ライサの誘い

 ライサが連れてきたのは、いかにも治安の悪そうな一角だった。うつろな目をした褐色肌の人間があちこちに倒れこみ、ねずみがその服を食べている。ライサはフェイスベールを付けて、クリスにも同じものをわたした。

「この辺の連中がやってるこの臭いのはアブアっていう煙草な。匂いは染みついてるけど、煙を直接吸わなきゃまあ大丈夫」

 ライサはおくすることなく進み、瓦礫がれきの寄せあつめと大きな布でかろうじて形を保っているようなボロい建物に案内した。

「『耳のある奴は聞け』。明けの部屋のライサだ、ムファンのおっさん、開けろ」

 ややあって、内側からくぐもった老人の声が聞こえてきた。

「……目のある奴は見ろ」

「文句のある奴は死ね」

 ガチャン、ととびらが開く。ボロ布のとびらに見えたのは、実は布を貼ってある鉄製のがんじょうな二重とびらであった。二人は中に入った。

「ずいぶんな合言葉だな……」

「身内用だよ。ようムファン、実入りはいいか?」

 ライサはとびらを元どおりにしっかり閉めると、入り口の右側で店子たなこをしている、けだるそうに白煙をふかしている短髪の老人に声を掛けた。左ひじから先がない。ムファンと呼ばれた男はチラとクリスを見、ライサにふうと煙を吹きかけた。どこか甘い、怪しげな香りのする煙だった。

「ガキは元気が余っていると見える。もう二人目か」

 ライサはいやそうな視線をその店子に向けた。

「よけいな口きくんじゃねェ。右腕も失くしたいのか」

「ふん……惜しい命じゃないが右が失くなると煙が吸えん。そいつぁ困る」

「ならだまっとけ。行こう、クリちゅ。このおっさんとしゃべってっとそれだけでアブア中毒になりそうだ」

 小柄こがらなライサがクリスの腕にからみつき、少女のように笑う。すぐにめあての部屋を見つけると、クリスを簡素なベッドに座らせ、自分もするりと中に入ってからそっととびらを閉めた。そして猫のように音を立てずにクリスのひざの上に馬乗りになる。

「ライサ、お前……」

「なぁに? こんな所まで来て、何もないと思ってたわけ?」

「話があるんじゃなかったのか」

「んー、まあ……あるには、ある……」

 ライサはうわの空で返事しながら、すっとクリスにしなだれかかり、そのこしに両手を回す。クリスは目を細めた。何となくだがライサのねらいが読めたのだ。彼はさそいに乗るかのようにライサの肩を左手で抱き、右手で頭をでた。ライサの手が彼の背中をついと撫であげ、肩に巻きつく。その左手が器用にクリスの上着を肩から払いおとした。

「クリス……、俺、クリスのこと、好きだよ。初めて会った時から」

「……」

「でもね、最近のクリちゅの言動、あれ、ひどいよ。おかげで俺の心はボロボロだぁ」

 はあぁ、とライサはクリスの胸の上で溜息をついた。息の当たった部分がじんわりと温かくなる。彼はそこに甘えるように頭をすりつけた。

「だからねぇ……はっきりさせようと思ってさ。ねぇ、クリス……インカーのこと、好き?」

「好きだ」

「……そう……じゃあ、しかたねェな」

 ライサの右手の中でキラリと光ったものがあった。


 おどろいたのは、両隣りょうどなりひそんでいた男達だった。爆発したような音がとどろいたかと思うと、地をって彼らのあしに電流が走ったのだ。

 彼らはライサに、自分達の恋敵こいがたき死骸しがいを処理するよう頼まれていたのだが、何が起きたと明けの部屋に駆けこんだ彼らが見たのは、地面の上で引きつけを起こしながら無様ぶざまころがる依頼人と、傷ひとつ負わず、頭髪は逆だち体じゅうから放電し、すさまじい形相ぎょうそうでこちらをにらみつける〈恋敵〉の人間とも思われぬ姿であった。情けなくも彼らはそれだけですくみあがってしまった。

「お前らも、俺をりにきたクチか」

「あ、いや、俺達は……」

「お、おい、ギム兄貴……」

 ギム兄貴と呼ばれた大男が前に押しだされてきた。彼も目の前のようすにギョッとしたが、さすがに虚勢きょせいを張って言った。

「俺らはただ後始末あとしまつをこいつに頼まれただけだ。……悪いが中に入らせてくれ。このままでは店の奴らが来ちまう」

「……別に、かまわねえよ」

 なおも髪を逆だたせながらクリスは言った。ギムはゆっくりと部屋の中に足を踏みいれ、そしてライサを助けおこした。他の男達もギムが入ったのに続けと入ってきて、入り口の壁に貼りついた。クリスは呆れかえった。

「そんなにこわがるこたぁないだろー! お前らが何もしでかさなかったら、俺も何もしない。……ライサはダチになれたと思ってた。本当なら友人に攻撃なんて、したくなかったんだけどなー」

「ライサに……いったい何を……」

かみなりを流しこんだ。刺される直前にな」

 男達はどよめいた。雷をあやつるなど、人間技ではない。

「お前はいったい……」

「炎の剣って知ってるか?」

「あ、ああ、選ばれし勇者が持つというあの……まさか、お前が!?」

「いや違う。俺は炎の剣の勇者をむかえにきたんだ、森の向こうからな」

 男達は呆気あっけにとられて何も言えなかった。それだけ目の前の男が言ったことは突飛とっぴすぎたのだ。ようやくライサが正体を取りもどしてたずねた。

「……それで……勇者は、見つかったのか?」

 クリスはライサを見て、しばし押しだまった。確証は無い。だが。

「……ああ、見つかった。インカーちゃんだ」

「ええッ!?」

 一斉いっせいにおどろきの声が上がった。クリスは目をまたたかせた。

「なんだ、お前ら皆インカーちゃんと知りあいか?」

「い、いや俺らは……!」

「ギム……やめろよ。……結局あいつの運命の人は、俺らなんかじゃ、なかったんだ……」

「ライサ!?」

「俺らには、高嶺たかねの花だったってことさ。あいつの目は玉犬ぎょくけんを通してこの国全体を見据みすえてる。本当に、生き女神さ。……だから、俺らみたいなちっぽけで浅はかな人間のことなんか、対等な者として見えてないんだろう。想い人のくちびるを奪われて逆上してその男を殺そうとするような小っせェ男なんかさ……ったく、あいつには見合わねェさな」

 ライサは力なく首を振って自嘲じちょうした。リノが、いやクリスがインカーに働いた狼藉ろうぜきを、ライサはかげで見ていたらしい。クリスはだまってくちびるをんだ。

「……カッコ悪いよな……振り向いてほしいって純粋なあこがれだったのが、いつの間にか独占しようとして、執着しゅうちゃくして、嫉妬しっとして。俺がインカーに付く悪い虫だってのをザザ神は分かってたんだ、だからクリスを寄越よこしたんだ……思いあがった俺をはたきおとすために。……クリス。完敗だよ」

「言ったな。……投了とうりょうすると?」

「ああそうだ。もう、お前があいつに何しても俺らは……文句は言わねェ……もともと文句言おうってのがまちがいだったとね」

「お前らもってことか?」

 クリスはギムに視線を移した。

「右に同じ、だ。ライサに無理なもん、俺やこいつらにできるわけがない」

 クリスは少し眉をひそめたが、すぐに無表情になり上着を着た。烏合うごうの中には涙する者もいたが、彼は気にも留めずに建物を出た。


 今は迷いなくインカーの家に足が向いていた。リノはあれ以来ずっとだまっている。クリスとしても今は話したくないのでこう都合つごうだった。インカーと向きあうのは怖いが、自分が逃げてばかりではライサがむくわれない。インカーに嫌われても、ナシだと断じられても、謝罪だけはするべきだ。もしそうなったら、ライサの代わりに、彼女が愛する者と出会うまで、次は自分がまもろう。

(もしその相手が……リノだったら、俺は……リノに……)

『だまって聞いてれば要らんこと考えやがって。クリスのことをそでにする女なんて嫌いだよ。僕はただのモジュールで……僕は、お前だ。この体は、クリスのものだ。お前だってあのキスで思いしっただろう』

(ああ。あれは、俺がやったことだ。だから謝るんだ)

 クリスは意を決したように足を早めた。

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