第7話
朝、と言っても窓もなく、時計もない部屋の中でそんなものが分かるはずもないため、寝て起きたから朝だ。
恢が起きたのは他でもない、爆音でクラシックが鳴り響いているからだ。
ちなみに曲はベートーヴェンの『運命』。だからと言って恢の運命が変わったり左右されたりすることは無いのだが、寝起きで聞くには、聊か騒々しい。
「僕のモーニングルーチンなんだ。恢には悪いけどここでは僕の方が先輩だから、好きにさせてもらうよ」
飛び起きた恢が心臓の鼓動を感じていると、何でもないような調子で紅茶を飲む美少年が居た。
昨日眠る前に誰もいないことを確認したはずだ。
「ここって俺の部屋で合ってるよね」
「ああ、そうだよ。正確には、僕と恢の部屋だね。ここでは基本的に相部屋だからね。あと、僕の方が先輩だってことを忘れないでくれよ」
間違えて入ったあの部屋も二人部屋であったし、この部屋にベッドが二つあったことの説明も付く。
「いやあ、恢がフラフラの状態で入ってきた時は驚いたよ。しかも、いきなりベッドに入るなんて僕みたいな紳士には到底できないよ」
皮肉交じりに話すその姿は、いくら先輩だとしても、敬う気にはなれない。それにどこからどう見ても同年代の少年だ。恢にとっては、とても鼻につく態度だ。
「ああ、そうかい」
第一印象で、馬が合わないと判断した恢は、適当な返事をし、眠りを妨げる爆音の元である蓄音機へと向かう。当然、使い方の知らない機械であるため、音の止め方が分からないが、何となく、回っているレコードを無理やり止めると、音が止んだ。
「おい! 何をやっているんだ! そんなに乱暴な止め方をしたら、壊れちゃうじゃあないか。これは、恢のような一般市民には到底買えない代物なんだぞ!」
「はいはいそうですか。どうせ親が汚い方法で稼いだ金だろ。清廉潔白な一般市民の俺は、甘やかされて育ったお坊ちゃまは経験したことがない、睡眠不足っていう重大な問題があるんだよ。だから、静かに寝かせてもらうよ」
クラシックに起こされるまで眠っていたふかふかのベッドに戻り、布団をかぶって堂々と二度寝をかます。
「おい、恢。今、僕の両親を悪く言ったな。お父様と、お母様は、立派な人なんだぞ! 二日も寝ていて、それでも寝不足だとかほざく堕落した愚民とは違うんだ! 人の悪口しか言えないひねくれ者には分からないだろうけどね」
「自己中で上から目線の人間を育てた親が立派ねぇ。そんなんで立派になれるなら、俺は、神になれそうだな。それよりさっきから思ってたけど、気軽に恢って呼ぶなよな。そんなに仲良くなった覚えはないぞ。仲良くなる以前に、初対面だろうが」
どちらが始めたわけでもない口喧嘩で、同室の二人は、いがみ合う。
喧嘩するほど仲が良いとは言うが、それは、ある程度の関係値が築かれている場合だろう。初対面の二人には当てはまるはずも無く、いうなれば、DNAレベルで犬猿の仲だろう。
話し始めて数秒で始まった喧嘩は収まるはずも無く、レコードをかけては、無理やり止めて、言い合いをする。そんなサイクルが二週ほどした頃、二人しか居ないはずの部屋で、何者かの声がそれを止める。
「恢君、秋澄君、ルームメイトでコミュニケーションを取るのは良い事だけれども、もう訓練の時間だよ。橄奈君が待ちくたびれているよ」
人の姿はない。しかし声がする。いち早くその正体に気が付いたのは、流石は先輩の秋澄であった。
「キルクスさん、すいません。僕は親切で起こしてあげたのに、低能の恢が突っかかってきたので遅くなってしまいました」
誰もいない、人が立てるはずも無い机がある方へ向かってまるでそこにキルクスがいるかのように話しかける。
「低能ってなんだよ。誰もいないとこに向かって話しているお前の方が低能って言葉が見合うだろ」
「はっ、これだから低能は、認知能力が低いのか、視野が狭すぎるぞ。少なくとも、恢より有能な僕には分からない感覚だね。ほら見たまえ、そこにキルクスがいらっしゃるじゃあないか」
秋澄が指し示す方向には、人影など存在しない。しかし、窓の無いこの室内に、何処から入って来たのか分からないカエルが一匹座っていた。ちなみに、種類は、マルメタピオカガエル、別名バジェットガエルだ。
「秋澄君、恢君のことを悪く言っちゃあだめだよ。それに、私自身はここにはいないからね」
「はい、すいません。善処します」
カエルが喋っている。キルクスの声で。
これは、魔法が使える世界での常識。というわけではない。非常識である。普段喋ることのないカエルが喋っているのだ。当然、恢は混乱する。先ほどまで口喧嘩をしつつも、すぐに眠れるような状態であったが、そんな眠気は吹き飛んだ。
「え、キルクスさんなんですか?」
「ああ、そうさ、これも私の固有魔法なんだ。そんなことよりも早く着替えた方がいいと思うよ。君たちの先生が何をするか分からない」
「俺、服持ってないですよ」
双子に出会った時のまま着替えていない恢は、他にカバンの中に入っているであろう学生服しか持っていない。さっき訓練と言っていたため、どちらもふさわしい服装とは言えない。
「ああ、それは安心してくれていい。恢君の左腕にブレスレットがついているよね。それのダイヤルを回転させてみてくれ」
嵌めた覚えがなく、不思議なほどに今まで違和感がなかったシルバーのシンプルなブレスレットは、内側に、時計の時刻を合わせるようなダイヤルがついていた。それを、言われた通り回すと、目の前にゲームのステータス画面のようなものが浮かび上がる。
「うわあ、えっ、えっ」
ダイヤルを回したことで出現したUIは、触れようとしても、自分の手がすり抜ける。
「うん。ちゃんと開けたようだね。手で触るんじゃあなくて、目線で操作するんだ。そこに登録すればすぐに着替えられるようになっているから、好きなように使ってくれて構わないよ。学生服と寝間着、ジャージは登録しておいたから、着替えてみてくれ」
スマートグラスのような操作方法で、『ジャージ』の欄を見つめると、『着用しますか』とメッセージが現れる。左下に出た『はい』を見つめると、UIが消え、ブレスレットを起点に全身が青白い光に包まれる。この感覚は、制服に着替える時と全く同じだ。
「うん、しっかり似合っているね。それじゃあ、秋澄君と一緒にアリーナに向かってね」
そう言ったカエルは、壁の方向にのそりと移動すると、そのまま溶け込むように消えていく。そこにいた痕跡は全くない。
魔法が使えるといっても、やはり、異常であるその現象を見る恢は、黒ベースに灰色のラインが入ったセットアップのジャージを纏っている。その胸と太ももには、鳥の羽の刺繡が施されていた。
「恢、いつまでボケっとしてるんだい? そんなんだから山で襲われたんだ。僕は先に行くからね」
やはり、鼻につく言い方で話しながら部屋の外に出ていく秋澄は、恢と色違いの青いラインが入ったジャージにいつの間にか着替えていた。
「おい、待てよ。俺は、アリーナがどこにあるかなんて知らないんだ。先に行かれたら、分からなくなるだろ」
「ふっ、だろうね」
恢を鼻で笑った秋澄は、アリーナに行くのを待つはずも無く、むしろ恢に追いつかれないように走り出した。
「あっ、クソ野郎!」
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