人の心を持たぬ神

 ユットは全員乗ったことを確認すると、ランザーの頭に乗って右耳に触れた。すると、ランザーは水の上をすべるように進んだ。中々のスピードだ。

「ランザーはコトノ主様が水から造られた魔法生命体です。ですので、何も食べることはありませんし、運搬うんぱんの加護により決して乗員や貨物を振りおとすことはありません。スピードが出ているように感じられると思いますが、安全ですのでごゆっくりおくつろぎください」

「へー、ランザー生き物じゃないのか」

「水でできてるのに濡れない。不思議ですね」

「ユットさん、ランザーっていっぱいいるのー?」

「いえ、この子は普段は一頭だけの特別な存在です。ですが、動きを同期した自身を複製することはできるようです。宮勤みやづとめの私達は毎朝、乗合のりあいランザーで宮殿まで出勤してるんですよ」

「魔法生命体っていうのがもうはじめて聞く存在だから、ぜんぜん想像がつかないわ……」

「水は生命にとても近い物質です。空気や土から作るよりも簡単ですよ」

「そう言うってことは、ユットさんも作れるのかしら?」

「魔力次第、ですね。私は作れて子犬サイズなんです……」

「ええっ可愛いじゃない、子犬! いいなーうらやましいな……」

 めずらしくサンリアが年相応の少女のようにはしゃいでいるので、レオンは微笑ほほえましく眺めていた。


「間もなく到着です」

 ユットが言うと、いきなり水路がひらけ、広大な湖の中に出た。中央にはあの大きな工場が建っている。はがね色のそれは、太陽からの光を受け、無骨ぶこつな光沢を出していた。とても神様が住んでいそうな場所には見えなかったが、大小さまざまな穴から滝のように水が落ちていくさまは、なぜかうつくしかった。

 と、いきなり水中から二本の巨大なとげがせり上がってきた。

 レオンとサンリアは思わず声をあげた。セルシアとクリスも目を丸くしている。

「大丈夫ですよ、コトノ主様の歓迎のおしるしです」

 ユットはさらりと言った。確かに、棘は次々と出てくるが、どれもランザーには当たらない。むしろ一行を誘導するかのように列をなしている。ランザーはその間をおくすることなく進んだ。

 建物まであと十数メートル、というところで、水門が開いたのか、かべの一部が取りはらわれた。その向こうもやはり水が溜まっていたが、中から明るい光があふれてくる。ランザーは速度を落とし、ゆっくりと中に入ってゆく。ランザーの尾の先まで中に入りきると、入口は何も無かったかのようにまたかべになった。

 中は水路が幾重いくえにもつらなり、工場、あるいは子供の遊び場のような感がある。ランザーは水路の端、昇降所とおぼしき桟橋に寄りそうように停まった。

「お疲れさまでした、お降りくださいませ。再度私についていらしてください」

 ユットがそう言って最初に降りる。サンリア、クリスと続く。殿しんがりのレオンとセルシアは、ランザーが沈みながらするりと水にほどけるようにかえったのを目撃もくげきし、目をみはった。

 ユットが案内したのは、一見何もないスペースだった。黄色と黒のしまテープで床が四角に囲われている。

「昇降板が上からまいります、ご注意ください」

 声をかけられて見あげると、頭上からゴンゴンゴンと音を立てて、分厚い鋼鉄板がゆっくり降りてきた。レオンの住んでいたアパートの自室くらいの広さがあるが、その板を吊りおろすロープも支柱も無い。どうやって動いているのか、レオンにはかいもく見当もつかなかった。

「お乗りください。上でコトノ主様がお迎えいたします」

 言われて何も気にせずスッと足を出したのはハイテク慣れしているクリス。次にサンリアが緊張した面持ちで昇降板に乗ると、レオンとセルシアも意を決して乗りこんだ。

「武器は預けなくてもいいのですか?」

「その必要はございません。主は、れませんので」

 そう言うとユットは、自分は乗らずに角のスイッチを踏んだ。またゴン……と音を立てて、昇降板は動きはじめた。



 昇降板が止まった。どうやら到着したらしい。

 眼前には広いプール。そこに水車やピストン、水路に人工滝など、さまざまな経路で水が流れこんでいる。何か水を使って大掛かりな実験でもしているかのようだ。

 じーちゃんがバサリとサンリアの肩から飛びたち、プールの方へ先導した。一行もプールサイドまで移動する。と、突然大量の水が立ちあがり、一行を取りまいたかと思うと不自然に固まってさまざまな椅子の形を成した。

 セルシアが興味津々に椅子を触り座る。それを見て他の皆も座った。じーちゃんは水でできたとまり木に降りてきた。すると余った椅子がほどけて、水がプールの上に戻り、また盛りあがって長身長髪長衣の美しい女性の像を結んだ。

 どう見ても魔法、どう考えても人外、名のるまでもなくそれが、コトノ主であった。


『おはつにお目にかかります、剣の主のお歴々れきれき。私、湖守みずうみのかみ琴乃主ことのぬしと呼びならわされるモノにございます。今回、火急かきゅうの用ございましてこのようにお呼びたていたしましたこと、お許しねがいとうぞんじます』

『礼はいい。そのような堅苦しい言葉を使うておると、本題がぼやける』

『あら……』

 コトノ主は心外そうにじーちゃんを見た。

『まあナギラ、あなたってフクロウになってもあいかわらずせっかちなのね。……いいでしょう、本題に入らせていただきます』

 ハッキリ言って、その方がありがたい。敬語が苦手なレオンはそう思った。

『この街を出、西に三百キロメートルほど離れた〈森〉の中に、この街のダミーがあります。いえ、本来この街だったものの廃墟です。そこに、五日後、夜の民の軍勢が来ます』

「夜の民ってぇと……」

「イグラス、よね」

「森を拡張しているという敵ですよね」

「まだこっちは四人しかいないけど、決戦ってとこかなー?」

『いえ、まだです。彼らは夜の民の軍の中でも精鋭のようですが、ひきいるのは少年であり、王ではありません。遠征、といったところです。狙いはこの世界のかなめである私です』

『少年が軍を率いて……その少年、もしや』

『残念ながら当たりです、ナギラ。死の剣の主です』

 死の剣、ディスティニー。クリスは眉をひそめた。雷様の権能である医療モジュールの力を超えて死の概念を上書きすると聞いている。かすり傷でさえ危険かもしれない。

「なんで、死の剣の主は敵になってるんだ?」

『レオン……それは大魔導師サレイが、夜の民についたからです』

「なっ……」

 レオンは両の拳に力がこもるのを感じた。まただ、またサレイ母さんがそしられている。剣を取る時に耳にした母の声は、グラードシャインを育てて、旅立って……というように聞こえていたのに。

「いや、分かんねぇ。分かんねぇよ、サレイ母さんが大魔導師ってのも分かんねぇし、敵ってのも分かんねぇし、なんでそれじゃあ父さんと結婚したのかも分かんねぇ。分かるのは、少なくとも一緒に暮らしていたあの三年間は、俺の味方だったってことだけだ」

『落ちついてください、レオン。サレイのことは私達も心配しているのです。サレイもある世界の長、かつて私達の仲間だったのです。しかし彼女は夜の神の巫女でもあった。今でも難しい選択をしつづけているのでしょう』

「メイラエおじさんは、その犠牲ぎせいになったと?」

 今度はセルシアが眉をひそめる番だった。

『もちろん存じております、私は水の権能届くかぎり遍在へんざいできますので。メイラエのことは残念でした。カオンのこともです。サレイは長を殺して回っている。かつてともに旅をした仲間のことを、です。夜の神も厳しいことをなさる……あのおかたの神意は、私などでは計りしれず……』

「サレイ母さんが……父さんを……?」

 レオンはその言葉が咀嚼そしゃくできずに、舌の上で転がしていた。

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