楽園の裏側

 やがて笛吹きが指差したのは、紺色こんいろのテントだった。

「あそこの人だかりだよ。僕権限で裏まで連れていってあげよう。その前に曲を聞いていくかい?」

「ええ、ぜひお聴きしたいわ」


 若い、というより幼い風貌ふうぼうの割に顔が利くらしい笛吹きに引っぱられたサンリア、に引っぱられたレオンは最前列に来た。

 目の前に立つ見目みめうるわしい女の歌手が一人。長い白曇しらぐもりの金髪を前に流し、マントを肩までいでいる。

 その左ななめ後方に首の長い大きな弦楽器をかかえて座る男が一人。わずかに夕雲の気配をおびた灰色の髪は襟首えりくびまで伸び、口もとに生まれつきのような自然な微笑み。白く高い鼻すじに細い銀縁ぎんぶちのメガネをかけて楽器の調ちょうせいをしている。

 あの楽器がティルーンで、その持ち主がセルシアなのだろう、とレオンはけんとうをつけた。

 歌い手が笛吹きに気づき、微笑んで右手を差しのべる。

 こんな予定じゃなかったんだけどな、と彼はレオン達に軽く肩をすくめてみせてから彼女の手を取って演奏側に回り、テントの前に並べてある楽器から今度は大きめの縦笛を手にとり、弾き手のとなりに立った。

 弾き手が笛吹きを見て一瞬ニヤリとしてから、メガネを外して目を閉じ、穏やかな旋律をかなではじめる。

 聴衆の心をやわらかい風が吹き抜け、セッションが始まった。



そらは遠く 君の上にも

変わらずにある そう信じてる


幼いころの 僕らはいつも

その生き方を 疑いもせず

十年先や もっと未来を

共に過ごすと 決めつけていた


人のえにしは 分からないもの

今では君は 遠い世界で

僕を忘れて あの騎士のそば

庭の花さえ 見慣れない青


ラララそれでも 僕は今でも

君を想うよ ダリアに寄せて

僕は幸せ そうさ幸せ

それでも君を 忘れはしない


御空は遠く 君の上にも

祈りを運ぶ 永久とわに幸あれ


あの時君は 僕を捨てたね

僕が気づいた 時にはすでに

あの美しい 花はれてた

もう許してる ただなつかしい


今願うのは 君の平安

いつか再び らいでもいい

かなうことなら 話がしたい

昔話を たくさんしたい


ラララそういや 僕は今まで

君をしたって 泣いたことなし

君は幸せ きっと幸せ

笑顔のうちに 君を想うよ


御空は遠く……



 透明な声に笛の軽やかなメロディが重なり、高い空のように人の心を晴れわたらせる。

 弦のひびきは時に低く時に高く、歌詞に寄りそい、同時に底から支えながらゆったりと流れる。

 それは美しい昔に想いをせ、最も別れがたい人との別れをしのぶ、せつない歌。

 それは大切な人を失いながらも自分の道をたくましく生きようとする、強い歌。

 とらえ方は聴き手の自由。

 かいしゃくは歌い手の仕事でない。

 ただありのままをかなで歌う、それが音の民。


 最後のつまきのいんが消えた時、聴衆からとうの拍手が巻き起こった。

 ぼうっとしていたレオンもあわてて拍手する。

 と、ぐいっと後ろに引っぱられた。

 サンリアだ。しかし彼女もらんぼうに引っぱられている。

 誰に……?



 あっというまに二人は路地ろじうらの空き家に連れ込まれ、がんこうするどい男達に囲まれてしまった。

 二人の悪漢あっかんが前に出てくる。


「おいチビ、さっきは調子に乗りすぎたな」

 背の低い方がサンリアに話しかけた。

「あやまるんなら今のうちだぜ」

 のうまできんにくのような体つきの方の男も口を開く。

 サンリアは彼らをにらみつけて溜息をついた。


「何言ってんの? 私はけで勝ったのよ、せいとうにね。

 しかもあんた達ったら言いがねの半分しか持ってなかったのにかんべんしてやったのよ。感謝されてもおかしくないのに何であやまんなきゃいけないわけ?」

 自分が走っていた四時間あまりの間に賭けごとなんか……しかも、全部まきあげたのか。レオンはとなりでぜっした。


「ガキがごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ!」


 何か言おうと口を開けたサンリアのりょうほほを、のうきん男がとっさにがっちりとかわぶくろをはめた片手ではさんだ。

 サンリアは何も言えず、口を閉めようにも閉められず、痛みをこらえながら脳筋をめつけた。

 おとこがニヤついてサンリアの髪をつかみ上げる。

 レオンは思わず手をのばしたが、脳筋に余った左手で張りとばされた。壁に叩きつけられ、目が回る。完全にびたと思われたのか、ついげきが来ないのがさいわいだった。

 小男の笑い声が聞こえる。


「良いねぇその目! 早く泣かせてやりたいよ。ルグリアに来るのはもう少し大人になってからにするんだったな。マトモな音の民には相手にされなかったろ? お前らみたいなカワイソウなやつのために俺がひとはだいでやろうってんだ。

 感謝しろよ? チビ。わかったら、その口はもっとマシなことに使え」

「アルソエ、お前と一緒にすんな。俺はその趣味はねぇ。ざわりは早く消すのみだ」


 脳筋のし殺した声、つづいてサンリアのくぐもった悲鳴。レオンは意識があるとバレないようにうずくまりながら、剣の柄に手をかけた。


「まぁ待てや。お前には無くても、何人かはそのために来てんだ。あ、抵抗すんなよ、分かってるよな。大切な坊やが死んじまうぜ?」

 ぐるぐる回っていたレオンの視界がようやく戻る。男達にむりやりおさえつけられたサンリアの頭が、すきから見えた。

(何、を、して、る、お前っ)

 その瞬間、彼は強く光り輝く剣を抜いていた。


 まっしぐらに小男の頭を落とす。しかし、〈それ〉は頭を失ってもサンリアを手放さない。その化け物じみたみにくい姿を見て、彼の脳は完全に沸騰ふっとうした。


 小男の腕が落ちる。

 脳筋の腹が割れる。

 歪んだ少女の顔。

 叫び声。

 あわただしい足音。

 敵はどこだ。

 はどこだ。

 遅まきながら抜かれる剣が十本。

 そこにいたか。

 剣が八本。

 これで六本。

 開かれる扉と差しこんだ光に気を取られた一瞬、剣が飛ばされる。

 牙が。

 思わず振り向き、背中ががら空きになってしまった。

 殺られるか──

「──ッ!?」

 目の前に広がるはやみ

 布だ。

 痛みは、無い。

 レオンの理性を呼び戻すような、低く落ちついた声が聞こえる。

「……おとなげない」

 肉を斬る音。誰かが代わりに戦っている?

 レオンは頭からかぶせられた布をどけた。灰色のマントのようだ。

「全く……」

 かげの中に見おぼえのない、背の高い人物がいる。

 彼はおそってきた剣をかわして振りかえり、相手の頸椎けいついを突き刺した。

 急所をはずす気はないらしい。

 さらに三人をまとめ斬りする。

「子供一人に何人がかりですか?」

 それでも起き上がろうとした一人ののどに剣を突き立てる。そいつはもう動くことはないだろう。


「もう終わりですよね。それとも、まだやるんですか?」


 彼はいつくばる男達にニコリと微笑んだ。冷たい笑みだった。

 くるりとレオンの方を向く。

(あ……)

「ティルーンの人……!」

 レオンは息を飲んだ。灰色の髪の人はパッと明るい顔になった。

「そうです、僕はセルシアといいます。どうぞよろしく」

「あ、はぁ。レオン……です。よろしく」

 がらにもなく敬語を使ってしまった。

 セルシアは笑顔のままズボンのポケットから布を取りだし、彼の剣をぬぐった。

 そして飛ばされたままのレオンの剣を拾おうとし、

「う……!」

 とっさに目をつぶり、あわてて手を離す。

 何が起きたのか彼自身もわからないようすでしばらくしつしたあと、レオンの方をじっと見てきた。

「あ……それ、」

(私は持てないの。つかにぎると目の前が真っ白になるから)

 レオンはサンリアの言葉を思いだし、かけよって剣を拾いあげた。

 セルシアはげんな顔をしながらも布をレオンに手渡した。レオンはども、と言って剣を拭った。

 レオンがさやに戻したところで、もういいと判断したのかセルシアが口を開く。

「それ、光の剣ですか?」

「え?」

「グラードシャインではないですか?」

 大正解だが、突然すぎてレオンはあせった。やっとこさ声をしぼりだす。

「……とりあえず、サンリア」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る