五里無水…参…

新生祭の開幕

 はるか砂のかなたに日が沈んだ。人々は揃って立ちつくし、その終焉しゅうえんを見つめていた。夕日の最後の一筋の光までも砂に飲まれてしまった時、一人の老人がうやうやしく差しだしている大烏おおがらすのような真っ黒い鳥がながながとひと声鳴いた。

「おお、カマケ様が鳴かれた……新生祭の始まりじゃ!」

 老人はそうおごそかに宣言した。人々はどっと沸いた。待ちに待った新生祭がようやく始まったのだ。

 もうすでに準備が完了してから三日がすぎ、民は今日こそはと緊張しながら何も起こらず失望して地下に戻る、ということをりかえしていたので、気の短い者の中には喧嘩騒ぎを起こして祭に参加できなくなってしまう者もあった。また、気の短い者でなくとも、子供達はカマケの鳴きまねをして大人達をおどろかせ、大人達も待ちどおしいようすで衣装を触ってみたり、商品に更に手を加えてみたり、とにかく浮ついた雰囲気がザザスタンの街を支配していたのだった。


 しかしようやく本当に祭をはじめられるとあって、人々は歓喜に包まれた。すぐに大太鼓〈巨人の足音タイダル・フー〉が打ち鳴らされ、数百の燭台しょくだいに火がつけられる。あたりは朝のように明るくなった。数人の舞い手達が地上に突きでた玻璃砂はりさきゅう前の広場に設置されたステージに上がり、祈りの舞を舞いはじめた。

 新生祭……〈カマケ〉の名を持つ鳥がひと声鳴き、一年の終わりを告げる。炎の神はその時一度死に、人々の祈りによって復活する。すると〈ケオラ〉の名を持つ鳥が鳴き、祭の終わり、一年の始まりを告げるのだ。ふるき神が新しい神に生まれ変わることを祝い、その新生がうまくゆき、人々の生活が次の一年豊かなものになるよう祈る。それが祭の本来の主旨である。

 人々は祭の間、神のいない世界で過ごすことになる。しかしそのあいだは三次成長をげて成熟した玉犬ぎょくけん達が神の代行として君臨する。この世界では、人間よりも玉犬の地位の方が高いのだ。

 その玉犬が、この祭の主役でもある。祈りの舞第一部が終わり、笛の音が独奏どくそうをはじめると、人々はいっせいに玻璃砂はりさ宮の奥を向いた。狼神ろうしんズズを演じる玉犬を迎えいれるためだ。


 玻璃砂宮へとわたる橋の燭台が、しかけ炎でこちらから順に灯されていく。ついに向こう岸に辿たどりついた瞬間、宮殿全体の照明がついた。水上に輪奐りんかんなかがやく宮殿が浮かび上がり、各所から感嘆かんたんの声がれる。

 宮殿の大とびらがゆっくりと音を立てて開くと、中に大きな炎のかたまりがあった。いな、それは炎に包まれた巨大な玉犬であった。

 玉犬はかがやくつばさを広げ、二、三歩助走して宙に舞いあがった。市井しせいの誰もこれほどまでに大きく立派で、狼の形をたもちながら有翼ゆうよくの玉犬を見たことがなかったので、皆呆気あっけにとられて空飛ぶ炎を見あげている。炎はゆっくりと優雅ゆうがに、舞い手達が作る大きな円の中央に降りたった。少し遅れて怒濤どとうの拍手。玉犬は翼を収め炎をひかえて宮殿を向いた。人々もまた宮殿に向きなおる。タイダル・フーがもう一度打ち鳴らされると、広場は水を打ったように静かになった。


 笛の調子が変わり、静かな調べになる。宮殿から白くかがやく人影が、ゆっくり笛に合わせるように歩いて橋をわたってくる。前後の四人の従者が持つ高温の白炎に照らされて、白いころもがかがやくのだ。しかしその衣の上には、ベールからあふれでるほどの紅蓮ぐれんの豊かな髪と、血潮ちしおのような赤い口紅のうるわしき女性の顔が、じょじょにはっきりと見てとれるようになってきた。

 狼神ズズの伴侶はんりょにして、全ての玉犬の先祖、女狼神じょろうしんザザ。ある時はうつくしい女人にょにんの姿、また炎の神リンリの愛剣、また大烏の女王として変化し、その栄光のサーガは数知れない。

 ザザ神が広場のステージに近づいてくる。ズズ神は彼女の姿を見つめて動かない。二神はステージで向きあう形となった。ザザ神がゆっくりと片膝をつく。ズズ神はそちらへ頭を低くし差しのべる。

 と、ザザ神が驚異きょういてきなバネでねあがった!

 そのままズズ神の背中に見事に着地する。ドッと歓声が上がった。ズズ神は再び炎を創りだし、足もとにまとわせながら空に駆けあがった。広場の上空で静止し、全身が炎に包まれる。ザザ神が焼けてしまわないかと心配する観客も何人かいたが、大多数の人はそのうつくしい炎に目を奪われていた。

 音楽にいつしか合唱が加わり、祈りを捧げよ、神を讃えよと歌う。小型のタイダル・フー、〈象の足音オリヴァン・フー〉が夜の砂漠を駆けわたり、じょじょに大きくなって人々の腹の底にひびき、心をたかぶらせる。

 ぽおん!と大きな音を立てて、炎のズズ神は花火になった。無数の小さな炎の花弁となって散り、闇に飲まれてゆく。それを合図に、次々と花火が打ちあげられた。


「ズズ神とザザ神が消えた!」

 レオンが花火に負けないくらい大きな声を出した。

「移動したのよきっと、なにかの魔法か手妻でもって」

「へぇーっ、魔法ってすごいなぁ……」

「リオンさんの世界は魔法があまり無かったんですね」

「うん、科学ばっかりで、魔法なんて言うと笑われるくらいだったよ」

「科学も魔法も、認知できるかどうかだけどな、要は」

「??? クリスなんの話だ?? 難しい話はやめてくれよ」

「じゃあもっと難しい話をしてやろう。あれは緑だからバリウムの花火だな。今のは明るいピンクだから、ストロンチウムかカリウムとマグネシウムを混ぜてあるんだろう。あっこれはマグネシウム……」

呪文じゅもん詠唱えいしょうやめろー! 祭の風情ふぜいが台なしだろ!」

 レオンはクリスに軽く腹パンを繰りだしたが、黄銅おうどうの鎧がカチャンと音を立てただけだった。

「それにしてもインカー、綺麗きれいだったわねー!」

「えっ? ザザ神もしかしてインカー姉だったの!?」

「えっレオン君気づいてなかったんですか!?」

「インカー姉ってもっとこう……カッコいい系で……あんなに化けるとは」

「素直な感想ありがとう! リオンは褒める練習をした方がいいな!」

 一行の後ろから声が掛かる。皆が振りむくと、大仰おおぎょうなヴェールとアバヤを脱いで身軽なサルエル・カミーズの姿になったインカーがニヤニヤしながら立っていた。

「ところで皆何ぼーっと突っ立ってるんだ? 花火なんかずっとながめてるのなんて物好きな数人だけだぞ。もう祭は始まってるんだ、おのおの楽しんでおいで!」

「そうだった! セルのお金を使いきらないといけないんだった!」

「いや……まあ修理で余った分だから別にいいですけど。せっかくだったらサロンのオーナーの出店でみせにちょっとでも払って還元してくださいよ。こと通りの金鱗邸きんりんていで探してみて」

「金鱗邸か! あそこは毎年チーズタピが絶品なんだよな。琴の音通りで屋台出してるはずさ。

 食いもんならあとは片目のダイリんとこのいもげ。塩味がちょうどいい塩梅あんばいですごくウマいぞ。

 お子様や甘党にはメンメの焼菓子、酒のさかなにゃセガールじるし激辛チーズ、おっとこれは売りきれ御免ごめんの早い者勝ちだ。

 夜もふけて温かいものが欲しいなら月の翼亭に行くといい。あそこの甘辛あまから包子パオズがよくって、スープも美味しい。

 早食いやるなら〈勇者の心臓ヨーク・シャー〉が良心的だ、毎回三位まで賞金が出るから。

 それから焼き肉はモルヴィんとこのに限るね」

「金鱗邸、ダイリ、月の翼、ヨーク・シャー、モルヴィだな! 分かったありがとう!」

「あっちょ!? レオンあんた字読めないでしょ私も行くから! メンメも忘れちゃダメー!」

 若い勇者ヨークと小さいミフネが走りだす。祭にそなえて皆インカーから文字を習ったのだが、レオンは途中で挫折ざせつしていたのだった。

「インカーさん、どこか飛びいりできるステージは無いですか? 僕とキャミの練習の成果を披露ひろうしないと」

「出し物ならザザ通りの宮殿前広場が一番賑わうよ。ただし覚悟が必要だぞ、下手くそはすぐ引きずり降ろされるし、上手い奴は力尽きるまで降りさせてくれないから」

「それなら先に腹拵はらごしらえが必要かな。フィーネ、一緒に行きましょう」

 うつくしいルイネとキャミのカップルが歩きだし、衆目しゅうもくを集めた。フィーネはけっきょく紫色の大判のストールを肩から掛けることで露出との戦いにケリをつけた。もちろん踊ればふわりと浮きあがるのだが、踊っている間は気にならないのだそうだ。

「……インカーはやっぱり、運営側だからいそがしいか?」

 二人きりになってしまい、炎の神リンリが遠慮がちにたずねる。インカーが気合い入れてデザインしただけあって、金色の鎧に着られてしまうこともなく、均整きんせいのとれた体に目の覚めるような青いサッシュも相まって絶世ぜっせい丈夫じょうぶとして降臨し、道行く人の注目を浴びていた。

「いや、それがな。例年どおりなら忙しいはずなんだけど、なぜか今年は仕事をぜんぶ同僚どうりょう達に取りあげられちゃって……フィナーレまでひまになっちまったんだ。多分あの仔犬部屋でキスしちゃったから……かな……」

 ガラス張りで常に複数人からそれとなく監視かんしされている仔犬部屋なのだ。

 周知の事実になるのも当然といえば当然だったが、今更のようにインカーは赤くなった。

「ああ〜そっか……めったにないインカーのゴシップだったんだな……。よし、それじゃせっかくだから、皆の厚意こういに甘えて思いっきり俺と遊ぼうよ。ケオラが鳴くまで寝かさないよ?」

「それは死ぬって!」

 ザザは笑いながら自身の主に手を引かれて走りだした。祭は短くても三日、長くて七日間ある。何日続くかの読みあいだ。最初から飛ばしすぎると悲惨ひさんな目にあうし、かといって温存しすぎると不完全燃焼になりやすい。一日一日を大切に、後悔のないように生きるのは、オアシスに生きる民に共通するさがかもしれなかった。

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