第3話 迎えの来ない保育園


足緋たるひの仕事場と家は、『蛇端だばた』という海岸区の一角にある。

下層といっても、下から二層目にあるためか治安は比較的ましな方で、海岸区の子供の住む保育園なんかもそこにあった。

最寄り駅を出て、曲がりくねった路地をいくつか抜ければ、『蛇端だばた第三保育園だいさんほいくえん』と電子看板を掲げた大きく白い建物が姿を現す。


 ——濱北市には、市独特の就職応援制度が存在する。

市長に申請を出し、特定の条件を満たせば、親は子を一定の年齢まで預けたままでいられる、というシステムだ。

しかも、申請は用紙一枚で事足りる上、特定の条件というのも、必須は『養育費と保育料を毎月必ず支払うこと』ぐらいなものである。制度ができた直後から、下層区に籍のある親たちはこぞって子を保育園に預け、給与の良い職場の近くに住み込みを始めた。

 蛇端第三保育園は、そういった『親が迎えに来ない子供』の保育施設となっている。


 保育園、と名のつくには少しいかつさのある鉄扉の前。ズボンのポケットに入れてかろうじて無事だったカードキーをかざすと、扉の溝に沿って光が走り、タッチパネルがひねるように回って足緋を迎え入れた。


 人工芝と人口木の茂る庭を抜け、建物の白い扉を一思いに開くと、笑い声と共に拙い足音が近づいてくる。

「レンじいだ!!」

 開幕飛びついてくる小さな少年を、呻きつつも抱き留める。次々に入り口に集まる子供達の顔を一人ずつ見やり、足緋は頬を緩ませた。

「レンじい、げんき?」

「ねえ、今日のお外どうだった?」

「それなあにー?」

 各々の興味のままに質問を重ねる少年少女に相槌を返していると、玄関の壁面に掲げられた液晶が反応を示した。

『本日もお疲れ様です、園長』

「おう。お疲れさん、『IRI's-アイリス-』」

 女性型の自動音声が流れ、白い画面は時計を模した図形を映し出す。

『本日の子供たちは、8:00起床・8:50朝食・10:00~11:50自由時間・12:30昼食・13:00~14:00仮眠・15:00~自由時間と、現在16:34まで概ね定刻通りに過ごしております。本日リストにある問題行動を起こした園児は、計8名。それぞれのイベント時間内に鎮静化完了。現在の園児の健康状態も問題ありません』

「はいよ。今日遅くなっちまってすまなかったな」

『問題ありません』

 時刻ごとに針を回しながら報告する自動音声——自立型対話AI・IRI’sは、報告が終わると音声波形のみの画面に切り替わる。

 足緋がモニターから視線を外すと、IRI’sが感知し、電源を落とす。それを確認して、足緋は玄関から歩き出した。

 

 園児に取り囲まれ、よじ登られながらも、足緋は足取り変わらず廊下をズンズンと進む。その廊下には生活感など一切なく、他の大人の職員らしき者も見当たらない。玩具の散乱する広場に到着すると、子供たちを下ろし、自身も床に胡坐をかいた。

「今日のお土産はな……」

持ち寄った紙袋に手を差し込むと、中を覗いてきた園児が声を上げる。

「紙の本だ!」

 花が咲くような声と共に、引き抜かれた足緋の手には数冊の絵本が握られていた。どれも古本だが、紙媒体が出回らない現代ではこれこそが子供たちの興味の中心だ。

「ぺらぺらめくれるの好き!」

「これは、どーぶつ?」

「知ってるよ、クマだ!」

「ちがうよ、わんちゃんだよ」

「わんちゃんって、どーぶつ?」

 餌の皿を取り合う子犬のように身を乗り出しながら、床に開かれた絵本で議論を始める園児たち。それを上から覗き込むようにして、足緋が絵本に指をさす。

「これが、『いぬ』。ワンちゃんな。そんで、これは『ねこ』。こいつらが森で遊んでるんだ」

「レンじい、『もり』ってなあに?」

「あー……『木』とか『草』ってあるだろ? 園の運動場に植わってる。それが、広いところにたーっくさん生えてる場所のこと。動物たちの家みたいなもんだ」

 ジェスチャー交じりに説明すれば、園児たちから歓声があがる。

「それじゃあ、この細いのは? どーぶつ?」

「いや、それは虫。ミミズっていうんだ」

「むし! 森にしかいないの?」

「うぅん……昔なら畑や家にもよく出たが……最近は見ないかもなあ」

「見たことあるの!? どういうむし!?」

 その後も、絵本をめくるたび、園児たちは議論や質問会を何度も繰り広げた。たまに足緋が応えてやると笑顔を返し、そのまま興味のままに読み進めていく。犬や猫のキャラクターを物珍し気に見る子供たちにばれないよう、足緋は悲し気に目を細めた。

————こいつらはきっと森どころか、“木が育つ”ことすら知らないのだろうな、と。


『——園長、親御様より入電です』

 広場全体に響くように、IRI’sの音声が響く。笑い声に満ちていたはずのそこが水を打ったように静まり返り、園児たちは言葉の続きを待っていた。

「名前は?」

久米島くめじまめぐみ様。久米島ホタルちゃんのお母様です』

「やった、ママだ!」

 可愛らしいツインテールの少女が立ち上がり、歓喜に飛び跳ねる。他の園児たちは少女を羨ましがりながら、絵本をそのままに、わらわらと広場内の一角に集まり始めた。

「……一応聞くが、用件は?」

『定期連絡とのことです。通話を繋げますか?』

「おう。いつも通り、そこのモニターにな」

 足緋は壁掛けの大型モニター前を親指でさし、園児たちが行儀よく並んで座る後ろへと回る。しばらくしてモニターが起動し、待機画面を流したのちに、女性の顔が映し出された。

「ママ!」

 中央に正座している少女が弾んだ声を出すと、モニター内の女性も柔らかに微笑みを返す。そのまま少女とその親は、朗らかに近況の報告を会話し始めた。

 他の子供たちはというと、皆一様に画面を食い入るように見つめ、微笑ましい親子の会話を聞き逃すまいと息を潜めている。

 異様ともいえる光景を傍から眺め、足緋は壁にもたれて息をつく。

 この保育園には、足緋以外の人間の職員はいない。足緋が就いた時から、それは既に『当たり前の事実』であった。

「……なあ」

 通りがかった掃除用ロボに声をかける。すれば、足緋の腰ほどの大きさのそれはきゅるりと滑らかに頭部を回し、カメラレンズで足緋を見上げた。

『如何されましたか、園長』

 自動音声は、先ほどから園内に響く声と同じもの。足緋は視線を園児たちへと向けたまま腕を組み、そっと眉をひそめる。

「人気がねえ職業には、アンドロイドが代わりを務めるって制度、あるだろ」

『はい。現にここ蛇端第三保育園では、人間の職員の代わりに我々保育用AIが職務をこなしております』

「だよな、だから————」

『並びにフルオート運営の場合は、不測の事態に備え、足緋様のように人間の管理者を一人以上つけるのが規則となっております』

「ああ、うん」

 続けざまに語られるAIの言葉に合わせ、一瞬言葉を飲み込む。文末が切れるのを見送って、足緋は後方でモニターを見つめる小さな少年の背を顎で指した。

 ふくふくとした頬、明るく柔らかい短髪。まだ赤ん坊の頃の面影を強く残した頭は、ただじっと前のモニターを見つめている。

「あの子。親からの連絡が一本もねえんだ」

『——はい。足緋様が着任される以前から、彼の親御様から入電の記録はございません』

「……親の応援制度の条件はどうしたんだって話だよな」

『費用の支払い義務以外は、全て任意ですので』

「任意は『やらなくていい』って免罪符じゃねーっての」

『——ここに在籍する園児たちのほとんどは入電のないお子さんです。むしろ、連絡がある園児の方が限られているかと』

 足緋の指す方に都度頭部をひねり、抑揚のない無機質な声が淡々と告げる。

「……そうなんだよなあ。ここには人も来やしねえし、外に出る行事も今まで無かった」

「だから『大人』がもの珍しくて、こうやって皆して見に来るんだ」

 足緋は赴任当時の園児たちを思い出す。わざわざ訪問してくる管理者も今までいなかったらしく、向こう1か月は半径1m圏内に近づくことすらままならなかった。

 壁を背にしてずるずると座り込む。足緋は、丁度同じ背丈になった掃除ロボットのレンズと目を合わせ、奥でピントを合わせる動きをただ眺める。

「……人は初めに『愛』を貰わなきゃあ、まともに育たねえ生きモンだと思ってたんだがなァ」

「悲しいもんだ」と呟けば、不可思議そうにロボットが首をかしげる。ポンポンと意味もなく頭を撫でてやれば、さらにその角度が回った。

 無邪気な園児たちの笑顔と、それを管理し育てる無機質なアンドロイド。

 その光景にわびしい気持ちを押し殺せず、足緋は小さく呟いた。

「『冷てェ愛でも人は育つ』って、他でもない“大人”が覚えちまった」


 対話を終えようと手を振るモニターの女性を見つめ、足緋はゆっくりと立ち上がる。テレビ通話の終了したモニターの電源を落とすと、子供たちの無邪気な喧騒が蘇った。

「はい、電話終わり! 片付けて飯の準備するぞ」

「え~!」

「やだ!」

「まだ紙の本読み終わってないよ!」

「寝る前にまた読み聞かせてやるから。とにかく手、洗ってこい」

「はーい!」

返事だけは素直だな、と肩をすくめ、くたびれたスーツの老人は、子供たちを連れ立って白い廊下を進み始めたのだった。


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