海の世界

ぬしさま、終わりました」

 深い森の向こうに広がる巨大なみずうみ。そのほとりに、川のように長い水色の髪をもつ少女が立っている。彼女の声が何も無い水面をわたると、ザバリと水が持ち上げられ、美しくあやしげな女の姿すがたを取った。その体はゆうかしてかがやいていたが、やがてこうせいが完了したのか人と変わらない体になり、その光を白いはだの上にはんしゃさせ始めた。

『今日もおつかれ様。ずいぶん早く出来るようになりましたね』

 水で出来た女の内側からやさしい声の様な音がひびき、言葉となる。どうやらめられたらしい少女は顔を赤くしてはにかんだ。

「ありがとうございます、主様! はい、がんばりました!」

『良い子ですね。これで今日も時間がかせげる……。』

 主様と呼ばれたじんがいの女は、湖の上にてんかいする彼女の街を満足そうにった。少女の方はしばらくこうかくを上げたままそんな主の横顔を見つめていたが、やがて真顔にもどると、おずおずと口を開いた。

「主様……、なぜこちらから打って出ないのですか? こんなにだいじゅつを使い続けてまで、私達がげる必要はあるのですか?」

『フィーネ。私は子供達がきずつくのを見たくない。戦いになれば、貴女あなたと私はだとしても、命を落とす子供達が出てくるの。このまま彼らをあちらにゆうどうして、私達は、剣の仲間をむかえに行く。このほうしんは変えられません』

「それは……分かっているのですが……」

 この世界がどうすることによってしょうされるりょくりょうは、じんじょうではない。世界を動かすということは、つねに新しい世界を作り続けるということだ。そんなあらわざを続けていれば、このせかいごと、れる可能性だってある。フィーネにとっては何よりも大切な〈主様ぬしさま〉が、ヒトのために枯れてしまうなど、絶対にあってはならないことだった。

 フィーネはその心配を、しかし彼女が信じる神にちょくせつぶつけることは出来なかった。

『フィーネ、貴女は私のだいこうしゃ。戦いたいとねがうのは、貴女の優しさのうらがえしでしょう』

 彼女の神はそんな心をかすように言い当てる。

『この世界は美しいわ。私の大事なたからもの。でも彼らだって同じ……人間だから。私達〈たまご〉は人を守る神となってほしいと遠いむかしいのりを受け取った。だから、〈海の卵〉である私にとっては、夜のたみも、守らなければいけないものなのよ。私は彼らと戦うことは出来ない……、でも、逃げなければこの世界ごとうばわれてしまう。剣の仲間にたよるのが、たったひとつのえたやり方なのです』

 神と呼ばれる存在として、当然のことをしているのだろう。フィーネはただうつむいて、主のかくを受け入れようとした。はたり、となみだがひとつこぼれ落ちた。水のである彼女にも、涙をせいぎょするだけの心の強さは、まだ無かった。

「……主様は、いなくなってしまわないで下さいね」

『私は大丈夫。この世界、いいえ、この次元すべての水の中に私は生きている。本体に死のがいねんでも書き込まれない限り、私は何度でもよみがえり、力を取り戻すことが出来る……』

「それでも……」

 使いたした魔力は、すぐに元通りというわけにはいかないと、主の子供として魔力を受けついでいるフィーネはいたいほど良く分かっていた。数年、下手したら数十年、数百年の時がかかるかもしれない。まだ十六年しか生きていないフィーネには、そうぞうもつかない、とてもえられそうにない時間に感じられた。

「……それでも、いや、です。主様は、私の全てなんです。そういうふうに生きろと私を生ませたのは、主様じゃないですか……!」

 そう、彼女はフィーネのであり、神であり、つかえる主であり、しょうらいの結婚相手だった。

 水の巫女は代々、この神の作品だ。

 フィーネももう少し大人になったら、この神との間に子を宿やどす。

 そしてその子を次代の巫女として、しん殿でんの内で十歳になるまでそだてたら、自分の母親と同じように、全てを忘れさせられて追い出される。

 彼女にとってそれは、そういうものでしかなかった。

 何をおかしいと感じることもなく。

 彼女の世界には、彼女と主しかいなかった。

 そう育てたはずの主は、ほほみながらもきっぱりと首を横にる。

『……フィーネ。貴女はまだ、この湖と神殿の中しか世界を知りません。貴女はこれから水の剣の主として、彼らと共に旅をする……。そうすればきっと、今のような言葉は口に出来なくなるでしょう』

「他にも大事なものが出来る……ということですか?」

『そうです。私は、フィーネが旅に出て、成長して生き方を変えたとしても、その貴女をそんちょうします。もちろん、次の代を生みたくないと言われてしまうとこまりますが……旅とは、仲間との出会いとは良いものですよ』

 自身の神にそう言われて、フィーネはそういうものかとすんなりなっとくした。仲間なんてものは彼女にとってすぎて、ぎゃくうたがう気持ちも起こらなかった。そういう点において彼女はまだ、何も知らず考えることもしない、神のあやつり人形のようなものだった。

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