純白の剣

 森を出て、神社の境内けいだいへ。レオンがさっきまでいた森は、彼と義理の兄が二人で暮らすアパートからほど近い、このさびれた神社の周囲に広がっている。レオンはこの森が大好きで、小さい頃からよくここへ来ていたのだ。

 たまに今日のように森へ兄のカメラを持ち出しては、さつえいした写真をSNSにアップする。最近は何故かそこそこ評判が良く、SNSのフォロワーは千人を超えている。グッズや展示の話などはまだ来たことがないが、ゆくゆくは写真で食べていけたらな、なんて考えたりもする。写真のために大学で勉強したい、なんてしゅしょうな考えにはいたらない彼なのだが。

 しかし、兄のシオンはこの森の良さを知らないようだった。神社の裏にぞうばやしはあるが、森と呼べるようなものでもないだろ、という印象らしい。すぐ近くなのに、とレオンは不思議がったものだ。


「おう、お帰り」

レオンが昼食をとりに帰宅すると、玄関げんかんで兄のシオンがゆかそうしていた。丁寧ていねいに上から順番に掃除する彼なので、きっと仕上げの段階なのだろう。

「ただいま! 昼飯なに?」

「お前なぁ、たまには手伝えよ……。昨日の残りのミネストローネと、サンドイッチと、とりハムがそろそろヤバいからチキンシーザーサラダ作っといた」

 手伝う余地がない。さすが万能の兄である。

「シオンは良いだんさんになるなー!」

「まかせろ、いつ彼女に婿むこように呼ばれても大丈夫だ。ま、手の掛かる〈弟〉がいなけりゃの話だがな」

「えーっ、俺のせい?!」

 レオンがつとめて明るくこうすると、兄は笑いながら掃除道具をかたづけに風呂場に向かった。

(……まあ、俺のせい、だよな)

 レオンは玄関のかがみにうつる、所在しょざいなげにカメラを抱えた少年を軽くにらんでやった。


 レオンとシオンは連れ子同士で血がつながっていない。その両親を早くにくしたため、シオンがさんをやりくりしつつ、ずっとレオンの面倒を見てくれていた。

 レオンは中学を卒業したあと、高校には進学せず、しゅのカメラをやらせてもらっている。学力的に厳しくて、進学しないと決めた時、就職しゅうしょく先を探そうとしていたらシオンに止められた。家計は大丈夫なのか?と聞くと、

「お前は今は自分のやりたいことをしろ。金のことを考えるのは大人になってからで十分だ」

 と男前な言葉が返ってきた。だからせめて、良い写真をって喜んでもらえればいいなと思う。


「早く食えよ、ほら」

「お、ありがとう! シオンは良いよなー。料理上手で」

「まーお前よりはな」

「俺だって一通り習ったぞ?!」

「俺に、な。どうせお前ひまなんだから晩も作ってくれりゃーいいのに」

「ん、今日は彼女のところへ行くのか?」

 シオンは真っ黒なコーヒーを飲みながら目を閉じ、レオンを無視した。

「行くのか!?」

「……それがどーした」

「行くなら泊まれって言いたかっただけ!」

「手の掛かるレオン君がいるから泊まれませーん」

「料理ぐらいなら大丈夫だって! そのかわり……」

「……土産みやげ話か?」

 つまり、下ネタである。昔は逐一ちくいちまんするように語ってくれたシオンだが、ある時をさかいに一切もくするようになった。本気の相手を見つけたのだろう。

「おう! たまにはきっちり教えてくれよな!」

「まだ早いだろ。お前彼女いないし」

「気になるもんは仕方ないだろ!?」

「断・固・と・し・て・拒・否・す・る」

「ケチ~!」

 レオンは口をとがらせ、突然き出した。シオンも笑う。何てことのないほがらかな日常だ。


「ごちそうさま! 今日もうまかったよ!」

「そりゃ良かった。じゃ、掃除の続きしますか」

「あ、待って待って! 今日はすげえもん撮ったんだ、ちょっと見てくれよ!」

「へえ……?」

 シオンに見せるためにカメラをパソコンにつなぐ。シオンが作業イスに座り、フォルダを開いて見始めた。

「今日のはここからか? ……ほー、こりゃりっぱな老木だな」

「だろ、それにほら、ここ見て! ……あれ?」

「ん?」


 写っていない。

 あの美しい剣は、写真には一枚も写っていなかった。


「……おかしいな。ここに剣がさってたんだよ、すっげぇれいな真っ白な剣……。俺がキュッとやったらスポッと抜けて……ここから何枚も写真撮ったんだけど……」

 レオンはあせってどうが速くなるのを感じた。シオンに見せようと思って撮ったのに。

 まずい。

 すごいものを見せると言ったのに。

 失望、されてしまう、のでは。

 そうなったら、俺は。俺の立場は。

「……はくちゅうでも見たんじゃないか?」

 シオンが軽く笑う。レオンはあわててべんめいしようとした。

「いや、ホントにあったんだって……そう、こんくらいの大きさの、何のかざりもないシンプルな剣でさ、びっくりするくらい軽くてキラキラしてて!」

 早口でまくし立てるレオンを、シオンが面白そうにながめてくる。

「それに、そうだ、抜いた時にサレイ母さんの声がしたんだよ! レオン、って……」


 そのしゅんかん、シオンの表情がすとんと抜け落ちた。


 レオンは兄の様子を見て、自分がやらかしたことに気付いた。

「……今のは笑えないじょうだんだな、レオン」

「違う、違うんだシオン! 冗談言いたくてウソついたんじゃない……」

「ふーん。まあ、夢で会えただけでも良かったな」

「う……」

 夢じゃなかったはずなのに、本当に手に取り声を聞いたはずなのに、それ以上主張できる雰囲気ではなかった。しかも、その後に展開された光景は、本当に夢を見せられていたのかもしれないと、自分でも思えてしまうのだ。

「……俺、昼からもっかい見に行ってくる」

「良いぞ、俺は掃除の後は彼女のとこ行ってくるから」

「分かった……」

 シオンは今の彼女ともう二年近く付き合っているらしい。

 兄がいないと生きていけない、というわけではない。と思う。

 明日から結婚して家を出ていくから、と言われても大丈夫な心がまえは出来ている。

 しかし、この家に二人で住んでいる限りは、兄に見放されるわけにはいかなかった。お前が出ていけと言われたら、レオンはとたんに途方にれる羽目になる。兄は優しいから、めったなことでそんな流れにはならないと思うが……

(サレイ母さんの話は危なかった)

 レオンは再びくつきながら、ふぅーっと長い溜息ためいきをついた。


 ──レオンはこの時まだ知らなかった。

 レオンにぶつけられた夢のような光景、遥か彼方まで見渡せるくらいおおきく幻想的な大樹を見たと、もし義兄に伝えていたら。

 義兄から出てくる言葉は、また違うものになっていただろうということを──



 レオンが剣を抜いて見た、世界をおおう大樹のこずえ

 今そこにいるのは、黒髪の男女だ。男の方は、この世のものとは思えぬほどうつくしく、血の通わぬ大理石の肌を持ち、宵闇よいやみ色の外套がいとうと、ゆたかにつやめく長髪を、気ままな風にまかせている。そのみがかれた黒曜石こくようせきの瞳は南の彼方かなた見据みすえていた。一方女はかしずいて、男に顔を伏せていた。

「ああ、始まったね、リン。」

 うつくしい男が声を掛ける。

「はい。仕上げのときでございます」

「お前は、まだそれをやるのかい?」

「ごがんじょうじゅされるまでは」

「……ご悲願、ね。フ、フ……リン、私の願いはね……」

 男がほほみながらゆっくりと、大樹の枝に身をゆだねる。

「……絶対に、かなわないんだ。」

 そうしてスッと消えうせた。

 残された女は立ち上がり、深呼吸して首を振る。

「絶対に、叶えてみせるわ。」

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