2. スローモーション
「ねえ、このあと時間ありますか? 行きたい場所があって♡」
そう俺の顔を覗き込んだのは、
学校一「あざとかわいい」生徒として、この高校で知らない人間はいない有名人である。
さりげなくふわっと巻いたボブヘアーは、定番のモカブラウン。
くっきりとした端整な顔立ちながら、ぱっちり二重の大きな瞳でその印象は柔らかく、「愛くるしい」という言葉がそのまま飛び出してきたような可憐さだ。
どこからか柑橘の甘い香りがするのも、少しかがんだ彼女の上目遣いにアクセントを加えていた。
「え? あの子如月さんじゃない? なんであんな奴の机に」
「どういうことだ? もしかして知り合いなのか?」
「いや
さっきまでテストの話題一色だった教室がにわかに静まり、全員の困惑した視線が俺と如月に集まる。
これはまずい。
ようやく我に返った俺は、なんでもいいから早く返事をしないと、疑惑がどんどん深まっていくことを悟った。
ねえ先輩、と俺の目を悪戯っぽく覗き込む如月から目線を外して、何でもない風を装いながら話を切り出す。
「き、如月さんですよね。一年の」
「わ~先輩、名前憶えててくれたんですね! 私うれしいです♡」
「えっと……」
はい俺もうれしいです。じゃなくて、憶えてるもなにも、学校一の美少女って噂を聞いただけで。直接話したことはおろか、廊下で見たことも無いはずなんだが……。
それにしても目線を外すのが精いっぱいで、あの如月裏葉に絡まれているという事実だけで頭がのぼせてきた。しかも何の前触れもなしに来るというのが、ますます意味が分からない。
教室中の注目の的になっているのを感じるし、ヒソヒソ声もそこかしこから聞こえてくる。
誰かに注目されるのに慣れていないせいで、グループ学習でも聞き役ばかりの俺が、どうしてこんな状況にハマっているんだ。
もはやこれがご褒美なのか見せしめなのか、段々分からなくなってきた……。
しかし如月は、そんな周りの目など気にならない様子で、口を耳元のほうに寄せてくる。
いやこれは近い! どうするのが正解なんだ!?
「先輩どうせこのあと暇でしょ? ちょっと付き合ってくださいよ~、どうです?」
「!?」
少しトーンを落としたささやくような声に、思わず声が漏れそうになる。
反射的に体を離して如月のほうを見ると、彼女はくすくすと笑いを堪えていた。
まるで小悪魔のような微笑みだが、それでもどこか愛嬌がある。
(これが「あざとかわいい」の「あざとい」部分か……)
如月の噂は、顔見知り程度の友達しかいない俺にも回ってきていた。
曰く、中学時代から近隣では有名な美少女。抜群のルックスを持ちながら、その上勉学ともに優秀で、コミュ力まで高い人気者。
俺の高校に入ったのは、わずかひと月ほど前である。
それにもかかわらず、既にクラスメイトだけでなく、先輩である二年生や三年生からも告白を受けたというのだから、その評判は瞬く間に広まった。
しかも、その結果は全て玉砕。
どうやら彼氏は作らない主義のようだが、そのミステリアスさも相まって、その人気は留まることを知らない。
「実はイケメンの大学生か社会人と付き合っている」なんて情報も流れてくるが、その真偽のほどは定かではないという。
「……それで、なんで如月さんが俺に」
「そんなのいいじゃないですか~。はい、とにかく行きますよ♡」
そう言った如月は、俺の腕を素早く、しかし確実にぎゅっと両手で掴んでくる。
「!!!!」
腕に食い込む女子の手の感触によって、俺の鼓動は加速度的に早くなる。
心臓が強く脈打ちすぎて、そのペースは一瞬で警報レベルにまで達していた。
そして、あまりの展開に驚いたのは皆も同じなようで、教室のあちこちから小さな声が漏れ聞こえてくる。
特にそばにいた男子は、眼の見開き方が尋常じゃないくらいになっていた。
もうそのまま両眼が飛び出して、どこかへ飛んでいきそうだ。
(しかしまずい。ここで断らないと、クラス内の立場が完全に無くなる!)
元々教室に馴染んでいるとはいえなかった俺が、もしあの如月裏葉とそういう関係だと誤解されたら、今後の高校生活は完全に詰みだ。
女子には困惑され、男子には嫉妬され……いずれにしろ俺は悪くないのだが、他の人間から見たら、そんな言い訳はしばらく通用しないだろう。
これまでの高校生活をぼーっと過ごしてきた俺には、あまりにも唐突で、そしてあまりにも重い決断が迫っていた。
なけなしの勇気を振り絞り、断りの台詞を切り出す。
「あの、如月さん……」
「やっと行く気になったんですね、先輩♡ ささ、行きましょ~」
「え!?」
腕は片手でぎゅっと掴んだまま、空いた手を背中に回されたかと思えば、るんるん笑顔の如月は俺を立ちあがらせていた。
座っているときには気付かなかったが、如月は思ったより一回り背が小さい。
しかし意外にも、背中を押す手は強かった。
どんな風に腕を回しているのか、その感触だけで十分に分かってしまう。
気付けばそのまま、なかば強引に、俺は教室の扉のほうへとお供させられていた。
重い足取りのなか、柑橘の香りがより強くなった気がするな、なんて呑気な感想まで思い浮かぶ始末。
驚くクラスメイトのぱくぱくさせた口さえ、今はスローモーションに見える。
(まあ、さよならだな、俺の高校生活……)
元から始まった感じもしない高校生活。
その終わりは、あの学校一「あざとかわいい」如月裏葉によって、あっけなく告げられたのだった。
学校で一番あざとかわいい後輩は、なぜか今日もモブの僕の机にやってくる。しかし、その理由を尋ねても、バレバレな嘘ばかりつく。 ねむいきなこもち @nemui_nemnem
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