独り占めファンアート

ぶれいず。

ラフスケッチ

「はあ……」

 とある玩具メーカーの一室。嫌でも目に入ってくるのは、直線状に並ぶデスクの上にずらりと並べられたフィギュアに、壁の余白を埋めるように貼られたアニメ作品のポスターたち。整理整頓されているとは言い難いが、この企業に相応しき光景であるのは確かだ。

 そんな中で私は一人、三日後のプレゼンで用いる未完成のスライドと睨み合っていた。新商品の決め手となるセールスポイントをどう伝えれば良いか、考えれば考えるほどこんがらがってしまう。


あかつきさん、お疲れ様です~」


「あ、うん。お疲れ」

 同期の一人が荷物をまとめてオフィスのドアから出ていく。ふと辺りを見渡してみれば、残っているのは私と課長だけだった。


「暁、その辺にしといたら。さっきから指が動いてないよ」


「課長……」

 彼女は頬杖をついて、優しく瞳を細める。社員のことを誰よりも見ていて、ミスをしでかした際も怒鳴ったりはせず、的確にアドバイスしてくれる……まさしく理想の上司。


「それに今日も、待ってるんでしょ? 今は特別忙しい時期でもないんだし」


「……」

 課長は何もかも知っている。とある恩で私が彼女の元についていることも、別の場所で私を必要としている人物がいることも。その一言に促されて、私もPCをシャットアウトした。


「お先に……失礼します」


「はいよ。まあ私もすぐ帰るんだけど」


 背伸びしながら「ノー残業って良いわね~」と笑う彼女に一礼し、早足で階段を駆け下りた。

 広い出入口を通過し、高くそびえたビルを振り返る。ここは定時退社を推奨するわりかしホワイトな職場であり、何時如何なる時も社員のことを第一に考えてくれている。同僚の全員が、オンとオフの切り替えを上手く行えているように思えるのも、充実したライフワークバランスを提供してくれているお陰だろう。

 それは私にとっても至極有難い話で、この環境にありつけたことに心から感謝している。


「この後どうする?」


「カラオケ行かない⁉」


「えー昨日も行ったじゃん!」


「歌い足りないんだよ~……『鋼鉄機動グランブレイブ』の主題歌制覇したいの!」



「……意外と女子高生も観るんだ」

 自社の扱うコンテンツが話題に出てくると、少しくすぐったいような、変な心持ちになる。部活終わりの時間帯でもある夕方、楽しそうに騒ぎながら帰るJKたちを横目に、私はまだ明るい街を一人行く。

 それからは特に取り上げるような会話はなく、絶えず響く自動車の走行音と不揃いで当たり前の雑踏は、考え事へふけるのに十分なBGMだった。


 仕事が終わったら、何をするか。この問いには色んな答えがある。


 美味しいものを食べに行くとか、恋人の待つ愛の巣へ帰宅するとか。


 形は人の数だけあって、皆誰にも邪魔されない、思い思いの時間を過ごすだろう。



 そんな中で、社会人三年生のOLである私――暁 真空まそらが赴くのは……



「差し入れ……これで良かったかね」

 古びたマイバッグを片手に、消毒剤の匂いが散漫する病棟を一人歩く。この場所こそ私の目的地である。

 初めこそスーツのまま来院する私を珍しがる人もいたが、何度も通ううちにすれ違う人とはもれなく無言の会釈を交わすほどになった。三桁の数字も部屋の位置も、とっくに覚えているから自然と足が動く。もし私が病を患ったら、ここでお世話になるのが良いかな。


 そんな縁起でもないことを考えているうちに、真の目的地にたどり着いた。


真海まうみ……起きてる?」


 あまり大きな音を立ててしまわないよう、スライド式のドアをゆっくりと開ける。


「起きてるよ~」

 呑気な声で私を迎え入れるのが、妹の暁 真海。病院生活にもそろそろ慣れてきたのか、私の方は向かずにスマホを弄っている。

 彼女は先週からここへ入院していて、姉である私がこうして毎日お見舞いに来ている。私を含め一応上京してきた身だし、信頼できていつでも頼れる身内は私一人しかいない……過去に彼女は自分でそう零していた。

 入院とはいっても、寝たきりではないし点滴生活というわけでもない。むしろ彼女の方が私より元気に見えるくらいだ。


「わ、見てよソラ……昨日上げたイラストさあ……もう十五万いいね行ったんだけど! すごくない⁉」

 ナマケモノのようにぐでっと横になっていたかと思えば、真海は突然に飛びかかりスマホの画面を押しつけてきた。

 マソラだとなんか呼びづらいという理由で、彼女は私のことをソラと呼ぶ。私はマウミって呼んでるのに……性格も正反対だし、本当に似ても似つかない姉妹だ、とつくづく思う。

 視界を占拠する彼女の画面には、デジタルイラストが一枚。一人の少女が風船を片手に、無限に広がる青空を見上げている。水彩画にも見えるし、油絵にも見える……何重にも描き込みのされた、不思議で自然と惹かれる絵だ。


「はあ……あんたほんとに病人?」

 妹の正体は、SNSでのフォロワーが百万を超える凄腕イラストレーター。一度ペンを取れば余程のことでない限り離さず、食事も睡眠も惜しんで日夜イラストを描き続けている。

 立派な社会人のくせして普段の生活リズムはボロッボロで、入院前に住んでいたアパートへ私がたまに様子を見に行くと決まってゴミ屋敷がお出迎えしてきた。何度掃除して帰っても、だ。

 同棲なんて絶対したくないと一目で思わせるほどのそれは、もはや才能の域だろう。入院することになったのもいくらかはそれが原因では……という台詞はいつ言おうか悩んでいる。


 でも、絵画に命をかけているだけあって、真海はお世辞抜きで本当に上手い。彼女には良い意味で決まった絵柄なんてのはなく、人物も風景もお手のもの。おまけに発想力まで抜きんでているものだからアイディアには全く事欠かず、彼女の手にかかれば、どんなにありふれた景色や出来事も未知の芸術作品へと生まれ変わる。

 私も彼女のSNSは相互フォローしており、フォロワー百人弱の極小アカウントなりに拡散はしている。中身は置いておいて、真海の作品は純粋に好きなのだ。


「いいじゃん、結構好きかも」


「えっ……ソラが、私のことを……?」


「絵な!」

 突然入院が決まったときはどうなるかと思ったけど、正直住む場所が綺麗になっただけで彼女自身は何ら変わりない。それどころか、入院前よりまた一段上達しているようにすら感じられる。そんな真海に毎日会いに行く理由があって、イラスト制作過程を日々見られるのは、ここで生まれたささやかな楽しみの一つ……と言っても良いかもしれない。

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