唄神の統べる夜

 ヨークとミフネがさまざまな屋台に目うつりしながら食料を調達していると、目の前を褐色肌かっしょくはだの子供が通りすぎた。いや

「ライサ!」

「……おー? レオンじゃねェか。元気にしてたかよ? サンちゃんもミフネ似合ってるな」

「ありがと。ライサは……それ、何の仮装? ずいぶんなんていうか……大胆だいたんね」

「んー? これは誘惑ゆうわくと成功の神様ラライの仮装だよ!」

 ライサはその場でくるりと一回転する。身につけている布は最小限のこしきだけ、金の首輪から伸びる何本もの金のチェーンを左半身に巻きつけ、背中にかざる黒い蝙蝠こうもり片翼かたよくを固定している。背中の黒いたてがみと黒いきつねの尻尾は、おそらく首輪から伸びる金の組紐くみひもで固定されているのだろうが、腰巻きの中でどのように固定されているのか、その組紐のはしの宝石が腰巻きの下に伸びる太腿ふともものあたりをぷらぷらとれて目を引く。普段はあげていた黄金色の前髪を横に流してピンでとめ、大きくあやしい金色の目を強調させるかのように引いた銀のアイシャドウ、それと同色の口紅くちべにをつけ、美少年なのか美少女なのかの区別がつかない。

「うわー、ラライ神かぁ。きれいだなぁ」

「ふふふ、正直は美徳びとくよ、ヨークサマ。お姉さんとイイコトしない?」

「ちょっと!? どっちでもいいっていうの!?」

「お金持ってるならどっちでもいいさね。ま、ミフネちゃんもいるし今のは冗談だけど!

 それよりルイネがさっきステージの順番待ちしてたよ、そろそろ始まるんじゃない? さっさとそれ片づけて行こうぜ!」

「それは大変、フィーネの応援しなきゃ。レオン、これ残り食べといて」

「いや俺も連れてけよ!?」


 ザザ通りに出ると、弦楽器の音が聞こえてきた。人々が声をひそめながら、興奮を隠しきれないようすで宮殿の方へ走ってゆく。レオン達はその音の主をなかば確信しながら、宮殿きゅうでん前広場へと急いだ。曲は低音になり、だんだん速くなったかと思うと、昇華しょうかするように激しく情熱的なフリッシュに移る。人だかりから自然と手拍子の波が起こる。その向こうで、チラチラと美しい銀の衣がひらめくのが遠くからでも観察できた。

「やっぱりルイネとキャミだ!」

 ライサが叫び、レオン達は走りはじめた。ライサが人混みをかきわける。

「子供は前に行ってもいいことになってんだ、付いてきて」

 そうしてステージのいちばん前に陣どることに成功した。

「水よせの舞のアレンジか!」

 ライサが驚嘆きょうたんする。人々は目の前の奇跡に夢中になっていた。水の神キャミが美しい銀の剣を持って踊ると、何もない所から水飛沫みずしぶきが飛び散る。それを自由にあやつりテンポの速い超絶技巧曲に合わせて舞い狂うキャミの姿は、まるで本当に神がかったかのようだった。唄神ルイネが舞台の前に現れた勇者ヨーク達を見てウインクをおくる。ヨークの周囲で黄色い悲鳴が上がった。ぶとい声が混じっていた気もする。ラライ神が指笛ゆびぶえを吹いた。するとルイネは不敵ふてきに笑い、体を前傾ぜんけいさせると、曲のテンポを更に速めた。キャミの足はもう宙を舞っているかのようだ。人々の熱気は最高さいこうちょうに達した。

 ついに曲が終わった。キャミの丁寧ていねいなお辞儀じぎは大歓声に包まれた。アンコールの声が当然上がる。が、キャミの体力が限界に達しているのは誰の目にも明らかだった。いつの間にか丈夫じょうぶな炎の神が壇上だんじょうに現れ、キャミの手を取って舞台を降りる。満場の拍手に送られて、唄神ばいしんも演奏席を立ちさろうとした。が、もう一曲弾いてくれ!という声に振りむいた。叫んだ人は真っ赤になった。

「しかし水の神は休まねばなりません……私一人での演出となると……」

 ルイネは遠慮えんりょがちにおだやかなテノールで話しかけたが、たちまち盛大せいだいな拍手にかき消されてしまった。ではご厚意こういに甘えて、と彼はまた席に着いた。一瞬にしてあたりがしんとなる。彼の手からいくつかの音が、和音が、そしてメロディがつむぎだされ、人々を唄神の世界に引きこんでゆく。今度はさきほどとは打って変わって静かで穏やかな曲調だ。

 ルイネが静かに唄いだす。その声はむりなく遠くまでひびきわたった。


──ありえないとは思いながらも 心のどこかでは思い描いていたのです あなたとの幸せな日々を……

けれどあなたは行ってしまった 私の想いが届く前に あなたの一番大切なものと共に……

私の想いはどこにあるのでしょう? ただ一つ言えるのは 私はまだあなたが好きですということ

あなたが私を見なくても あなたが笑っているだけで 私は幸せだったのです……


 それはかつて置き去られた者の悲しい慕情ぼじょうの歌であった。さまざまな人がそれぞれの想いを歌に重ね静かに聴き入る。ある者はある日とつぜん自分を捨てた肉親を。ある者は片思いのまま終わってしまった恋を。ある者は先にった大切な人を。そして取りのこされた自分を嘆く心の言葉そのものであった。


 心は変わらない。それはもうすぎてしまったこと。分かっている、諦めるしかないのだと。後に残された人々は、過去に戻ることはできないから、過去を変えることはできないから、振りむいてもらおうとはもう思っていない。

 それでも、心は変わらない。だから人々は祈る。自分のかつて好きだった人が、今でもなお想わずにいられない人が、例えどんなところにあっても、天国にあっても地の底にあっても、常に幸福に笑っていられますように、と。

 不意にほほに温かいものが流れ、ある人はあわててそでらした。かたわらの人と目があい、微笑まれる。その人の目にも涙が浮かんでいた。彼は微笑みを返した。

 その一瞬、そんな他愛たわいない動作ひとつで、人が分かりあえる。これは真の音楽が持つ魔法だ。民族を、言語を、文化を超えて人の本質にひびき、共鳴させる〈場〉を創りだす。唄神ばいしんつむぎだし、唄いあげたのは真の音楽だった。まだ共感する悲しいできことを経験していない幸福な子供達でさえも、その歌のうつくしさに心を打たれ、じっとルイネを見つめている。

 涙を恥じて立ち去る人が何人か出た。立ち疲れてその場に座る人も出た。我もと楽器を持って列を成していた者達が出直そうと帰っていった。唄神は全ての人々をその歌で優しく包みこむ。

 ゆったりとうつくしい曲が収束する。割れんばかりの拍手はくしゅ喝采かっさい。炎の神の隣で、キャミ、いやフィーネは静かに泣いていた。まだよわい二十一にしてこんな歌を歌うセルシアが、いたましく、いとおしかった。

 もう一曲、とまたせがまれる。当然だろう。セルシアも歌いつぶされる覚悟かくごであがってきている。

「これ当分終わんねーな……あれ? ライサは?」

「ほら、クリスとインカーが来たから……。いなくなっちゃったわよ」

「そうなのか、もったいない。もう気にしなくていいのにな」


「……ちゃんと聴こえてるよ、ルイネ」

 ライサは勝手知ったるインカーの家の屋根からステージをながめていた。あの曲は、ライサのためのものだっただろうか。心の深いところに刺さって、あの場にいては涙があふれてきそうだった。

 慰謝料いしゃりょうは、この家を出てから毎週投げこんでいた。インカーがそれに手を付けず、毎回戸棚とだなにしまっていたのも確認している。本当に、自分の思いどおりにならない、気に食わない女だ。炎の剣の勇者、さもありなん。傲慢ごうまんに人を振りまわしておいてのうのうと眠っている炎の神と同じくらい気に食わない。クリスもインカーも、何か歯車が一つみ合えば、ライサの大好きな部類の人間だ。しかし結局、神や伝説といったものは、地下の地下で生きる彼にはまぶしすぎるのだった。

「あーあ。今年は銀竜バッジねらうやる気が全然起きねェな……」

 神都しんとにいつ招集されてもおかしくない犬飼のインカーに付いていく口実だった、銀竜バッジ。どう考えてもセルシアはるだろう。そしたら、あいつらは全員ついていく。ライサが必要な場面など、もうどこにもない。本当に彼の存在する意味の何もかもを、クリス達がうばってしまったのだ。何もない屋上にごろんと横になる。ルイネのうつくしい歌声に包まれて、ライサはいつしか眠りに落ちていた。


 ハッと目が覚める。どれくらい眠っていただろうか。ルイネがまだ歌っている。いや、しかし宮殿のあかりの位置が違う。一……ニ……三……四。四時間も経っている! ライサは信じられないとステージに目をらした。前列の方はもう座りこみ、眠っている者もいる。クリスとインカーは居なくなっている。客もずいぶん入れかわっているようだ。しかしセルシアはまったく疲れを見せず演奏し、まったくおとろえぬ力強い美声で唄いつづけている。人だかりの総量も減っていない。むしろ増えている。

「バケモンだろ、あいつ……」

 ライサは恐れおののいた。才能とかいう次元ではない。空前くうぜん絶後ぜつごしくもセルシアが故郷で呼ばれていた異名いみょうと同じ単語が、ライサの脳裏のうりに浮かんだ。歌に詳しくないライサでも分かる、あれは命をけずる行為だ。なぜそこまでして彼は歌うのか。銀竜バッジのためではないだろう。ぶっちゃけそこまで本気を出さなくても、彼ならじゅうぶん獲得かくとくできるのだ。

「もしかして……意味なんか、無いのか」

 生きるのに、意味なんか要らないのか。ただ歌いたいから歌うのか。誰かのため、自分のため、そんなことなんか畢竟ひっきょう、どうだっていいのか。

 インカーのために生きてきた自分。家を買ったのも、資産をたくわえたのも、銀竜バッジを獲得しに毎年がんばっていたのも、全部彼女のためだった。それが今こんなにむなしいのは、生き方をまちがえていたからなのか。

 今思えば多分あの最初の選曲も、たまたまライサに刺さっただけなのだろう。そこに意味なんかきっと無い。ルイネが気まぐれに伸ばした指に、勝手にライサが引っかかっただけなのだ。

 自然体で生きるのが良さそうだ、とライサは思った。歯車なんて、みあう時は勝手に噛みあうし、どんなに努力してもむくわれはしない。常に自分の手の届く範囲を大切にして、離れていくものは追わずに、日々を暮らすのだ。この十八年間は、楽しい夢だった。届かないものに手を伸ばすと、自分も成長した気になれた。しかし夢が破れてみればこんなものだ。

 まずは祭を楽しんでこよう。ライサはぴょん、と屋根を飛びおりた。

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