傷をつけた男

 インカーの傷の手あてをしに一階に降りると、ぎん細工ざいくを作っていたクリスが気づいてまっさおになった。

「なっ、どうしたインカーちゃん!?」

「インカー姉がライサと喧嘩けんかになって、やられたんだ」

「ハァ!? あいつ見損みそこなったぞ……! お前ら野郎二人もついてて何で止められなかったんだよ!」

「やめてくれ、スッス。全部私が悪いんだよ。あいつのことをちゃんと見ているつもりで、保護者ほごしゃ気取きどりでさ。何も見えてなかったんだ……」

「だからって怪我させることないだろ! ちょっと待ってくれ、俺なら……」

 クリスはナノマシンの丸薬がんやくをインカーに飲ませようとして、インカーが剣の仲間でないことに気づいた。これを飲ませるということは、剣の秘密を知ることにつながるかもしれない。詳細しょうさいせたままでは、気味わるがられるかもしれない。しかし、傷口から、その赤から、目が離せない。

「……俺、なら、回復の魔法が使えるんだ。……まず、この丸薬を飲んでくれ。俺がそれに魔法をかけるから、そしたら、そんな傷なんて、傷あとも残らずきれいに治るから……」

「そう、スッスはすごいんだな。傷あとも残らず、か。それは……いやだな」

 インカーが苦笑して首をかしげる。クリスは余裕なさげに顔をゆがめた。

「なんでだよ。傷なんか残ったってなんもいいことないんだぞ。それを見るたびに、傷がついた時のことを思いだすんだ。インカーちゃんの心から、あいつのつけた傷が消えなくなる。周りだってそうだ。自分が守れなかったこと、自分がそばにいられなかったことを思いだすんだ。そんなのは、俺、いやだ……もう傷あとなんて見るのもいやなんだよ……」

 インカーははげしく動揺どうようしているクリスにおどろいたが、なにか事情があるのだろうとさっした。

「落ちついてくれよ、スッス。私は自戒じかいのために残したいだけだ。魔法を使わなくても放っておけばそれなりに回復する。自然のままでいいよ」

「俺が無理なんだよ……頼む、飲んで……」

 クリスの鬼気ききせまるようすにインカーはたじろいだ。一瞬目が泳ぐ。その瞬間クリスの目があやしくきらめき、躊躇ちゅうちょなく丸薬をインカーの口にねじこんだ。そのまま彼女を抱きよせ、接吻せっぷんする。舌で押しこみ、唾液だえきを流しこみ、飲みこませる。

「!? ……!!?」

 インカーは抵抗ていこうしたが、ものすごい腕力で頭と肩を固定されているうえ、足もゆかに着かない状態で大した力は入らなかった。

「クリス君はそんな手荒てあらなことしない。君か、リノモジュール……」

 セルシアが低い声でうなる。レオンとフィーネは状況が飲みこめず呆気あっけに取られていた。

「これは医療行為だ。問題はない。……クリスは甘いからね」

 ようやくインカーを解放したクリスから、他人のような言葉が出る。

「スッス……? じゃない、のか?」

 右手で口を押さえ、顔をまっかにしながら床にくずれおちたインカーが声を掛ける。クリスの顔を持つ男は、無感動に彼女を見おろしながら、口もとだけ笑顔を作った。

「クリスより先にキスをうばってしまって申しわけない。僕はリノ。クリスの中に居候いそうろうする人間。クリスと相思相愛そうしそうあいにして、最初の傷をつけた男だよ」

「スッスは……?」

「クリスなら今、れてて使い物にならない。僕が飲ませてやるからと言ったら制御権を放りなげてきたのさ。多分あとであやまられると思うけど、悪いのは僕だから許してやってね」

「……お断りだよ。お前の言うこと聞いたら、お前のせいになるだろ。私がキスしたのは、クリスだ。知らない男じゃない」

 インカーが男をにらみつける。男はおどけたように肩をすくめた。

「おや、意外とポイント貯まってたみたいだね。かまわないよ、こいつが持ちなおしたらゆっくりそこは話しあってくれ」

 そう言ってきびすを返そうとして、思いだしたかのように笑顔でインカーのそばにかがみこむ。インカーは警戒けいかいして上体をらした。

「そうそう、医療……の魔法なんだけどさ。傷をどこまで治すかは君の自由意志で決められるからね。そろそろ治療薬が全身に回って傷を治しはじめる。今まだ君が傷痕を残したいと思っているなら、痕は残るよ。そのうち消したいなと思うことがあれば、クリスのそばに行けばまた魔法が活性化されて、簡単に消せるから。僕は傷痕を消せなんて言わない。お好きなさでどうぞ」

 彼の言うとおり、インカーの傷はみるみるふさがり、血管をつなぎ、肉を埋めた。最終的に薄っすらと色が異なるだけの傷痕になったのを、インカーはおどろきの目で見ていた。男は治療が終わったのを確認すると満足気にうなずき、立ちさろうとした。

「リノちゃん、どこへ行くんです?」

 セルシアが声を掛ける。リノと呼ばれた大男は、普段の彼からはかけ離れた薄笑いをセルシアに投げてよこす。

「ちょっと走ってくるよ。今この場でクリスに制御権戻しても、多分こいつ発狂するから。落ちついたら帰ってくるはずさ」

 そう言って、彼は手を振りながら家を出ていった。



 クリスは、琴の音通りで捕まえたセルシアから金を無心むしんして、ひと晩散財した。自暴じぼう自棄じきになっているのが自分でも分かる。遊んでいた女の子が部屋から出ていったので身支度みじたくをする。双剣に変えたプラズマイドを腰帯こしおびす。プラズマイドを触ると、インカーとリノのことがまた頭を占めはじめる。

 リノのことが許せない。インカーに合わせる顔がない。体の制御権は無かったが、感覚は共有されていた。温かく柔らかい身体、強情なうすいくちびる、くすぐったいザラつきのある舌、紅潮した顔、睨んでくるうるんだ目。

「きっつ……」

 クリスは布団に倒れこんだ。最低だ。それらを得たと喜ぶ本能に、自己じこ嫌悪けんおきそうになる。

 いや、悪酔いしているだけかもしれない。リノが悪いんじゃない。全部丸投げした自分が最低なのだ。リノは合理主義だし斟酌しんしゃくなんかしないし、何より俺が好いた相手にどういう行動を取るか、予想してしかるべきだった。あんな、自己紹介が全部マウント攻撃になることある?

 いや、リノのことは別にいい、機嫌を取ってやるいわれもない。客観的になれ、あいつもぜったい悪い。それより、インカーだ。多少なりとも好意を持っていてくれていたらしい。それをみにじった。小さな芽をあばいて台なしにした。

 それは、彼女を傷つけたライサの行為と、何が違う?

「インカーなら平気だよ。あいつ強いから」

 入り口から声が掛かる。いつの間にかライサが入ってきていた。

「お前……何でここにいるんだ」

「銀竜バッジのライサは顔が広いのさ。他所よそモンのお前らは目立つしな。クリス……ちょっと顔貸せよ。話があるんだ。こんなとこでウロウロしててもインカーとそのうちはちあわせるぞ。地下の地下まで一緒に来いよ」

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