未来都市と不死身の神

 なごやか、というにはいささかセンシティブな会話をクリス達が酒の力でゴリ押している間、レオンはリノを観察していた。一体どうやってこのスピードで声を出さずに会話できるのだろう。口の代わりに指や視線を動かして入力しているわけでもなさそうだ。


「あー、レオン君もリノにれちゃったー? サンリアちゃんに怒られるぞー」

「ちっ違えよ! いやサンリア関係ないけど! どうやってしゃべってるのかなって気になっただけだ」

「ああ、僕はほら、のど怪我けがしていてね。声が出せないから会話モジュールをインプラントしてるんだ。脳内のニューロン活動をスキャンして言語化して電子音声出力に送信してくれるやつ。僕は技師だからいろいろモジュール作っては自分の脳で試してるんだよね」

「喉、治せばいいのにねー。リノは頑固がんこなんだよー」

「治す必要性を感じないんだよね。脳スキャン即出力だと、音声出力よりもよほど高速にマルチタスクにこなせるから。この会話だって実際かかってる時間の半分くらいで脳の出力は終了してて、君達のヘッドセットの調整やお酒の味に意識をかたむけることができる。むしろ皆こそ僕の真似まねをすればいいのにと思うよ」

「はー……ん、すげえなー……」

「レオンはごらんのとおり、口より頭の回転の方が遅いからきっと意味ないわね」

「原理は分からないけれど、でもそれって、会話の途中で相手の反応や不測の事態で声をひそめたりトーンを変えたり中断したりはできるんです? ああ、できそうかな、考えさえすれば上書きされるのかな。でも、やっぱり歌とは相性あいしょうが悪そうですね。歌は自分の声が体をふるわせることや相手とひびきあいリズムになることを楽しむものですから。

 折角せっかく耳に届くのは鐘の音よりも美しい声なのだし、是非治せるなら治していつか僕と一緒に歌ってほしいな、金糸雀カナリア見紛みまがうあなた」

「流れで口説くどくな!」

 サンリアが容赦ようしゃない肘鉄ひじてつをセルシアの脇腹わきばらに食らわせる。レオンは今のが口説き文句だと気づかず目をぱちくりさせた。

「まーたリノがモテてるよ。けちゃうわー」

「なんで男しか寄ってこないのかなぁ、このお店のせいかなぁ」

「おいおい、俺の店辞める気か?」

「冗談。師匠ししょうから離れたら面白い仕事絶対減るもん。追いだされても居座いすわるよ」

 ニコリと笑うリノは可憐かれんな花のようで、女の方が自信無くすからじゃないかなぁ、とレオンはぼんやり考えた。


「さて、そろそろアルコールは効いてきたか? ナノマシンの用意ができたぞ。雷様によればこれがレオン用、サンリア用、セルシア用、だそうだ。お前ら煙草たばこはできるか?」

 モルガンがカウンターの怪しげな機械から透明とうめいふくろけむりめながらレオン達に声をかけた。

「俺、やったことない」

「私もないわ」

「ふむ、じゃあ少しせきこむかもしれないから、この袋を口に当てて、むりせず少しずつ中で息を吸ってくれ。吐くのは鼻からな。いけそうなら少し深呼吸してもいい。全部吸い終わったら終了だ」

 レオンは言われた通りにしてみた。舌と喉の奥が少しチクチクし、少しして急に寒気さむけおそってきた。寒いのに冷や汗がドッと出る。

坊主ぼうず、一旦ストップだ。袋しばるぞ。酒を飲め、楽になるから」

 言われて酒を口にふくむ。せそうになるのをぐっとこらえて飲みくだすと、胃の中から少しずつ正体しょうたいを取りもどす心地がして安堵あんどの溜息が出た。セルシアはもう全部吸い終わってケロリとしている。サンリアは慎重しんちょうに、だが順調に少しずつ吸えているようだ。

「酒がうすいと難しいんだよな。人それぞれだから気にせず、楽になったら再開してくれ」

 レオンはうなずき、少し酔うきざしを感じるまで酒を飲んでから再開した。

 さきほどのような悪心おしんはもう訪れず、煙のせいなのか酒のせいなのか、むしろくらりといい気分で吸い終えた。

「これが煙草かぁ。大変だったな」

「煙草はもう一癖ひとくせあるけどな。まあ近い体験だろう。肺からナノマシンがお前らの体に入った。抗ウイルスや血糖値けっとうち記録なんかのボディメンテナンス用、医療用がほとんどだが、怪しいものもある。雷様ご謹製きんせいとかな。あとで解析してやろう」


『余計なことをするな、モルガン』


 クリスの頬の模様が浮かびあがり、かがやく蝶がひらひらと舞いでた。モルガンとリノが眉をひそめる。

「……雷様かよ。こりゃずいぶん御大層ごたいそうなことで……うちの工房を使うなら、覚悟の上じゃないのかね」

『記憶を消されたいのか? 俺の監理かんりを嫌ってこのスラムを造りあげたのだから、お互い不干渉ふかんしょうでいるべきだろう』

「そりゃあごもっともだ。まさか聞かれているとは思わなくてな」

『聞いていたわけではない、聞こえてしまうのだよ。今は聞きずてならないから反応しただけだ』

「そーでしたそーでした。で? なんのナノマシンだったんだ? 解析されたくないなら教えろ」

『翻訳デバイス無しで特定の言語を理解させるための写像しゃぞう関数かんすう装置そうち。それから、魔力補助のナノマシンだよ』

「……魔力ゥ?」

 店内に微妙な沈黙が降りた。蝶がひらひらとカウンターにとまる。モルガンは苦虫にがむしみつぶした顔でそれをにらんだ。


『モルガンは魔法を信じないのだな。まあそれはいい。ヒトの科学が追い付くまで、理解できないゆえに認識できないモノが増えるだけだ。理解できずとも信じれば、認識できる。私の神の力と同じだ』

「俺は神の力とやらも信じてねーぞ。半人半モジュールなだけだ、お前は。この街の甘くけぶる大気に満ちあふれているナノマシンもお前だ。その処理能力には舌を巻くが、それだってテメエの人の身でこなしてるわけじゃねえ。意識と思考を機械にたくし、ほぼ人であることを放棄ほうきした最初の人間がお前だ、雷様」

『そういう面も多いにある』

 神を否定されても、あっさりと雷様は受けいれた。

『だがそれだけではない。たとえば私は生身でも、そして国外でも、神の力をあやつることができる』

「そりゃあおめえ……ナノマシン持ちあるいてるんだろ」

『さてね。神を信じないならばそういう結論で永久にとどまり認識を阻害そがいされるだろう。私はかまわない。ところで……その、リンスとは』

 雷様が言葉を切る。モルガンは蝶から目をそらした。

『……今も円満に暮らしている』

「……そうかよ」

 そう声をしぼり出すと、老いた店主は深く溜息をついた。



 店を出て、再びゴンドラに乗った。リノは外まで見送りに来た。やわらかい笑顔だが無言でクリスに手を振り、鐘がカラカランと鳴った。

 今や世界は情報にあふれていた。電子看板がいたる所に張りだし、人の影身かげみが歩きまわっている。店のたなには商品が投影され、白くかがやく電子猫まで闊歩かっぽしている。ご丁寧にドブのにおいがしてきたのでレオンが眉をひそめると、カットするかどうかのウインドウが出たのでカットを選択した。すると綺麗きれいさっぱり嫌な臭いはしなくなった。雰囲気作りのためだけの要素だったか、あるいは、彼の嗅覚きゅうかくになんらかの働きかけがされているのかもしれない。

 レオン、サンリア、セルシアは、名前と旅人という身分だけが公開情報に表示されていた。

「なあクリス、リンスって誰だったんだ?」

「あー……雷様の今の奥さんだよ。そんで、モルガンの叔父貴おじきの妹だ。叔父貴は雷様を恨んでるんだ。つい伴侶はんりょを一人と定め、ともに老いて死ぬ、そんな人間的な幸せを妹からうばったってねー」

「ふーん……よく分からないな、神様ってえらいんだろ? 結婚したら裕福ゆうふくらせるんじゃねーの?」

「モノには不自由しないと思うよー。でも……自分ばかりが年老としおいて、死んだら次のつまめとられる。そういうのにえられる人はあんまりいなかった。

 何人かの奥さんの話を見聞きしたけど……

 皆最期には自殺したんだ」

「自殺、できるんですか? このシステムの中で」

 セルシアが首をかしげる。喉の傷を治すなどという話が出るくらい医療モジュールとやらは優秀ゆうしゅうなのだろう、それが体内に存在していてどうやって体を殺すことができるのだろうか、と彼は不思議に思ったのだった。

「ナノマシンを統括とうかつするモジュールを意図的におさえこめばね。不意の事故なんかではほぼ死なないよー。でも死にたいと本人が思うなら、それにそむくことは機械にはできないんだ。もちろん死ぬ途中で一瞬でも後悔こうかいしたらそく蘇生そせいされる。

 だから実際死ぬにはものすごい決意が必要なんだなー……」

「リノさんの、あの傷はもしかして……」

「……まあ、さっするよね。うん……あれも、うらみ、かなー」


 しばらく沈黙が続き、セルシアが背負っていたティルーンを胸にかかえてゴンドラの床に座った。

 カバーを外してゆっくりと歌いはじめる。



幸せな国とはなんだろう

事故や病気は無くなろう

それでも闇は残るだろう

雲の上でもまだ足りぬ

これより上はえられぬ

まぶしさに目がける

の冷たさに手が凍る

求めるほどに逃げてゆく……



「セルシア。さん。んもー、やめよっか、それ。よくないよー。そういうの、よくないよ……」

 クリスがめそめそと泣き出したので、セルシアは歌をやめてただおだやかにティルーンを爪弾つまびいた。これ以上クリスをいじめるつもりはなかった。

 この世界は天の光彩こうさいに満ちあふれうつくしく、光よりもせわしなく、地にうずくまる民にりそうことはなかった。

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