愛のありか

 リノモジュールは思考する。

 地下にも採光穴さいこうあなから光が降りそそぐ。今はもう朝だ。クリスもその彼女も、疲れはてて眠っている。悪くない夜だった。夜ふけまで飲みあるき、露店ろてん華美かびな髪かざりを買い、連れこみ宿でそれを付けさせて遊んだ。クリスの女性遍歴へんれきからすると多少毛色けいろが違うとはいえ、しょせん今までの女と変わらない。違うのは、クリスの本気度だけだ。

 今なら自分の好きにできる、とリノモジュールは思考する。

 この女を叩きおこしてめちゃくちゃにしてもいい。そうしたらどれだけ溜飲りゅういんが下がることだろう。クリスが怒り悲しむのを見るためだけに、そうするのも悪くない手だと感じる。リノ本体は、クリスとの思い出だけは全てモジュールにめこんだらしい。何度かクリスの彼女をったことがあると彼は知っていた。ワザとではなく、向こうから迫ってきたのだが、それでも最初はぐちゃぐちゃになって面白かった。途中からクリスも喪失そうしつの痛みに慣れたようで大した反応を示さなくなったので、つまらなくてその遊びはやめたが、この女ならばきっとそうはならない。何より今はクリスと自分は体を共有しているのだ。クリスの体に自身の知らない記憶が残る。彼女を手ひどく痛めつけて泣かせた記憶だ。それは何と甘美かんびな絶望になることだろう!

 リノモジュールは髪かざりにからまったインカーの髪をそっといた。指の間をシュルシュルとすり抜けていく。はっきりと、いとしい、と彼は感じた。そして、そのことにおどろいた。思考しているのはリノモジュールだ。クリスの意識は深く沈んでいる。しかし、体に思考が引きずられるのだろうか。全身が、彼女を愛せよとさけんでいるようだった。

 リノモジュールは思案する。自分はどこまでクリスなのだろう? リノの記憶を持ち、リノの思考回路をまねているとはいえ、動かせるのはクリスの体だ。いな、記憶も、モジュールになって以降はクリスのものだ。

「……ねぇ、インカー。君のことあいしてもいい?」

 インカーの耳もとにささやく。インカーはうっすらと目を開けて、クリス?と彼の名を呼んだ。それを聞くと、胸が痛む。

「クリスじゃないかもしれない。分からないんだ。僕は……クリスじゃないはずなんだけど……。もしかしたら、君が僕を定義づけるのかもしれない。君が誰と共にいると思うかが、僕らにとっては重要なのかもね」

「……リノ、か。久しぶりだな」

 覚醒かくせいしたインカーがゆっくりと身体を起こす。

「うん、こうして直接話すのはニヶ月ぶりくらいだね。僕の方は、クリスの中で君のことずっと見てたけど。君の弱点まで全部知ってるよ」

「キモいこと言うな。どうして出てきたんだ?」

「最初は君のこと問答もんどう無用むようで痛めつけて、クリスに意地いじわるしてやろうと思ったんだけど。……ごめん、そんな顔しないで、普通に傷つく。……君に触れたとたん、どうしようもなく愛しくなってしまったんだ。僕は、リノは君のことなんか少しも好きじゃないはずなのに。クリスと記憶を共有しているからだろうか。僕は、もうリノじゃなくなってしまったんだろうか」

「……分からんよ、そんなこと。お前も私にとってはクリスに違いない。スッスじゃないかもしれないけど、クリスの大事な一部分だ。スッスの方は、お前のことも自分だと認めてたぞ。お前は、どうしたいんだ」

「僕は……いやだ。リノであり続けたい。クリスのことだけが特別に大事で、彼のために彼が死ぬまでそばに居ると心にちかった僕でいたい」

「じゃあ分かった、リノだよ、お前は。クリスの中に住む別人だ。その上で、私はお前のことも好きになる。なった。おしまい」

「ちょ、えぇ……?」

 リノは面食らった。寝ぼけてんのかこいつ、とも思った。

「要は記憶と人格の辻褄つじつまが合えばいいんだろ。私がお前とスッスに同じ態度で接して、お前とスッスも同じ気持ちでいれば問題ないわけだ。だったら、リノ、お前も私のことを好きになるしかないだろ。愛していいぞ」

 力業ちからわざがすぎるし男前がすぎる。リノは頭をかかえた。しかし、これこそがまさにクリスのれた女だった。

「……結局、手っとりばやいのはそれか。分かったよ。僕のことはクリスじゃなくてリノって呼べよ。クリスほど優しくはしないけど、構わないよな?」

 リノの目が陰鬱いんうつに光り、インカーは少しひるんだが、覚悟を決めたのか、了解したと言って笑った。


 その後二人は昼下がりまで連れこみ宿に引きこもり、全身傷だらけになった彼女を見て、クリスはまた治してくれと懇願こんがんした。

「スッスが反省したならそれでいい。だが傷なんか治せばいい、とは思ってないよな? お前が治さなきゃいけないのは、リノの心の方だぞ。野良犬は人に慣れるまで手ひどくむんだ。この傷は全部リノの叫びだ」

「あの子は、俺には、無理だよー! 多分、何言っても、逆効果になるんだよー! インカーごめん……気長に構ってあげて……」

「お前は、私がリノを好きだと言うのはいやじゃないのか?」

「え、うん。リノは俺のだから。むしろリノを嫌う奴は受けつけない」

「お前らマジでさぁ……ハァ、しかたねェな。これがれた弱みかよ。

 ……分かった、そんなら私が一肌脱ごう。リノを出せ。しつけの時間だ」

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