闇夜の森

「しかし……きったねーなー……」

 落ち着いて改めて自分の格好を見直すと、返り血で服も体も酷く汚れている。

(仕方ねぇ、川に入るしかないか……)

 幸い今は春の終わりでもある。れたまま放置しなければ風邪かぜを引く事もあるまい。

 彼はせせらぎの音を頼りに川に出た。


 まず手足を洗い、服を脱ぎ下着のみの格好でそれを川原で踏み洗う。

 そして剣を水洗いし、タオルを濡らして汚れを落とす。

 改めて見るとその剣は今は、月の光の様に淡く銀色に輝いていた。


(光の剣、か)


 しかし、既に先程の戦いでくもりが一つ。

 その曇りは彼自身の心を映してか、いくみがいても決して落ちようとはしなかった。

 少し憂鬱ゆううつな気分で彼はそれをながめたが、砥石といしを手に入れれば解決する事だ、と深くは考えなかった。


 それから頭を水に突っ込み、髪と顔を洗った。途中で面倒になり、川のどこまでもあさいのを確認してから下着も脱いで飛び込んだ。

 タオルを別で持って来ておいて良かった、と思う。リストバンドにしている小さい方のタオルは洗わないと使い物にならない。

 やがて水から上がり、けものの様に執拗しつように頭を振ると、髪の水気は粗方あらかた飛んだ。

 下着を洗ってタオルの上で踏みながら、他の衣服をしぼりきる。それでもまだ湿しめっているそれらをき布団にするには、季節柄きせつがら少し早い。何処どこかの枝に引っ掛けて干しておくしかなさそうだ。


 洗い直して絞ったタオルを肩に掛け、下着姿で洗濯物を抱え元の茂みの奥に戻ると、髪を濡らしたサンリアが立っていた。パンツ一丁の彼を見て少し眉をひそめたようだったが、レオンは気づかなかった。

「早いな」

「私は貴方みたいに返り血浴びてないもの。そんなに一杯の洗濯せんたくの必要は無かったから」

「そか。でもさ……風邪引くぞ、ほら」

 レオンはタオルを橙色の頭の上に被せた。サンリアはさっと頭にせられたものをつかんで確認したようだった。

「ありがと……」

「どったまして。じゃ、俺はこっちのの上で寝るから。おやすみ」


 星明かりだけでは彼女の顔はよく見えない。

 目を細めているのは……眠いのか、泣いているのか、笑っているのか?


「……おやすみ、レオン」

「おう」


 暗く、消え入りそうな森の中。

 何処かでフクロウが、嬉しそうにホウといた。



 サンリアは過去の体験を夢に見た。

 少女は、物心ついた時から狙われていた。

 それをうらんだこともある。しかし、恨んでもいいから実力をつけよと言われてしまえば、それもそうかと納得するのだった。

 祖父も、その相棒も、嫌いだった訳ではない。

 しかし、好きか?と問われると、素直にうなずくには、色々なことがあり過ぎたのも事実だ。

 だから彼女は自分に言い聞かせる。

「仕方ないでしょ、家族なんだから」


 十と一の誕生日を少し過ぎた頃だった。

 彼女が祖父と共に住んでいると勘違いした、〈神の鳥〉ヨルルを狙う不逞ふていやからが家に押し入った。

 彼女をしばり上げ、目当ての物がないと分かると、その輩は彼女が秘密を漏らさぬよう、彼女に恐怖を教えこんだ。

 何故殺さないのか……、ああ、また這入はいってくるつもりなんだ。私がこいつに屈して、ヨルルを差し出すと思ってるんだ。また、来るのか。それは、嫌だ。気持ち悪い。怖い。助けて。

 クルルはもう眠ってる。あの子は普通の鳥だ。私は独りだ。


 そう、じーちゃんの鳥を差し出すまで、これが続くんだ。


 彼女は理解した。

 次に、どうするべきかを考えた。

 こいつをだまそう。騙して、準備して、おびき出して、殺す。

 彼女は心をかたく閉ざし、おびえる自分にちかいの言葉を手向け続けた。

 未明、男が去った後、力尽きるように眠りに落ちる彼女の目尻から、一筋涙がこぼれた。

 恐怖と苦痛と嫌悪の涙はとっくにれている筈で。

 それは、誰かの死をいたむ涙に似ていた。


 一人では太刀打たちうちできなかった。彼女に思いを寄せる同じ村長候補の少年をそそのかし、二人でその男を始末した。

 いざ暴漢ぼうかんの死体を前にすると、少年はふるえ出した。

「お、俺、人を殺しちゃった」

「いいえ、私が殺したのよ。ミノミオは死体を殴っただけ。私が合図をした時点で、こいつは死んだんだわ。だから、ね? ミノミオは悪くない」

「う、う……サンリア……サンリアぁ……」

 少年は感情が高ぶっているのか、さも当然の権利かのように彼女に抱き着いてきた。

 今回は彼の手柄なので、すがままにされつつ、彼の頭をでつつ、これでは暴漢と変わらないではないか、と彼女はこっそり溜息をついた。

「俺、お前が成人したら、嫁にしてやるからな。村長になって、こうやって、一生、まもってやるからな……!」

 何も嬉しくない。村長候補を諦めろと、私の将来の夢をうばうと宣言したようなものだ。彼女の気持ちは冷え切っていた。


「……きよ。起きよ、サンリア」


 祖父の声に気付き、サンリアは飛び起きた。いつの間にか朝になっていた。死体もそのまま。ミノミオは先に起こされたのか、すみで小さくなっている。

「ワシの知らぬ間に、随分ずいぶんと進展したようじゃな? とりあえず、お前は身をきよめてこい」

 サンリアは気が動転していたが、言い付けは絶対だ。うなずくやいなや、湯浴ゆあみの準備を始めた。


(何でじーちゃんが私の家に。ミノミオはじーちゃんに何と言い訳するのかな。人を殺したのは勿論もちろんつみになる。ああ、私に誘惑ゆうわくされた、なんて言われたら困るな。でも仕方ないよね。私は私の最善さいぜんくしただけ。ずるいと言われてもかまわない。うーん、それより、まさか勝手に婚約こんやくとか決められてないわよね……)


 部屋に戻ると、ミノミオの姿も死体も綺麗きれいに無くなっていた。

 じーちゃんが草臥くたびれた様子で座り込んでいる。

「……戻ったか。サンリア、こっちにおいで」

 サンリアが祖父の前に座ろうとすると、祖父はさら手招てまねきした。隣にくっついて座ると、祖父はそっと肩を抱き寄せた。じーちゃんに抱擁ほうようされたのはいつ以来だろうか。

「ワシも男じゃから、今は嫌かもしれんな。……可哀想かわいそうなことをした。ワシのせいじゃ。すまん」

 じーちゃんのせいじゃない、と言おうとしたサンリアの両目から、せきを切ったように涙が流れ出た。

「もうこんなことをせずとも、サンリアが戦えるようになるまで、ワシが護ってやろう。家には警備けいびをつける。次の旅にはサンリアも連れていってやろう。ワシの大事な大事なサンリアよ……」


 ミノミオは、今後一切私的にサンリアに干渉かんしょうすることを禁止された。会話はおろか、会釈えしゃく目配めくばせもナシだ。その処置しょちにするか婚約するかの二択を問われ、サンリアが迷わず前者を選んだからだ。ミノミオは項垂うなだれて、何も言わなかった。

 しばらくして、男をたぶらかす若い悪女のうわさが立った。名指しではないが、サンリアの事だった。あの場に祖父が来たということは、誰かがぐちしたということだろう。村長候補なんて皆クソッタレな奴らだ。足を引っ張ることしかできないのか。

 村長候補としては致命的ちめいてきな悪評だが、彼女はもう気にしなかった。村に対する執着しゅうちゃくは消え失せ、ただ強くなりたいと願うようになっていた。村長にはなれなくても、村長候補としての教育は役に立つ。

 皮肉なことに、彼女の成績せいせきはそれ以降うなぎ登りになるのだった。

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