第1話


「かあさん、おはよぉ」


 寝ぼけ眼をこすりながらリビングへと入り、母親に挨拶をする。反抗期の少年にしては優良なようだ。


 そんな、不良になろうとしても中途半端に、いまいち決め切る事が出来なさそうな息子を持つ母親は、朝食や弁当を作る際に汚れた調理器具を魔法のように、否、魔法を使って新品のような輝きを与えていた。


「あんた何時だと思ってんの⁉ あと五分でバス来ちゃうわよ!」


「ばす……?なんのこと?」


 魔法を使っていることは日常的なようで、そこには何の疑問も持たずに、母親の朝に聞くには少々甲高い言葉を聞き返す。


「スクールバスよ。今日から二学期でしょ」


「やだな、母さん。今日はまだ三十一日だよ。夏休み最終日の朝くらいゆっくりさせてよ。寝ぼけてるの?」


 一か月以上ゆっくりさせていたはずの体をソファーで休ませ、特に目的もないままテレビのチャンネルを変えていく。


『本日、九月一日の天気は晴れ。夏の暑さが続くでしょう。冷凍魔法を活用して熱中症対策を忘れずに行いましょう』


偶然やっていた天気予報では、九月だというのに、猛暑日となる気温が報じられていた。地球温暖化の影響があるのだろうか。


「はぁー⁉ ヤバッもう夏休み終わってんじゃん。ヤバすぎ。なんでもっと早く言ってくんないの?マジでヤバいじゃん。」


 焦りすぎて、普段の恢が使わないであろうヤバいという言葉を三度も使っている。


 恢の焦りは、母親に責任転嫁する言動だけでなく、ソファーから転げ落ち、その勢いのまま自室へと戻る慌ただしさからも見受けられる。


 先ほど出たばかりの自室へと戻った恢は、週末でもないのに、探偵ナイトスクープが始まる時の様にパジャマを脱ぎ散らして、学校へ行く準備を始める。


 勉強机の端に置いてある魔工品のブレスレットを嵌め、体内を血液の様に巡回するエネルギー、世間で言うところの『マナ』を流し込む。マナを流し込まれたブレスレットは、青白い光を発しながらそこを起点として恢を約一か月ぶりの制服姿へと変えていく。


 特撮ヒーローのような変身ポーズは無いけれど、少しでも格好良く、個性を出すために、自動でフォーマルに着こなされている制服を少し着崩す。手動で。


 ゆるく天然のパーマがかかった髪の毛は、寝癖があっても分からない。


 一瞬にして着替えを終えた恢は、続いて時間割を揃える。しかし、一つ一つ確認している暇などはないため、プリントがしわくちゃになることなどお構いなしに詰め込む。


重さを感じにくくする魔道具というのも最先端技術では作成されているようだが、一般市民の家庭にそんなものはない。


 学校準備の最速ラップを叩き出した恢は、寝癖で少し跳ねた髪の毛を直しながら玄関へと向かう。


「ほら、お弁当。最近ここら辺も治安が悪くなってるらしいから気を付けなさいよ」


 リビングの前を通る際、母親が弁当と天気予報の後に流れたらしい最新情報を渡してくる。二学期の初日という学生にとって何となく特別な日に遅刻になりそうだという焦りから、

「あー、はいはい、わかったわかった、ありがとうありがとう」

とファン対応のような流れ作業で受け取った。


 恢の足には合わなそうな学校指定の靴を履くと、形状記憶合金の様に靴紐が結ばれ、靴擦れが起こりそうにないサイズへと変化する。


「行ってきまーす」


 適当な挨拶をして、夏空の下へと駆け出していく。


 家を出てすぐの大通りには、流線型の物体が、人間を載せて何台も飛び進んでいる。見た目がお世辞にも良いとは言えないが、移動を最適化するために進化した車であり、動力はもちろんマナであるため、環境にもよく、静音性能は抜群だ。自動運転が標準装備されているため、免許証の必要がなく事故の心配もない。車内では朝食を摂っていたり、仕事をしていたりと、およそ運転中には見えない。


 恢が生まれるずっと前には、魔動車ではなくガソリン車が走っており、免許が必要であったという事を魔前歴の授業で習っているはずだが、とっくの昔に忘れてしまっているため、恢にはこの光景が日常であり、魔動車はただの移動するための道具に過ぎない。


 駆け足で進む恢の後ろからは、ブーツよりも一回りほど大きいマジックシューズを履いたサラリーマンが人間業とは思えないほどのスピードで、追い抜いていく。こちらは、最近一般流通が開始した魔工品で、場所を取らない分、自動運転ではないため、ライセンスが必要だ。


 開店準備をしているパン屋の前では、魔工品の黒板を前に店主がマナを込めて、実物のような『本日のおすすめパン』を表示していた。所謂ホログラムだ。


 そんなこの世界の日常の一部として進んで行く恢は、バス停に到着した。それと同時に、今まで道路を走っていた魔動車の四倍ほどの大きさの魔動バスが到着し、自動でドアが開く。少し息が乱れていた恢は、バスに乗っているであろう同級生に平静を装うため呼吸を整えてから乗り込む。


 外から見た印象よりも幾分か広く感じる車内で、一緒に登校するくらい仲の良い友達がいるかどうかざっと確認するが、生憎、友達が多い方ではないため、見つからない。このまま立っていてもどうしようもないため、一人席に座ることにした。


 誰かが数えていたというわけでもないが、開扉からきっかり一分で扉が閉まり、学校へ向けて出発する。


 当然、バスの中は学生ばかりが乗っており、恢の後ろの席には二人の女子が座っていた。


「やっぱ、夏休み明けってやる気でないよねー」


「それなー!でも、二学期からは待望の生活魔法だよ」


「そうじゃん!まじ、それのおかげで学校行くモチベ保てるわ」


「あはは!それ言い過ぎー。もっと楽しいことあるっしょ。てかさー『パクスサーカス団』ってのがこの町に来てるらしいよ」


 盗み聞きするつもりは毛頭なかったが、如何せん、前後の席となると聞こえてきてしまう。そんなありきたりな会話の中で、一つの単語に恢は引っかかった。『パクスサーカス団』この名前は初めて聞くはずだ。しかし、どこかで既知感を感じ、それと同時に言い表せないほどの感動の記憶があったように感じられた。


 この感覚の謎を解明するために、先ほどとは違い、聞き耳を立てる。


「なんそれ」


「いやさー、パパが言ってたんだけど、なんかすごいやつなんだってさ」


「ざっくりしてんなー」


 後ろの席ではそれ以上話が広がることはなく、恢は『パクスサーカス団』という単語を聞いた際に感じた多幸感の正体を知ることはできなかった。

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