砂漠の恋は炎

「あ……クリスさん」

 インカーの家に近づいたところで、フィーネが見つけて声を掛けた。

「フィーネちゃん、昨日ぶりー。インカーちゃんはどこかな」

「インカーさんは、玻璃砂はりさ宮におつとめに。クリスさん……リノさんのこと、聞きました。私にも心配させてください」

「フィーネちゃん……ありがとうねー。でもきっとセルが嫉妬するからいいよ、大丈夫。俺はもう正気に戻ったから。ちゃんと謝れる」

「セルシアさんのことは放っておけばいいんです! あの人はちょっとねてるくらいが可愛かわいらしいんですから。私は仲間の心配をしてるだけです」

「……フィーネちゃんって意外としたたかだね……。そうだなぁ、じゃあもし今からインカーちゃんにフラれたら、なぐさめてくれるー?」

「もちろんです!」

 ふんす!と鼻を鳴らしてフィーネは両手に握りこぶしを作った。ありがとう、じゃあねーとフィーネに手を振り玻璃砂宮に向かって、ポツリとつぶやく。

「……心配しなくても手だしはしねーよ」

(僕が聞いてるの分かっててあの発言ですか? 度胸どきょうありますね)

 見事に予想が的中しピリピリした声が届いたのでクリスはニヤリとした。

「セルも他人のことは言えないくらいだんだんこじらせてきてんなー!」

 今度はいらえはなかった。


 インカーは宮殿で仔犬達のブラッシングをしていた。

「……来たか、スッス。悪いけどちょうどよかった、そこにブラシがあるからお前も手伝ってくれ」

 インカーがちらりとクリスを一瞥いちべつし、右手に持った大きいブラシで水辺のバケツを指す。クリスはうなずいてブラシを持ち、手近な仔犬を抱いてきはじめた。今かかえている仔犬は一番毛足の長い黄色いココだ。なかなか梳きごたえがあって、クリスはしばらく何もしゃべらずに熱心に梳いていた。ココがじょじょに気を許してクリスの足もとに腹を天に向けて寝転がる。

「……へぇ、上手いもんだ。ブラシの加減がいいんだな」

「まあ、ブラシをかけてやるのは慣れてるから……」

 クリスはなにげなしに返答し、しまったという顔をする。

「……そうなのか。動物か? 人か?」

「……セ、セルのことだよー」

「うそつけ。あの人は全部自分でできる人だ。……スッスの好きな人?」

 この話題は、まずい。クリスはスゥーッと音を立てて深呼吸をした。

「……好き……だった人、かなー」

「そうか。……悪かったな、そんな話させて」

「大丈夫〜……」


 クリスはインカーの謝罪を聞きながら、自身も心の中でリノに謝った。

 過去形なんかじゃない。本当は今でも痛いほど好きだ。

 自分の半生の全てだったリノのことを忘れられるわけがないのだ。

 ただ、インカーの前では過去形で話したかった。

 それは結局のところ、彼の打算であり、欲望だった。


 リノ。お前は、今の俺の言葉をどういう気持ちで聞いていた?

 俺は欲張りだ。リノのことを忘れてやらないまま、インカーのこともあわよくばと思っている。俺の中のリノモジュールがお前の心をそのまま残していることを知っていて、それでも進もうとする、俺は、罪深いだろうか。

 俺がお前を傷つける番が来たのかもしれない。俺はリノモジュールのことを、俺の幻想だと断じよう。そうしないと、俺は前に進めない。俺の体でやったことは俺の責任だ。俺の責任にさせろ。お前も、お前が引きおこすやっかいごとも、全部まとめて俺のものだ。

 これからもずっと愛してるんだ、リノ。信じてほしい。だから俺はお前が望むとおりに生きよう。お前が傷つく言葉を選ぼう。優しさだけでは、お前を救えなかったのだから。


「……あー。そんな話より、さ。インカーちゃん、昨日はごめん」

「……何に対して謝ってるんだ?」

「その……傷を治せってせまって、むりやり、キスしたこと。」

「お前がやったのか?」

「うん。俺がやった」

「……そうか。あの時何か言ってた、リノって奴じゃなくて?」

「リノは、ただの俺が抱えてる幻想だ。俺が好きだった、俺のことを好きだった、俺が殺してしまった人間を、忘れたくなくて住まわせてるだけだ。やらせたのは、俺だ。……その証拠に、俺はあの時のインカーちゃんの感触をハッキリと覚えてる。今でも思いだすとすごく興奮こうふんする」

「あー、いやそこまで言わなくていいから……。そっか、分かった。スッスがやったんなら、……うーん……別に……いいよ」

「……えっ。それって……」

 クリスは手を止めてインカーを見た。彼女はうつむいてモモを梳きつづける。同じ場所を、何度も。

「まぁ、私の傷のためだし。傷を見たくないって気持ちも伝わったし。あの冷たい目をした男も、スッスの別の一面だっていうなら、受けいれる。もちろん、普段のスッスの方がいいなとは思うけど……」

「ん、ん、ん? よく分かんないな。ごめん。キスしていい?」

 インカーはハッと顔をあげた。眉間みけんしわの寄った真剣な顔を作りつつ、期待に満ちた眼差まなざしでクリスが四つんいしてくる。彼女は思わず笑ってしまった。

「バーカ、仕事中だぞ。……一回だけな」

 モモがしかたないなと言わんばかりにインカーのひざからのっそりと退く。

 クリスはインカーの肩をつかんで、そっとくちびるを重ねた。その口づけは、昨日よりも甘く、優しく、傷ついた心をいやし、満たしていく。

 そのまましばらくして離れたので、インカーは少し意外に思った。

「今度は舌入れてきたりしないんだな?」

「ちょっ、やめてよね!? 俺だって場所わきまえて我慢がまんしてんの!」

 まっかになってあわてるクリスを見て笑うインカーは、自分も赤くなっていることに気づいていなかった。

「……ありがとう、クリス。こんな私をいてくれて」

「おう、好きだよ、インカー。これからは俺がまもる」

「……ふふ! これから、か! そりゃ楽しみだ」


 インカーは、彼らの目的が炎の剣の勇者にあることを忘れていなかった。自分が彼らと一緒にいられるのは、新生祭が終わり、神都しんとおもむくまでだ。それが終われば自分はまたこの街に戻り犬飼の仕事を続け、クリス達は旅立ち、二度とうことはないのだろう。

 そうと分かっていても刹那せつなの恋に身を投じようとする自分が意外で、なるほど恋は理屈じゃないのだなぁ、とどこか他人事のようにしみじみと納得するのだった。

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