第4話

「あ、起きた!」


 恢が目を覚ました場所は、学校の保健室の様に簡易的なベッドが三台ほど並んでいた。逆に言えば、それ以外には何もない、ただ寝るためだけに作られたような部屋だった。


 そんな部屋の中で、今まで寝ていたらしい恢は、病院着の様に、着脱しやすい服を着ていた。そして、はじめに見た光景は、知らない天井ではなく、知らない女児の顔であった。その顔の頬には、右にハート、左にスペードが刻まれている。


 恢の上に乗っている女児は、恢の左側に向けって話しかける。


「ほら、シュック。眠っていたら駄目じゃない。この人に説明しないと」


 恢の左側には、すやすやと眠っている男児がいた。シュックと呼ばれた男児には、右にダイヤ、左にクラブが刻まれている。


「んー、メルリがやっといて」


「だめよ。キルクスが言ってたじゃない。私の説明は高度過ぎて伝わらないって」


 状況を飲み込めずにいる恢を置き去りにして、マイペースな会話を繰り広げる。


「あのぉ、君たちは?」


 その言葉を聞いた女児は、待ってましたと言わんばかりに恢の上から宙返りを決めて名乗り口上を繰り広げる。


「よく聞いてくれたわね! 私はメルリ。いずれ世界一のクラウンとなり、世界中を笑顔に包み込む女。今は修行中だけれどあなたより賢いのよ。だってあんな暗い道を一人で歩くなんて危ないことはしないもの」


 強気な口調で答えるメルリは、どうやら恢のことを見下しているらしい。先ほどまでは見下ろされてもいた。


「僕はシュック。メルリの言ったことは気にしなくていいよ。メルリは暗いところが怖いだけだから」


 気怠そうに恢の横から起き上がったシュックは、メルリの横に移動しながら自己紹介をする。


「シュック! 世界一のクラウンになるこの私に怖いものなんて無いのよ。そんなものは笑顔に変えてあげるわ」


「じゃあ、今日から夜のトイレには付いて行かなくて良さそうだね」


「それとこれとは違うじゃない! あれは……そう!暗いところは危ないじゃない。つまずきでもしてかわいい私のお顔が傷ついたらこの世界の大きな損失よ。それに」


 暗いところが本当に怖いのだろう。必死に言い訳を捲し立てている。


「まあ、僕とメルリは不本意ながら姉弟で、このサーカス団でクラウンをやってる。で、お兄さんの名前は?」


 シュックはやる気なさげな態度だが、意外としっかりしていて、ただ自己紹介をするだけでは終わらない。


「お、俺は根本恢だよ。ただの中学生」


 クラウンなんて立派な肩書の類は、恢に無い。


「ふーん。恢さんはどうしてあんな所にいたの? 星空を見に行くようなロマンチストには見えないし、捕まってたってことは、キルクスたちが探してる連続誘拐犯じゃないんでしょ。でも、何か目的はあったんだよね」


「そ、それは」


 小学校低学年ほどの見た目に見合わず中学生の恢を言い淀ませる雰囲気を醸し出しながら質問をする。


「ねえ、シュック。私を置いて話を進めないでよ。私だって尋問してみたいわ」


「メルリはある事ない事口走っちゃうから駄目。今までどんだけ迷惑かけてきたと思ってるんだ。主に僕に」


「今までのことは関係ないじゃない。これからのことを考えていかなくちゃ。それにシュック、私の方がお姉ちゃんなんだから呼び捨てはやめてよね。年功序列よ」


「たった三分二十秒だけだろ。それに年功序列なんてもう古いよ。今は能力で出世する時代さ」


 質問をしていたはずの恢を放置して姉弟喧嘩を始めてしまった。ただ見ているしかできない部外者の恢にとって気まずい時間が流れる。


 コンコン


 姉弟が啀み合う部屋の入口で、一人の儚げな少女が立っていた。少女といっても、恢よりは年上の高校生くらいに見える。


 黒髪ロングで、水色のワンピースを着た少女は、何を言うでもなくただ入り口に佇んだままメルリとシュックを見つめていた。


「あっ、レネザお姉ちゃん。キルクスが呼んでるのね」


「もっと質問したかったのにメルリのせいで時間切れじゃないか。ほら恢さん。歩けないわけじゃあないんでしょ」


「う、うん」


「なら早くキルクスの所に行きな。レネザさんが案内してくれるから」


「ほら早く行きなさいよ」


 メルリとシュックに促されるまま、まだ少しだけ頭痛のする体を動かしレネザの後ろを付いて行く。


 恢が眠っていた部屋を出ると、薄暗い廊下が続いており、メルリが怖がるのも納得できるような気がした。そんな廊下をレネザは何も言わずスタスタと進んで行く。


「あのー、ここって何処なんですか? さっきの二人はサーカスとかって言ってましたけど、俺が捕まったのと関係あるんでしょうか」


「……」


 恢が無言の時間に耐え切れずレネザに質問をするが、それに対する返答は、何処からも帰ってこない。


「そうですよね、いきなり運ばれてきた部外者の質問に答えられるわけないですよね」


 そのまま後を付いて行くと、小部屋の中に入っていく。恢が入った部屋は、まるで刑事ドラマの中で見る取調室のようだった。真ん中に机があり、それを挟むように二つの椅子が置いてある。取調室と違うのは、壁際に戸棚が置いてあることくらいだ。


「あの、ここって」


返答が無いと分かっていても、普通の施設にはない部屋に案内された不安から質問をしようとする。しかし、そこにはもうレネザの姿は無く、四畳ほどの部屋の中に一人にされてしまっていた。

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