第2話 老人たちの同窓会


「一年ぶり、ですか」

 言って、尾上おがみはテーブルからカップを取る。ブラックコーヒーを一口含み皿に戻すと文字盤が表示され、電子音と共に保温を開始した。目の前の光景に胸やけを覚えつつも返答を待つと、ステーキセットを頬張った足緋たるひが箸を置く。

「会うつもりはなかったんだけどな」

「顔ぐらい見せに来てくださいよ。定年退職してから一度も連絡寄こさないじゃないですか、足緋たるひ蓮介れんすけ“元警部”殿」

「だって恥ずかしいんだもん。“尾上警部補殿”」

「『もん』じゃないっ」

 東十とうど区一番通りに構える喫茶店。中央区の店にしては比較的古めの内装で、旧型のタブレットや配膳ロボットが未だに運用されている。所謂“レトロ好き”の中高生たちがこぞって来店するようになったお陰で、落ち着くからとうっかり入った老人二人は、しっかりと光景から浮いてしまっていた。

 傍らの水を煽り、足緋はふと窓際席から見えるものに目を細める。従業員募集を促す空中ホログラム、警察庁からの注意喚起動画を張り付けた大型ドローン、観賞用の人口木で作られた街路樹。忙しなく歩くスーツ達を睨みつけ、路地裏に消えた見知らぬ少年を最後に、足緋はそっと視線を戻した。

 

 濱北市は、元は海沿いの中規模な市だった。

 260万年前より徐々に起こり続けていた海面上昇が、2000年代以降からの地球温暖化により爆発的に加速。年々目視できるほどに水かさが増し、2060年には、30年前と比べておよそ10%の土地が水没によって地図から消えた。

 これにより全国で沈んだ街の埋め立て工事が始まり、その最中生まれたのがこの人口都市『濱北はまきた』である。

工事を段階的に分け、全八階層に渡って螺旋らせん状に土地を積み上げた島とも呼べる外観。そこの最高層の3区を中枢として、市民はそれぞれの階層にある居住区で生活している。

 しかし物理的に距離があるためか、上層と下層には、物価に比例し大きな貧富の差があった。ギャングや暴力団などの組織が安い土地を根城とし、その治安の悪さも相まって「海岸区かいがんく」と呼ばれる下層のエリアを差別するものは多かった。

現状、濱北市の唯一とも言える問題点である。


「下層の区に引っ越す、なんて言ったきりでしょう。……どうですか? ちゃんと生きられてます?」

 優雅に脚を組み、同じく組んだ指を弄びながらく尾上。それをじとりと睨みつけ、足緋はプレートの人参に箸を刺す。

「元気も元気だよバァカ。仕事見つけて毎日楽しくやってる」

「へぇ…どんな仕事です?」

 至極普通の会話パターンであったはずだが、足緋は一瞬口ごもった。不機嫌そうに人参を咀嚼しながら、極々小さなくぐもった声が返される。

「……保育園の管理人」

 間髪入れずに尾上は噴き出した。組んでいた脚を年甲斐もなく思い切り開き、ゲホゲホと数度咳をすると、今度は肩を震わせ静かに笑い始める。

「あの蓮さんが! 『刑事課の鬼』とか『生けるニホンオオカミ』なんて怖がられてた蓮さんが!? 保育っ…クク…ちょっと待って…アバラがっ」

「うるせェなあ! いいだろ別に!」

「いや……まぁ、昔から子供好きでしたし、いいんじゃないですか」

 尾上はスリーピーススーツのジャケットを整え、軽く咳ばらいをする。

「それに」カップを再度手に取り、尾上は半分残ったコーヒーを啜った。

「『人生の目標』、しっかり進んでいるようで安心です」

「……フン」

 尾上は、退職時の足緋との会話を思い出した。

 仕事で行き遅れ、妻も子供もいない足緋。孤独死しやしないか、と心配した尾上に、足緋は笑って言い放った。

——心配すんな。俺ァ昔から、死ぬときは大勢の家族に見守られて大往生って決めてんだ。

——これからは、そのために走り回るとすらァな。

(……だとしても、些か安直過ぎじゃないだろうか)

保育園て、と込み上げてくる笑いの波を嚙み殺す。そんな尾上を足緋がギロリと睨み返し、吐き捨てるように続けた。

「今日だって業務の一環で来たんだ。警察署見学の最終確認」

「……あぁ、確かに」尾上は顎に手を当て、記憶を辿るように宙を眺める。「一昨日あたりに、そんな話を聞いたような」

「見たこともないって言ってたからよ。勉強だろ。そんで、ついでに買い物をチョチョッとな」

「なるほど。しかし…確認だけならメッセージか音声通話で済ませても良かったのでは?」

 尾上が返すと、「あ」と声を上げ足緋が押し黙る。誤魔化すように水を煽る足緋を見やり、心中で、変わらないな、と尾上は苦笑した。

 現役時代から、足緋は現代では珍しく自分の足で物事を遂げようとするきらいがあった。データ資料の確認忘れが多く、それらを催促するのが当時の尾上の仕事だったのである。始めは『自分より十も歳上なのに』と毎日馬鹿にしたものだが、最後あたりには、それが二人の挨拶のようなものにさえなってしまっていたのだ。

「……そういえば、さっき捕まえたガキ。大丈夫だったか」

話題を変えた足緋に付き合い、尾上はお代わりをオーダーする。端末のクッキーの宣材写真に目を惹かれつつ、尾上は不思議そうに返した。

「大丈夫とは?」

「やたらと取り乱してただろ? 少年院がどうの、とか言ってたが」

「あぁ……路地裏の子供達の間で噂話があるらしいですよ。なんでも『濱北少年院に入ったら、拷問されて殺される』んだとか」

「げぇ…なんだそりゃ」

 うんざりした顔で頬杖を付く足緋を横目に、配膳ロボットに空のカップを返し、尾上は新しいブラックコーヒーのカップを傾ける。

「最近はこの手の都市伝説が多いんですよ。『人がゾンビになる病気がある』とか『幽霊の出るホテルがある』だとか」

「ふーん」足緋は興味なさげに視線を逸らす。「そんじゃ、もう一人は? 場所教えたろ」

「——いませんでした。路地裏に血の跡と、コートだけがぽつり」

「あ、それ、俺のだ。財布入ってるから返してくれ」

「鑑識に回しました。何も入って無かったので」

「あの野郎盗りやがった!」

「……いい加減、現金で支払うのやめたらどうです?」

 恩を仇で返しやがって、と頭を抱える足緋に、こらえるような笑い声が降ってくる。今日はおごりますね、と肩を叩き、尾上は腕時計型の端末を操作した。

「そろそろ戻ります。コートは後日お返ししますね」

「おう……絶対だぞ。アレ一張羅なんだ」

 立ち上がった尾上に続くように、足緋も奪還した紙袋を持ち、席を立った。

電子決済を済ませ入り口に向かった尾上は、まだ憧れの先輩との別れが名残惜しいようだ。歩きは止めず、上機嫌に口を開く。

「それにしても……やはり蓮さんはすごいですね。まさか『区外くがい』でまで働こうなんて」

 共に出ようとしていた足緋の足が止まった。「おい」と低く呟き、不愉快そうに尾上の背を睨みつける。

「……『海岸区』だ。好きじゃねぇな、その呼び名は」

「そうですか?」

振り返った顔は対照的に穏やかであった。むしろ、顔をしかめる足緋の真意を測りかねているようですらあり、足緋に無い苛立ちが募る。

「嫌な俗語だ……まるであそこが『土地じゃねえ』みたいに言いやがる」

「ああ、なるほど。……配慮に欠けていました。大変申し訳ない」

 眉を下げる表情にもまた、全くの嫌味無く誠実。足緋は大きくため息をついたのち、尾上を追い越して歩き出した。


 やってしまった、と俯いた尾上の視界に、ボロボロになった足緋の紙袋が映る。

「……その、紙袋は——」

 最後に気まずくなるのは避けたいと、咄嗟に絞り出した声。振り返った足緋は自分の手元を見やり、そして尾上の心情を知ってか知らずか、屈託なくにかりと笑ってみせた。


「ガキどもに、土産!」


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