第5話

「もう何なんだよ。山なんて登るんじゃなかったよ」


 誰もいない部屋の中で、一人弱音を吐く恢は、自分の身に一体何が起きているのかも分からず、何をすべきかも分からずに、ただ案内された、案内というには雑すぎる無言の移動の末にたどり着いた部屋の入口で立っている事しかできなかった。


 一人呆然と立ち尽くしていると、後ろのドアが開き、油断していた恢にぶつかる。自分が思っていたよりも回復していなかった恢は、その衝撃で倒れてしまう。


「おっと、すまないね、大丈夫かい? 根本恢君」


ドアを開けて入ってきた男性が倒れこむ恢に手を差し出す。


「すいません。ありがとうございます」


 素直に差し出された手をつかみ、立ち上がる。よく見ると、男性は恢が連れ去られる所を助けてくれた人のようだ。服装がラフになっており、メガネもかけていたため、一目では分からなかった。


「あれ、なんで俺の名前……」


「それも含めて、座ってお話をしようか恢君。狭い部屋だけれど、残念ながらここしか空いていなかったんだ」


二つある椅子の片方に座るように促される。恩人である人の言葉に抗うことはせず、そのまま椅子に座る。記録員はいないが、本格的に取調の様になる。


「私は、仲間たちにキルクスと呼ばれている。恢君もそう呼んでくれて構わないよ。それで、メルリとシュックからはどこまで聞いているのかな」


「どこまでも何も、あの二人がサーカスのクラウンをやっている事しか」


 メルリが暗いところが怖いというのは、彼女の名誉のために伏せることにした。しかしキルクスは、それを聞いて表情を曇らせる。


「はぁ、本当にすまないね。あの二人には、恢君が目覚めたらある程度のことを説明するように頼んでいたんだけれどね。シュックがいるから大丈夫だと思っていたよ。その様子だとまた口喧嘩をしていたのかな」


 キルクスは、頭を抱えて、これからどうするか考えているようだった。


「うん、わかった。私が一から説明するよ。恢君は、二日も寝ていたんだから混乱しているだろうからね。あの二人は、後でちゃんと叱っておくから安心してね」


「はあ。えっ、二日も⁉」


 せいぜい数時間ほどだと思っていた恢は、驚いて大きな声を出してしまう。


「ああ、そうだよ」


 至極当然のことの様にキルクスが返答する。


「母さんが心配して捜索願を出してるかもしれない。それに学校も」


「そこら辺は、私たちが対応しておいたから大丈夫。安心してゆっくりしてくれ」


 安心してといわれても、何が起こっているのか分からない恢は、安心できるはずがない。


「じゃあ、まずは、ここについて話そうか。そうすれば納得してくれるはずだ。おっと、長話になるだろうから、飲み物でも用意しようか」


 キルクスが、戸棚から何も入っていないカップを二つ用意する。


「恢君は、珈琲と紅茶どちらがいいかな。それともオレンジジュースがあったはずだけれど、どうする?」


 どこかから飲み物を取ってくる様子は無く、恢の向かいに座りながら質問をする。


「えっと、珈琲でお願いします」


「おっ、私と恢君は趣味が合いそうだね」


 そういうとカップの上に手をかざす。


「スペースマジック ヴォカートス」


 カップが白く光ると、空だったはずの中身が、珈琲で満たされている。魔法であることはわかるが、今までに見たことがない魔法であったため、驚きを隠せない。


「え、あの、これって」


「ん? 普通の珈琲だよ。私がブレンドした豆なんだが、気に入ってくれると嬉しいね。ああ、恢君はブラックじゃない方がよかったかな」


 コーヒーが現れただけでも、恢の知る魔法の常識から離れているのにもかかわらず、期待とは違う返答ののち、キルクスは、砂糖とミルクも珈琲の隣に出現させる。ついでにカエル型のクッキーも。


「あ、いや、そうじゃなくて。その魔法は? それに、俺を助ける時にも知らない魔法を使っていましたよね」


「ああ、この魔法の事か。うん、それも含めて、順を追って説明していこう」


 キルクスは、カップを手に取り、珈琲を一口飲み込む。違和感のない華麗な動作は、いかにも紳士的で、優雅に見える。


 それに対して恢は、せっかく出してもらった砂糖とミルクなので、珈琲の中に入れるが、それを飲むほどの余裕は、まだない。


「さて、ここについてだが、『大規模魔法犯罪取締局』略してLMAの本部だ。君の住んでいる町とは少し離れているが、いつでもすぐに送り届けられるから安心してくれ。一応、警察の組織の一部となっている。といっても、ほぼ独立した所だから、定期連絡くらいしか関わりがないんだけれどね」


「えっ、警察なんですか。俺、何にも悪いことはしてないですよ」


「うん、知っているよ。むしろ被害者であることもね」


 警察といわれても、恢がここで出会った人物はキルクスを除き未成年であるため、信じ難いが、取調室のようなこの部屋には、納得ができた。本当ならば、警察ほど安心できる場所はない。


「それと、サーカス団も併設している。恢君が会ったメルリとシュック、それに、ここまで案内したレネザさんは、ここに所属しているんだ。局員はいろいろと忙しくて、あの二人を選んだんだけれど、人選ミスだったようだね」


 なぜ警察とサーカスが一緒になっているのだろうか。何のかかわりもないように思える。恢の中で不安と不信感が増幅する。


「あっ、今、なんで警察とサーカスがって思ったでしょ。そりゃあそうだ。何も間違ったことじゃあない。当然疑問に思うことだ」


 話を聞いていた恢は、思ったことを顔に出していたらしい。的確にキルクスに当てられてしまう。


「少しだけ歴史の話をしようか。魔前歴は知っているよね。今じゃあ考えられないけれど、人間が魔法を使わずに生活していた時代がある。そこから魔法が発達したおかげで、とても便利になったけれど、魔法に関連した犯罪も増えてしまった」


 魔法が使われ始めたのは、二百年ほど前のことだと聞いている。その時代を生きていた人はもういないため、想像でしかないが、恢にとっては不便極まりない生活であっただろう。


「魔法を使った犯罪は、時々ニュースで見ますよ。それとは違うんですか」


「ああ、私たちが扱う大規模魔法犯罪は、基本的に報道規制がかけられる。それほどに残酷な事件が多いんだ。ここで具体例は出さないでおくが、本当にひどいものが多い」


美味しそうにクッキーを一かじりする。


「私たちは万能ではない。これまで多くの犠牲者を出してしまった。だからこそ、生き残った事件の被害者たちには、後の人生を生きていくためにメンタルケアを行わなければならない」


キルクスの話からは、覚悟のような、決意のような、強い意志を感じる。先ほどとは違う真剣な顔だ。


「拠点を移動することができて、人々を笑顔にできる。サーカス団ほど最適なものは無いと思っているよ。だから私たちは、平和という意味を掲げて『パクスサーカス団』としても活動しているんだよ」


「……! 『パクスサーカス団』」


 恢がスクールバスの中で聞き、感動の気持ちが沸き上がった名だ。あの山に行った理由でもある。


「どうしたんだい? そんなに驚いて」


 珈琲を一口啜り、衝撃を受ける恢とは温度差があるようだ。


「あの、俺、『パクスサーカス団』を探しにあの山を登ってたんです。朝、名前を聞いた時に、どうしてか感動の記憶が込み上げてきて、その正体を知りたかったんです」


 警察だという確証はないが、助けてくれたことには間違いはないため、正直に話す。


「なんだって⁉ それは……」


 今度は、キルクスが驚嘆の声を上げる。右手を顎に当て、何かを考えている様子だ。


「恢君、君を家に帰すのには少し時間がかかるかもしれない」


 改まって、より真剣な口調になる。


「えっ、どうしてですか? さっきはいつでも帰れるって言ってたじゃあないですか!」


 既に二日も経っているというにもかかわらず、しばらく帰れない可能性がある。そんな事実は、まだ十五歳の恢には受け入れ難い。


「落ち着いてくれ。恢君の努力次第では明日にでも帰れるだろう」


 興奮して立ち上がっていた恢をなだめるように優しい口調で語りかける。


「恢君、さっき私たちはメンタルケアをしているといったよね」


「はい」


「それは、サーカスを行ってみんなを笑顔にするだけではないんだ」


「そうなんですか」


 それが帰れない理由とどう繋がるのか分からないため、ぶっきらぼうな返事をする。


「ああ、それだけでは、人間の恐怖というものは消えることは無い。固有魔法を使って恐怖を感動で上書きし、その感動ごと記憶を消してしまうんだ」


「固有魔法ですか? そんなもの聞いたことないですよ」


「うん。公表されていない魔法さ。強力で使える人が限られているからね。その魔法を恢君が使えるかもしれないんだ」


「俺が記憶を消せるんですか⁉」


「いいや。固有魔法は使用者によって効果が違う。共通するのは非常に強力である事さ。だから、コントロールできるまでここから出ることは許せない」


 コントロールも何も、認知さえしていない魔法をどうしろというのだろうか。


「そもそも、どうして俺が固有魔法を使えるかもってわかったんですか?」


 得体のしれない魔法を使えると言われても、納得できない。


「記憶を消す魔法は、絶対的なものであるはずなんだ。それが恢君に効いていないという事は、恢君が何らかの固有魔法を無意識に使っているとしか考えられない。内容の解らない固有魔法ほど危険なものはないから恢君を帰すことはできない。暴発する可能性すらあるんだ」


 記憶を消すレベルの魔法がいきなり自分から出るところを想像すると、コントロールしなければいけないことに納得してしまう。


「すぐに帰れない理由はわかりました。それなら、どうすれば早く帰れるんですか?」


「まあまあ、そんなに焦らなくてもいいよ。泊まれる部屋も用意しているから、いくらでもここにいてくれて構わない」


 恢は、そんな心配をしているのではなく、早く日常生活に戻りたいのだが、キルクスには伝わっていないようだ。


「難しい話ばかりで、少し疲れてしまったよ。恢君もそうだろう」


 授業が終わった学生のように体を伸ばし、腰をひねり、一度立ち上がり、また座る。


「一方的に寝顔を見ていたけれど、恢君と私は初対面だ。親交を深めるためにも少し雑談をしようじゃあないか」


「はい」


 あまり乗り気ではないが、ここは流れに乗ることにする。

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