雲の世界

 世界中で一番幸福な国にも、うっくつかかえる者達は存在する。

 彼は自室に引きこもり、コンピュータぐんをフルどうさせながら、自身のしょうめいやっになっていた。

(……これが、完成すれば、僕は)

 七色のラインが入った半球型のコントローラデバイスの上を彼の白く細い右手指がふくざつすべる。

 ちゅうい、見えない何かをあやつっていた左手がぎゅっと固くにぎられ、それから深いたんそくと共に力抜けたようにゆるんで、彼のかたさすった。きゃしゃな背中に重そうな金色のみがれる。その細い首には、わるちする大きなきずのどおうだんして入っていた。

「……リノちゃーん、ハピバー」

 彼の後ろからこえかった。リノとばれた彼はぎょうの手を止めて、りゅうせんけいの背もたれをくるりと回す。彼がゆいいつ自室に立ち入りを許している、短いちゃぱつおおがらな青年が、彼のじゃになりやしないかというおそれと、どうしても伝えたいというせつじつな思いに揺れる目で、しかし堂々どうどうとそこに立っていた。

 リノが青年を見上げる。口はムスッとへの字にむすばれたままひらかない。ややあって、青年がハァとためいきをつく。

「五月どころか六月になりそうだよ~! 気付いて! ほら! 俺のこうかいじょうほう! 十九歳になってるよ!」

 リノのねむそうなけんにびっと人差し指が突き出される。

 リノはその指先をチラッと確認すると、めいわくそうにまゆひそめてから両手で目をこすり、欠伸あくびころしながらすじばした。

「あの……おいわいとか、しませんか」

 青年がおずおずと口を開き、いっぱくいて、しょうする。

ようですか」

 ……青年の一人もうではない。リノののどつぶれていて声が出ない。青年が会話できているのは、リノの声をさいげんしたごうせいおんせいが、青年のちょうかくかくちょうモジュールに届けられているからだった。


「あんま強い酒はたのむんじゃねーぞ、僕は今いそがしいんだ。お前のめんくさい酒に付き合うつもりはないからな」

 リノが作業を再開しながら青年に〈声〉をとどける。

「分かってるよー」

 青年の方はリノのしおたいおうにもれっこの様で、俺がえらんでいいのー?と言いながらAR拡張現実まえメニュー表を開いた。

 間もなくリノの自室にバースデーケーキとシャンパンの出前が届く。リノはそれをいちべつし、やれやれと言いたげに首を振った。

あまいもんに酒合わすのってしゅわるいよね」

「去年のリノちゃんは喜んでくれたのに……」

「そうだっけなぁ。とりあえず、はい」

 リノが部屋のしょっだなからグラスとさら、フォークとナイフを取り出しテーブルに並べてやると、青年はたんうれしそうな顔になった。

「ちゃんと俺の分もある!」

「当たり前だろ、僕を何だと思ってんだよ」

「えっ、天使?」

「気持ち悪っ」

 リノがはなで笑っても、青年はとても幸せそうで。

たんじょうおめでとう、リノ!」

「誕生日おめでとう、クリス」

 はく色のあわを立てるえきたいそそいだグラスがぶつかる音。

 この五月。リノは十七歳、クリスは十九歳になった。

 りょうモジュールのおかげいんしゅねんれいせいげんせいじんにんていそろえられたが、まだ大人としてははんにんまえだ。

 それを、ここから、くつがえす。

 リノはほほを赤らめてグラスをかたむけながら、心にもほのおともるのを感じていた。



「ねえ、貴方あなた。今日はあの子の誕生日よ」

「ああ、そうだな」

 げに美しき〈そうてん〉の、こんごうきゅうばれるもっとごうしゃいっかくきゅう殿でんに住まう主人としてはおよそつかわしくないけいそうふうが月をながめていた。男はよわい三十までいかない見た目の青年で、かみだけが白一色になっている。一方女はおだやかな顔をしているが、ゆたかな金色の髪に、しらがかなりじり始めている。

「リノ、帰ってこなかったわねぇ」

「この前会ったばかりだろう。それに、クリスと二人の方があの子も幸せそうだ」

「それは、ええ、それで良いのだけど……」

「……もうすぐ、さらぬわかれがやって来る。あの子には今の間だけでも幸せでいてもらいたい」

「……カミナ。それって、どういうこと?」

とうかいに、〈かみなりけん〉を出す」

 女はハッとして男の顔を見た。かたけつひょうじょうだった。

「……それじゃあ……ってしまうのね……」

 女は自分の息子をおもい、まごを想い、ちんつうおもちで首をよこった。

「……お前にも、辛い思いをさせる」

かたいわ……それでも貴方のそばにいたいと思ったのだもの」

「リンス……お前も、あの子達も、俺のたからだ」

「知っているわ。私のかみさま

 くもの中にかくされたこの〈蒼天〉では、必ず空が切り取られている。うつくしい星と月が雲で出来たがくかざられている。にはこんなにゆうな時間がたゆっているのに、若者達はそんなものより、身をせ合いめ切ったくらい部屋でごすことの方を選ぶ。

 人は、人無しでは生きられない。

 それをうばおうとしている自分がなさけなくて、しかしうんめいを変えるわけにもいかず、神様と呼ばれた男はだまってただあいする者のかたくのだった。

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