ。」

「あんなに朝は喜んでたのに。ああ、リノやめて、痛い、好き、大好きだから、あっ痛、リノ痛いって、もうやめっ、」

「やーめーろー! あとそれ痛がってるだけだから!」

 顔をまっかにしてインカーが恥ずかしがる。リノは今自分で言った発言が当然クリスの声で口から出てきたのがまるでクリスを痛めつけているようで面白く、これは悪い遊びだなとしっかり記録した。

「……どこか残させてよ。キスマークでいいからさ。僕、生きてた頃はのどにデカい傷があったんだよね。綺麗な顔の下に大きな傷。治せるんだけど治したくなかった。分かる?

 その傷は僕とクリスのきずなだったんだ。ままならないかごの中で自殺しようとした僕を、クリスがかん一髪いっぱつ、外に連れだしてくれた。その時決定的に僕は彼のものになったんだと思う。

 その傷のせいで僕は声がだせなくなったけど、そんな些細ささいな不便より、彼に救われたあかしを残したかった。すぐに……念話ねんわで通じるかな? そういう魔法も手に入れたしね。

 その傷は僕が死ぬ直前まで治さなかった。ふふ、死ぬ直前にね、治してクリスに愛してるって伝えたんだ。彼の剣につらぬかれて殺されている最中さいちゅうにね! その時のクリスの絶望の感情ったら!!

 ……もちろんそれはリノ本体のしたことで、僕のしたことじゃない。その時のリノ側の記憶は、僕には入っていない。でも僕のことだから分かる。僕は幸せだったんだ! 僕は幸せに生きて、幸せに死んだ! 唯一ゆいいつの心残りも、今僕がこうしてクリスの中にいることでつぶすことができる」

 うっとりと自分の言葉に酔う恋人を、インカーは少し首をかしげてながめてから口を開いた。

「そりゃ……いい人生だな。短くても、幸せだと思えるなら私はいいと思うよ。で、お前はどうなんだ、クリスの中のリノ。そこは、幸せか?」

 リノから晴れ晴れとした笑顔がフッと消えた。真顔で溜息をつく。

「……みじめな思いをするくらいなら自壊じかいするよ。クリスにも、僕のことを忘れたら消えるプログラムだと伝えてある。」

「そうしたら、スッスはお前のことを二度うしなうことになるんだな」

「ま、そうなるね。クリスはいつだって僕のことで必死なんだ」

「……やっぱお前、幸せじゃないだろ。好きな人を苦しめて得られる幸せってなんだよ? リノは本体の願いにしばられすぎじゃないか?」

 インカーの言葉に、リノの周囲の温度がぐっと下がったようになる。だが彼女はひるまなかった。

「……十か所くらいお前にあざ作ってやりたい気分なんだけど」

「それで気が本当に晴れるんなら後でやればいいさ。消さずに残せっていうなら言うとおりにもしてやる。でも多分、そのやり方続けてるとそのうち決定的にスッスと決別することになるぞ。相手が私じゃなくてもだ」

 その瞬間、リノから殺気が消えた。店の椅子にもたれ、脱力する。

「……僕なんか、もうとっくに捨てられていてもおかしくないんだ。クリスが異常に優しいんだよ。どんだけおんあだで返しても、リノが好きだ!で流されてしまう。おかしいんだよ、こいつ。

 ……だから……そうだな。僕はクリスが幸せになればいいと思う。僕より好きな人ができて、そうかリノはついに消えるのか、じゃあな、って言ってくれれば救われる。僕は死人だ、幸せになるなんて烏滸おこがましい。ただ満足したい。納得したい。」

 今までのようなトゲのない、もの静かな口調。インカーは目の前の男のややこしい思考回路をようやくつかめたような気がした。

「……スッスがいつまでもお前を向いてるから、不甲斐ふがいない私に八つ当たりしたってことか?」

「は? お前なんかにクリスが取られるのなんて絶対いやだね。くやしかったらこいつの旅についてきなよ。あのサンリアちゃんも、フィーネちゃんも、危険な目にあったり生まれた時から努力したりして今ここにいるんだ。お前はまだ何者でもない。剣を持ったことすらないクセに」

 それは今までのれあいとは違う、痛烈つうれつ拒絶きょぜつだった。インカーは何か言おうとして、何も言えることがないと気づいた。

「……そうだな。この祭が終わったら、お別れなんだな」

 敬虔けいけんな玉犬の使徒しとである彼女が、新生祭の最中に、新年など来なければいいと思ったのは初めてだった。



 二人はインカーの家に帰った。炎の神の翼が外れかかっていることに気づき、修理することになったのだ。誰か居てくれよ、とインカーは願った。誰もいなければ、自分の家でリノにいじめられるかもしれない。別れも近いのに、これからも独り住む家で、そんな思い出を残したくはなかった。

 果たして、そこにはレオンとサンリアがいた。

「あ、ちょうどよかった! クリス、明日の夜、レオンの出し物やるから。十八時に地上のステージ前に集合してね」

 インカーがちらとリノを見ると、どうやら瞬時にクリスに切り替えたらしい。まばたきをしてからへにゃと笑った。

「おー! ついにか! 一大いちだいスペクタクルショー楽しみにしてんだ!」

「いちおうサンリアにも動画チェックしてもらって、変なとこないか、ヤバいもんうつってないか確認してもらったんだ。だから多少脚色きゃくしょく入ってるけどほぼほぼそのまんま。新説・勇者ヨークの旅路、だ」

「なになに、リオンも何かすごいことやんの?」

「俺の魔法、だよ! 音楽と歌はセルシアがやってくれるって。そのために明日は歌わないようにするって約束してくれた」

「うわ、セルさんがそんな……そりゃかなりマジのやつだな……」

「まあセルは明日一日くらいフィーネちゃんとデートしてやってもばちは当たらんと思うなー。俺を見習えってんだ、あの歌バカめ」

「インカーはずっとクリスに付きっきりなの? 大丈夫? 迷惑じゃない?」

「大丈夫だよ、たまにはこんなのんびりした祭もいいもんだ。毎年仕事ばっかりでろくに楽しめないからな、満喫まんきつさせてもらってるよ」

「……本心?」

「なんでクリスが自信なさげなのよ!」

 サンリアのローキックが飛ぶ。クリスはインカーと目を合わせたままそれをひょいとけた。

「なに? 宿で半日寝てましたって言えばよかった?」

「あー! 楽しんでくれてるならよかったわー! いやーよかったー!」

「半日も? あきれた……」

「クリスって寝坊助ねぼすけだったのか」

 レオンが天然をかますので、サンリアが耳打ちして説明する。間もなくハァ!?と頓狂とんきょうな悲鳴がレオンから上がった。


 インカーはもう一度くらいリノと話してみたかったが、クリスがいやがるのでその機会を得られないでいた。あと少しでリノの心のもつれがほどけそうな気がしていた。彼がクリスの幸せを願った、あの言葉が本心だ。それをリノ自身が受けいれられないから、クリスやクリスが好意を向けた先に手ひどく当たるのだろう。

 しかし、そこまで分かったところで、それをほぐすのは自分の役割ではない気もしていた。自分は所詮しょせんこの街の人間だ。犬飼という仕事は簡単に放りだせるものではない。リノには旅についてきなよと挑発ちょうはつされたが、その自信もない。挑発か、お願いかは分からないが。

 だから、願わくばリノが自身の本心にもう少し素直になって、せめてクリスを傷つけるのをひかえてほしいと伝えたかった。けれどリノからあそこまで言葉を引きだせただけでも上々だったのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る