第1話 濱北の日常-老人の大捕物-


“海沿いの大都市・濱北はまきた

人口約25万人。末端労働作業者としてAIを積極的に採用したテクノロジー先進都市であり、機械と人間の共存する『うつくしい』街。

 『”人”として生きること』『”ひと”としてつながること』を目的として、AIを用いた高水準の教育・労働・娯楽施設を数多く建設し、2068年には『住みたい都市ランキング:堂々の一位』を獲得。今年2070年には設立15年を迎え、ますますの発展を続けています。

既に沈み切った土地に聳え立つ、とぐろを巻いたこの人工都市は、我が国に蔓延る人口減少問題解決の新たなシンボルとなるでしょう————。”

『濱北市へ、ようこそ!』


落ち着いた女型の合成音声が、ビルのモニターから雑踏へと降り注ぐ。円グラフや航空写真をふんだんに使用した『濱北紹介動画』はもはや誰に見上げられることもなく、通行人にとっては不快な喧騒の一部と化していた。

軽快なジングルと共に『東十とうど区役所/監修』の文字がゆっくりと明滅する。すると画面が天気予報へと切り替わり、市内一日通しての晴天を告げた。

携帯用の薄型端末を片手に歩く青年は、視界の端で群衆が歩き出すのを確認しつつ、横断歩道を俯きながら歩き出す。視界がアスファルトから街道に変わってすぐ、彼は大きな体にぶつかった。

衝撃で耳の中のイヤフォンが片方零れ落ち、慌ててキャッチして見上げる。すると、大きな白髪の老人が、むすりと彼を見下ろしていた。

「歩きスマホは危ねぇぞ、兄ちゃん」

「……はい?」

青年より頭一つ高く、睨み下ろすつり目の瞳は深い赤に彩られている。見るからに60代といった風体で細身だが、確かに鍛え抜かれた身体は、青年がぶつかっても一切のぶれを見せない。

 身体の若々しさとは対照的に深く刻まれたしわが、ため息と共にさらに深まった。

「交通事故の元。それに、中央区にだって悪い輩がいねぇわけじゃあねえんだ。持ち物には気を配りながら歩け———って、ちょちょちょ、待てって!」

 小さな会釈のみで横を過ぎようとする青年の肩を掴み、そうじゃなくて、と老人は告げる。嫌々振り返る青年と再度目を合わせた。

「……この辺で、紙袋見なかったか?」

老人は一変して情けなく笑い、「こんくらいの、紙袋」と手振り交じりに補足する。

「いや、知らないっす」

「そこの手前の店で一服してたとこまでは覚えてるんだが…それ以降がさっぱり」

青年は眉を顰めた。イヤフォンを付けなおし、聞く意志がない素振りを続けるが、上から降る声は止まない。

「最近物忘れが激しくてなあ。兄ちゃんが同じ店から出てきたから、見てねえかと思ったんだが」

「……警察行ってください」

「そういうわけにもいかねぇんだ、コレが」

いつの間にか、二人は歩道の端へと移動していた。端末に目を落とし、尚も横を抜けようとする青年の前に立ちふさがるように回り込む老人に、青年は心中で舌打ちした。

「ちょーっとワケアリでな。あんまり見られたくない」

「はぁ……ヴィンテージものなら、なおさら警察でしょう」

「いやそこまで高いもんじゃねえよ。精々高くて一万くらいか」

「十分高いでしょ」

 人混みに押され、壁際に追いやられた青年は、隣で喋り続ける老人をあしらいながら端末の画面をマップに切り替える。

「どこか待ち合わせか? 俺も腹減ってんだ、店教えてくれよ。……おぉ、すぐそこだな」

「……しつこいんですけど」

 青年はついに顔を上げ、不満をあらわに老人を睨む。が、それはすぐに本能的な恐怖によって塗り替えられた。

見上げたその表情には、笑顔一つ無かった。あるのは凍り付くほどの冷たい視線のみ。青年は小さく息を吞む。

 青年を見下ろす老人は、そのまま切り返した。

「兄ちゃんよ。店で物失くした時って、普通、警察に届けるか?」

「……は?」

「『失くした』なら店のサービスカウンターやらを勧めるだろ? 一言目で警察が出てくんのは、『盗まれた』ってわかってる奴ぐらいだ」

老人と青年の視線がかち合う。すっと細まった冷たい視線が、青年の動きを止めた。

「——ッ、だって、外で人に聞いてるから……!」

「ああ、まあ、そうか」絞り出した青年の反論でも、老人の目は揺るがない。

「だが、お前はあの袋の中身を知ってんだよな?」

「は? そんな訳————」

「警察に見せたくないもの、ですぐ『銃』や『危険物』を想像しない奴なんて初めて見たぜ」

「————ッ!?」

 青年の顔色が変わる。恐怖、よりは『焦り』。

咄嗟に後ずさろうとする青年の端末を老人が掴んで引き寄せ、指でとん、と叩く。

「まあ、見た感じお前は持っちゃいねえだろうが……待ってんだろ? そのマップの先に————実行犯もってるやつが」

 打撃音。

人混みがざわめきと共に一気に広がり、先から青年が飛び出した。

「バレた! ズラかるぞ、そこ出ろ!!」

 端末ごしに青年が叫べば、物音と共に、共犯者の焦った声が返される。

「待て!」

 突き飛ばされた老人の怒号が背後から響き、青年は足を速めた。人混みを乱暴にかき分けながら、大通りを右へ曲がる。薄暗い路地を抜けショートカットすると、先に仲間の青年の金髪が目に留まった。しかしその表情は驚愕に見開かれ、こちらを指差し必死に何事かを叫んでいる。唇を読み、理解したと同時に、叫ぶ声と言葉が頭の中で重なった。

「『後ろ』!」

「は?」

振り返る。眼前に伸びた老人の手のひらが青年の顔面を鷲掴み、そのまま地面へと引き倒した。

「ぐうッ…!」

 苦し気に声を上げのたうち回る青年の腕を片手でまとめ上げ、老人は正面に向き直る。

「なあ、返してもらうだけでいいんだ。ケーサツにも俺から届けは出さねえし——」

 一瞬で行われた目の前の光景に硬直していたもう一人の青年だったが、老人がそちらに手を伸ばした瞬間、弾かれたように走り出す。

「——って、ああ! クソ!」

頭をかきつつ足元で固定していた拘束を解く。痛みでろくに動けはしないようで、頭を押さえ蹲ったままの青年を一瞥すると、老人はコートを脱ぎ、まとめて青年の後頭部にそっと宛がった。

「悪ぃ、やりすぎた。そこで寝てろ」

またそっと立ち上がると、ぶっきらぼうに言い放ち、老人は地面を蹴った。


東十区中央広場は、いつも通りの賑わいだった。

スーツ姿のOLや、営業帰りのサラリーマン、休憩中の作業員たちが各々昼食をとりながら、定刻通りに運行される噴水のショーをなんとなしに眺めている。

役所帰りの親子が飛び出す噴水に喜び近寄って遊ぶ、そんなほほえましい光景に割って入り、通り過ぎた先で金髪の青年は息を整えた。

少し遅れて到着した老人もまた、腰を押さえながら肩で息をする。

「あんまり走らすなよ……もうそんな動ける歳じゃねえんだって」

「…………」

「…ハァ。おい、もういいだろ、返してくれ」

 老人が、未だ背を向け、屈んで呼吸をする青年の背を叩く。回り込もうと足を踏み出した瞬間、老人の目の前をナイフの切っ先が掠めた。

「避けるんじゃねーよ、ジジイ」

 広場のざわめきを悲鳴が引き裂いた。青年と老人を中心にして、逃げる人、慄き留まる人、興味で集まる野次馬が混じり合い、密度が徐々に高まっていく。

「……子供のオモチャじゃあねえぞ、そいつァ」

 低く呟く老人に、金髪の青年は引きつった顔で笑った。

「あんまナメてっと今度はマジで切るぞ」

「そうか。ジジイの怪我は治りづらい」

 老人は一歩だけ距離を取り、肩をすくめる。

「で? そこまで駄々こねる理由は何だよ」

 老人は言い、静かに青年を見つめた。辺りに棘をばらまく青年は、それでいて追い詰められた鼠のように、しきりに逃げ場を探しせわしなく顔と目を動かしている。

柄こそ傷つき劣化しているものの、ナイフの刃先そのものに目立った傷は無く。且つ、切っ先にもわずかに震えが見えた。

この青年が全くの素人であることは自明の理。故に老人には理解ができなかった。ただの置き引き程度でここまで怯えている、意味が。

 ややあって、絞り出すような声が返る。

「どうせ、もう呼んでんだろ、警察」

「はぁ? 呼んでねえよ、俺は」

「捕まったら、即少年院、だろ?」

「……置き引きぐらいじゃそこまで————」

「うるせェ!!」ナイフが再び空を割く。どよめきと微かな笑い声と共に、周りからカメラのシャッター音が鳴り響いた。「撮ってンじゃねェッ!!」と金髪の青年が滅茶苦茶にナイフを振り回すと、蠢く人の輪がぐにゃりと外に歪んでいく。カメラの音が止んだのを見計らって、金髪はまた老人へと向き直った。

「……なぁ、見逃してくれよ。どうせ裕福な暮らししてたんだろ? 未来ある若者に、プレゼントくらいくれてもいいじゃねーか」

 助けを乞うかのようなか細い声が、かろうじて老人の耳に届いた。

しかし、それをかき消す野次馬のざわめきが、最高潮に達している。これ以上問答を続ければ、野次馬の輪は崩壊し、ナイフを持った青年ごと、全て押し流してしまうだろう。そうなれば、どれだけの被害が待ち受けているか——。

そこまで考えて。決断した老人は、静かに息を吸い込んだ。

「……わかった。もう追いかけない。逃走経路も空けてやる……おーい、そこ通してやれ」

 両手を上げ、青年の後方に声をかける。気づいた群衆数名がゆっくりと左右に分かれ、人の輪に初めて穴ができる。

複数の足音で、逃げ道が確保できたことを確信した青年が一瞬だけ後ろを振り返る、その瞬間。

老人の脚が素早く動いた。

 半身で青年の懐に潜り込み、ナイフを持つ腕を両手でひねる。痛みと同時に倒れる身体に覆いかぶさり、放り出されたままの青年の腕を背後に回し、そして肩甲骨付近まで押し上げ拘束したのだ。

 うつ伏せになり、痛みに呻く青年の眼前にナイフが映る。しかしそれさえすぐさま老人の脚が蹴り飛ばし、金属音と共に視界から消えた。

「悪ぃな」両手分、青年の関節を極めた状態で馬乗りになった老人が、静かに青年を見下ろす。

「こちとら、『未来ある若者』が道踏み外すのを見てらんねェ性分なんだ」


「ちょっとすみません、通ります」

拍手と歓声が響く中、手帳を掲げた警官たちが割り入り、老人たちのもとへとやってくる。顔ぶれをちらりと見た老人は、バレないようにげっ、と顔をしかめた。

大人しかった青年が、警官服を見るなりまた暴れ出す。「嫌だ、行きたくない」と半狂乱で泣き叫びながら、老人の手を離れ連行されていった。

警官服に交じり、品のあるスーツ姿で現れた中年の刑事は、その場にしゃがんだまま、青年を目で追い続ける老人に恭しく敬礼をし身をかがめる。

「ご協力感謝致します。あとは私共にお任せを。怪我は————おや、『蓮さん』?」

 呼ばれ、観念したように大きく息を吐いた老人——足緋たるひ 蓮将れんすけは、ぎこちない笑みでそれに応えた。

「……よう。元気してるか? 尾上」

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