from2070:狂蟲騒生記

ミナヅキハツカ

プロローグ

 廃棄物で汚れた水たまりに、ネオンがぎらついている。

 時折爆ぜる電気の粒が濡れた地面に落ちていく。

 下卑た喧騒が渦巻く夜の繁華街を、くたびれたスーツが一人。ふらつく足取りは拙く、猫背になった身体からは、ぜいぜいと病的なまでの呼吸音が吐き出されている。その口は力なく開き、よだれまで垂れ流すほどだ。

 煌びやかな服装の男女たちは、今にも倒れそうなスーツの男を見ると嫌悪感をあらわにし、一様に視線をそらして避けていく。

「……ォ、ァ……ん」

 中年男に絡みつくキャバ嬢が、すれ違いざまにスーツ男の声を聞く。

 どことも知れぬ方につぶやき続ける男を気味悪がり、嬢は道をさっと空ける。中年男はそんな嬢を気遣うふりをして、そっと彼女の肩を抱く。透けて見える下心に辟易しながら、思ってもいない感謝を述べ、彼女らは数歩歩いた。

 ……ふと、ゴシップ好きの嬢の好奇心が膨らんだ。

 浮浪者みたいな恰好だ、大方金でもスったのだろう。一体どんな顔をしているか拝んでやろうか————。嫌な笑みを浮かべ、男の腕越しに振り返る。

 それが、いけなかった。

 すれ違ったはずのスーツの男と、目が合う。半ば飛び出しかけている目がぎょろりと嬢の視線を捉え、よだれまみれの唇が、“にちゃあ”と気味悪く笑みをかたどる。低く掠れた声が、唸るように言葉を放った。

「ご、はァ゛……んんんん」

「ヒッ……!?」

 後ずさり、走り出そうとしたときにはもう遅かった。

 およそ人間とは思えない動きで、一瞬にして嬢との距離を詰めた男は、その勢いのまま腕に食らいつく。

「い、ぎぁァァァッ!!」

 柔らかい女の腕の肉に、鮫のように鋭い歯がぎちぎちと食い込んでいく。ついには肉が食いちぎられ、血しぶきと共に断末魔が夜の街に響き渡った。

 途端に、蜘蛛くもの子を散らすが如く人間たちが走り出す。先ほどまで彼女を気遣いデレデレしていた中年男ですら、一目散に夜の闇に消えていく。男も女もプライドも、本能的恐怖の前にはすべてが茶番に過ぎなかった。


 転機は数分後。

 悲鳴の中心で嬢を組み敷いていたスーツの男が、徐にびくりと震えだす。瞬間、女を貪り食わんとしていた口が開き、大量の血に交じり、ドロドロに溶けた何かを吐き出した。

 ひとしきり吐き終わると、男はひと際大きく痙攣けいれんし——その場に倒れ伏して沈黙する。


 地獄と化した繁華街。

 静まり返ったその場所で、スーツの男の身体の下で白目を剥いた嬢の血塗られた口だけが、“にちゃり”と薄気味悪く、笑みを浮かべていた。

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