第6話 こわして
日付も変わって久しい、深夜の繁華街。
居酒屋、キャバクラやパブ、バーなんかがギラギラと存在を主張するこの街は、海岸区で擦れたアングラどもの憩いの場であった。
派手な柄シャツのギャングに、へそ出しルックのギャルが二人巻き付いて笑っている。その後ろでは派手な電子タトゥーを腕に貼った若い女が、酔いつぶれる男にしゃがんで声をかけ……傍らで強面の髭面が電話で何事かを取引していた。
派手なピンクのライトでコンクリートの街道が照らされ、常に大音量でEDMが響き渡っている。それに合わせて道の真ん中で踊るものもあり、光景はまさに混沌そのものであった。
体に似合わぬ大きなパーカのフードを目深にかぶり、少女は町の隅からネオンを見上げる。丸い大きな眼鏡越しに見える目はまるで星空を見るかのように輝いており、この場とはどうも不釣り合いだ。
「なあ、おい……」
「あぁ」
ぼんやりとその場にたたずみ続ける少女に、その辺で立ち飲みをしていた二人組の男が声をかけようと近づく。すれば、少女が先に気付き視線を向けた。
「ね、今一人?」
「俺らと飲まない?」
「えっ、あ、え、えぇと……」
少女は必死に視線をさ迷わせ、震える手を揉む。
「だいじょーぶ。俺ら優しいから」
「名前なんていうの?」
「あっ、えっ、あ、あぅ」
「あれ? 結構かわいいじゃん」
「うひぁっ!?」
男のうちの一人が、無遠慮に少女のフードを剥ぐ。
柔らかく色を放つ金糸の三つ編みが、暗闇から開放され、ふわりと二束揺れた。
野暮ったい丸眼鏡の奥の瞳は、綺麗に澄んだ空色をしていた。髪と同じブロンドの長い睫毛が大きく丸い瞳を縁取り、臆病に潤んだそれを瞬きで守っている。薄桃色の頬に薄く散らばったそばかすが、天使のような見た目に若干の素朴さを生んでいた。
「うわ、マジか」顔を覗き込んだもう一人の声が喜色に染まる。
「俺らの友達やってる店あるからさ。ちょっと行こうよ」
「いえ、あ、あの、私……」
ずいずいと迫る男二人を両手で制し、少女が何やら返そうとした時。
「ヒッ——!!」
その顔が、サッと恐怖で青ざめた。
その視線は男たちの一つ向こうに向けられており。彼らが振りむく前に、それは肩を押しのけ少女の前に現れた。
「金髪碧眼。
冷酷に見下ろす黒服の大柄な男は、ミモザと呼んだ少女へ手を伸ばす。
恐怖に震え、固まっていたミモザの細腕に男が触れた瞬間——ミモザはそれを振り払い、一目散に駆けだした。
◆
「はっ、はあっ」
繁華街を抜け、住宅の間の路地に寄りかかって、ミモザは呼吸を整える。ダボついたパーカの裾から伸びた細い脚は、既にカタカタと悲鳴を上げ始めていた。そっとその場に座り込み、震える脚を労わるように撫でる。
——どうして、私は逃げているのだったか。
ふと、ミモザは自身に問うた。脈打つ鼓動を抑え込むように、胸に手を当てて。
「(当然、捕まりたくないからに決まってる。だって捕まったら————)」
「どこに行った!」
「ッ!?」
大きく一つ呼吸をすれば、すぐ近くから男の怒号が近づいてくる。ミモザは咄嗟に口を覆って息を殺した。
すぐそばを、いかり肩の黒服男が通り過ぎた。散乱したがらくたの影にいたミモザの姿には気づくことなく、キョロキョロとあたりを見回している。その手には、どこから調達したのかボロのスタンバトンが握られていた。元の性格なのか口調も粗暴なものに変わり、イラついた様子で傍のドラム缶を蹴り飛ばしている。
そっと、ミモザは吸い殻と煙草の灰で汚れた裏路地の奥に目をやった。数メートル先すら視認出来ない闇の隙間には、通路らしき光景がぼんやりと浮かんでいる。
「(バレないよう抜ければ、撒くことはできる——あとはどこか匿ってもらうことができれば)」
黒服が通り過ぎるのを見届けた後ゆっくりと身体を持ち上げ、暗闇へと一歩踏み出す、その瞬間。
からん、と音を響かせながら、赤いコーラ缶がつま先を突いて転がった。
「テメェ、こんな所に!!」
音を聞きつけた黒服男が腕を振り上げる。バチバチと青い光を迸らせるバトンは、ミモザの居たがらくたの箱をいとも簡単に粉砕した。
「待て!!」
ゴミやら廃材やらを蹴散らしながら、ミモザは闇の中を夢中で走った。徐々に輪郭をあらわにする景色を目指し、酒瓶ケースや室外機を避け続けると、遂に広く静かな道へと転がり出る。
そこは————
「何も、ない…? ゴミ捨て場?」
鉄臭さとオイルの臭いを漂わせる大きな山。ひび割れた電化製品に廃車に鉄骨、様々なクズが折り重なって広い土地に鉄くずの海を作っていた。
しんと静まった道路に人の姿はなく、また見渡す限り明かりのついた住居もない。
「そんな————」
「大人しくしろ!!」
「キャアッ!」
一瞬止まった思考の隙を、鈍い痛みが正気に返す。吹き飛ばされたミモザの身体は地面を二度跳ね、転がった。
起き上がろうと何とか腕を地面に立てるが、左腕に走った強い痛みで崩れ落ちる。
「ひびでも入ったか? そこそこに手加減をしてやったんだが……まぁいい。『生きて捕らえられたらそれでいい』らしいからな」
「いや……!」
地面を転がり、何とか立ち上がったミモザはまた駆けだした。熱と共に痛み続ける腕を無視して、ミモザは左右へと首を動かす。
売地、貸出可、取り壊し予定地————新しげな家はあれど、どれも無慈悲に無人を知らせる張り紙ばかり。不安と絶望が脳を支配しかけた時、"ガシャン"と破壊音がミモザの耳に届いた。
咄嗟に振り向いた先は、見るからといった廃墟だった。
平屋の一軒家。正面に位置するガラスはほとんど叩き割られ、地面に大小様々なガラス片をまき散らしている。電気もついておらず、人の気配など毛頭ない。
「(——でも、確かに聞こえた)」
ミモザは、後ろに迫る気配を振り切るように、暗い玄関へと駆けこんでいった。
◆
「うっ……」
家に入った途端感じた強烈なにおいに、ミモザは思わず鼻をつまんだ。
「(酸っぱいような、生臭いような……腐った食べ物でもあるのかな)」
静まり返った暗い家。月に照らされ見えた革靴の使用感に、ミモザは確信めいて頷いた。
やはり誰か、いる。
段差を土足で踏み越え廊下を歩くと、意外にも床はまだ新しいようだった。誰かの入った靴跡もない。
「(廃墟じゃない……? それなら、どうして窓があんな風に……)」
物珍しい木造の柱を手で伝いつつ、ゆっくりと歩を進めると、ミモザは扉の開いた部屋にたどり着いた。頭だけを軽く入れてみると、先ほどよりも濃く強い激臭が鼻を襲った。
「……?」
そして、ここでミモザは新たな音を聞いた。部屋の中である。何か柔らかいものをこねているかのような、にちゃにちゃとした水音。
それは数度すると一度止まり、一拍後にまた不規則に音を鳴らしている。
「(部屋の奥に誰か——)」
割れた窓ガラスから差し込む月光に照らされ、黒いシルエットがぼうっと浮かび上がる。それは一心不乱に何かをしているようで、床に這いつくばり背を向けている。
声をかけようとミモザが部屋に脚を踏み入れれば、ぬる、とその床が緩く滑った。
「え……」
なんとなしに床を見る。
それは、
おびただしい量の、血液だった。
「~~~~ッッ!!!!」
ミモザは自分の血の気が引いたのを感じた。辛うじて声を出すことはなかったが、混乱で呼吸は徐々に乱れていく。
ふと……音の合点がいったのだ。
あれは、何か食っている。
"何"って、そりゃあ————
「コソコソと逃げ回りやがって……」
「!」
玄関から聞こえた低い声に、ミモザは咄嗟に前へと飛んだ。転がって一息つけば、吐き気のするような刺激臭が鼻を刺す。
勢いで部屋に飛び込んだが、中にいた存在はミモザに気が付いていない様子だった。廊下側から死角になるように、ミモザは扉の裏に背を預ける。
「(どうかお願い、気付かないで……!)」
ドスドスと無遠慮な足音が、ミモザの耳元まで近づいてくる。すぐにぬっと男の顔が現れ、扉の両縁に手をかけ首を捻った。
「にしても臭うな——なんか死体でもあんのか?」
真横のミモザに目もくれず、男は躊躇なく部屋に踏み入っていく。不快そうに顔を顰めつつ、状況を探っているようだった。
「……?」
キョロキョロとあたりを見渡すとすぐ、男は部屋奥の人影に気付いた。前かがみに一点を注視し、フン、と鼻から息を漏らす。
「なんだ、ガキか。チビ、何してんだ……聞こえてんのか?」
「(今だ)」
男が大きな声を上げた時、ミモザが動いた。ゆっくりと体を反転させ、すれ違いに出てやろうと扉に手をかけた瞬間——。
「おい、逃げるな」
「!?」
ひゅ、と。肩越しに青い火花が飛んだ。
ミモザの背に焼けるような痛みが襲う。投げつけられたスタンバトンは男の手を離れても尚、バチバチと高圧電流をミモザの肌に焼き付けていった。
背が、腕が、耳が、手が。段階的に感覚を失っていく。
「あっぐ——あ゛あ゛……ッッ!!」
びくびくと全身を震わせ倒れ行くミモザを眺め、男は
「散々手間ァ取らせやがって。逃げられないように、もう少し焼いとくか?」
「ぅ……!」
男の歩が、ミモザへと向かう。
——誰か、助けて。
ミモザの頭に必死な叫びが響く。両手は既に痺れ指先すらもままならない。
——誰が助けるというのだろうか?
絶望に染まった心が、冷静に現実を突きつける。
ぼんやりと遠くに見える何かの影は、未だこちらに見向きもしない。助けの声など聞こえていないのだ。
――いや、いい。
それでも、彼女は喉を引き絞った。
ここで終わってたまるものか。
せめて捕まるくらいなら、どうか、どうか私ごと————
「”
きぃん、と。喉の奥底から、絞り出すような音だった。
瞬間。
「……おい、邪魔するなよ」
不愉快そうな男の声。ミモザが何とか目を開いてみれば、目の前に迫った男の顔は真横——部屋の奥へと向けられている。
その先で。
部屋の奥で何かを貪り食っていたはずの"ソレ"は、男の腕を捕らえじっとこちらを見据えていた。
from2070:狂蟲騒生記 ミナヅキハツカ @guilty524
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