下絵
「ほら、差し入れ」
「ありがと……病院食ちゃんったら薄くて薄くて」
マイバッグをそのまま渡すと、真海は近くにあったウェットティッシュで粗雑に手を拭き、私の持ってきた蜜柑にがっつく。
まあ、日々カップ麺と共に生きてきた彼女なら、病院食が味気ないと感じるのも無理はないだろう。とりあえず栄養摂ってくれるなら何でも良いよ……そんな低すぎるハードルを彼女はぎりぎりで飛び越えていく。
「んで、今はどんな絵描いてんの?」
立ったまま話しているのが段々億劫になってきたので、真海の隣に腰掛けさせてもらう。ローポニーテールにしていた黒髪を下ろし、私は訊ねた。
「ひひふ」
「秘密って……今まではすんなりラフとか見せてくれてたじゃん。何でよ?」
問い詰めても彼女はバナナを頬張りながらもにょもにょとするだけ……いや、こいつにそんな可愛い擬音は似合わないな。もぞもぞでいいや。
「もしかして、ついにR指定つくやつ? 見せれないレベルなの?」
昔から変な趣味を抱いてはいたものの、彼女は自分の作品にそれを持ち込みはしないタイプ。だから、私は疑心を抱きながらその問いを投げかけた。
差し入れの中にあったスポーツ飲料をぐいっと飲み干し、真海もそれを否定する。
「違うよ~……まあ、ソラのえっちな絵は前々からプライベートで描きたいと思ってますけども」
「お前退院したら一回殴るからな」
至極真面目な瞳で邪な構想を漏らす。こいつに男ができない理由。ずばりこういうところだ。
手入れもずさんなはずが何故か私よりも艶のある黒髪をしていて、顔もまあまあ整っているのに勿体ない。とか面と向かっては絶対言わない。
彼女が何故進捗を見せてくれないのかは、結局有耶無耶にされたままであった。姉妹とはいえ隠し事はいくつもあるだろうし、私も深くは詮索しなかったのだ。
「そういえば、昨日昔の写真漁ってたんだけどね、こんなの出てきたんだ」
「暇かよ……」
切り替わった画面を話半分に確認するなり、私はぎょっとする。
これ、私が小学生の頃に描いた絵じゃん!
「ちょっ、何掘り出してんのさ!」
予想外すぎる刺客に、思わず院内で大声を出してしまった。なんか無駄に画質良いし。
「あ、やっぱりソラも覚えてた?」
「忘れたくても忘れられないんだよ!」
にんまりする真海に、私は叫喚にも似た声で言い返す。それは、出来ることなら一生思い出したくない……いっそなかったことにしたいくらいの愚作。
何でも良いから校庭の景色を描くっていう課題に対し、私のは校舎裏に生えている樹木という渋いチョイス。それまでは良いのだけど、実際に描き起こしたものがもう見てられないのなんの。木の頭が何故か大気圏を突破しているし、地震の波形かよってくらい幹がぐにゃぐにゃに曲がってるし。
今となっては確かにド下手で頓珍漢に見えるが、当時の私は至極真面目に描いていた。なのに、真海はめちゃくちゃ馬鹿にしてくるし、果てには両親やクラスメイトにまで大笑いされる始末。
私には芸術の才能がないと涙ながらに悟った、中々の黒歴史である。
まずなんでそんなもんの写真残してたんだ、こいつは。
「ソラにも送ってあげる」
真海がスマホをポチポチ操作すると、例の絵がご丁寧にメールに添付されて送られてきた。
「いらないし!」
私は滅多にスマホへ画像を保存しない。絵に関わらず感動を何度も再現したくはなく、一番初めの衝撃を大事にしていたいタチなのだ。
仕事で必要な書類なんかはパソコンだけに保存するし、メモとして撮るものも必要なくなればすぐに消してしまうから、私のフォルダは空であることの方が多い。
それを抜きにしても、これを送られてきてどうしろと……?
「あまりに笑えたから、さっきネタにして投稿しちゃった」
「はっ⁉」
聞き捨てならない一言をサラッと吐かれた気がする。まさか……SNSに上げたって……こと?
それは私のブラックヒストリ―が、彼女を支持している無数のフォロワーはもちろん、果ては全世界のネットユーザーへ拡散されることを意味する。
ネットリテラシーやミームへの理解はある真海のことだから、『私の姉が大昔に描いた絵発掘したったw』と赤裸々に投稿してバズるのが目に浮かぶ。あまりに大流行りして暇な職人がコラ画像を作り出す未来まで見えた。
そんなことになれば私の面子がズタボロだ。一応玩具メーカーの企画やってるってプロフィールに書いてるんだし、悪いイメージが少しでもつくようなものはやめてほしい。彼女の場合「大昔に」を抜かしてもっと大惨事にするかもだが。
「ちょっ……おま……すぐ消せっ!」
「嘘だって~……ソラ今日何の日か知らないの?」
「えっ?」
病人だということも忘れて掴みかかるところだった私は、真海の言葉で我に返る。
「あ……エイプリルフールか」
病室の壁に掛けられたカレンダーで彼女の意図を理解し、安堵する。世間では企業による賑やかしのフェイクニュースが作られたり、飲食店が嘘の新メニューを宣伝したり……会社でも話題にしている人がいたっておかしくなかった。
日の沈む時刻までそれに気づかないくらい、私は切羽詰まっていたのかも。可能ならあの絵の存在も嘘になってほしいんだけど。
「私的には大成功だったけどね」
「?」
「だってソラ……私がここに来てから感情の起伏が弱くなってたから。私が揺さぶってあげたんだよ」
「なんでそんなこと……」
真海はスマホを置いて、ほんの少しだけ真剣な顔つきになった。
「私が迷惑かけてるのは重々承知だし、どうこう言える立場じゃないけど……どうせなら、笑って過ごしててほしいから」
言われてみれば、あんなに大声出したり、思いきり驚いたりしたのは……久しぶりかも。
「ソラは昔からずっと、笑顔が一番可愛いんだから」
「……」
真海のことが心配で、無理していたのも事実。真海は真海なりに、辛気になっていた私を励まそうとしてくれていたのか。
「……大嫌い。そういうとこ。もう心の底から」
しんみりした空気にされるのが嫌だったから、静かな病室で私も一つ、嘘をついた。
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