第一章 騎士

第一話 九死に一生

 瞼を開く。


 さあ、俺がいるのはブライヤ村か、別の場所か、それともどこか知らない世界か。


 やけに寝心地のよいふかふかのベッドから起き上がり、周りを見回してみると、そこは広々とした、シックな内装の部屋であった。


「……は?」


 近くには誰もいない。


 床と天井を繋ぐような縦長の窓から外を覗くと、そこにはちょっとした庭園と柵、そして金属製であろう門が見えた。


「どこだ、ここ……」


 まさに知らない天井である。


 ある程度、身体は回復しているようだ。


 ひとまず、普通に立って歩くことはできている。


 ドアノブを引き、部屋を出ると、そこには長い廊下が広がっていた。


 昭和の世に見た洋風建築のような、上品な造り。


 この家の主人はよほど趣味が良いらしい。


 ゆっくりと廊下を歩きながら、主人のものらしき部屋を探す。


 しかし、俺がわざわざ主人を探すまでも無く、瞼の裏によく焼き付いた金髪に碧眼の似合う少女が、家の主人を連れて抱き着いてきた。


「まあ!部屋を出てきてしまっていたのね、私の騎士様!」


「キ、キシサマ……?」


 間違いない。


 今まさに俺の胸に抱き着いているのは、ラブラ森林に入り込んでしまった領主の三女であるガラテヤ様である。


 俺を新しく着任する騎士か何かと勘違いしているのだろうか。


「ああ。おはよう、君。具合は良くなったかな?」


 そして今、俺の体調を気にかけてくれたお姉さんは、何を隠そうブライヤ村を含むベルメリア領を治めている子爵家の長であるロジーナ様であった。


「はい、領主様。ありがとうございます、わざわざベッドまで頂いて」


「君は大切な領民、ましてや、ガラテヤを魔物から救ってくれた恩人だからな。そう、ぞんざいには扱えないよ」


「は、はぁ……何というか……不思議な気分ですね。まさか領主様直々に、そうおっしゃって頂けるなんて、思ってませんでしたから」


「おや?何でそんな風に思うんだい?まだ子供なのに、随分と寂しい事を言うものじゃあないか」


「いや、だって俺……あの村じゃあ、腫れ物扱いされてますし」


「ああ……道理で。村の皆が君の命に対してのみ極端に無関心だったのは、そのせいだったのか」


「……領主様なら、お耳に入れたことがあると思いますが……馬車の事故に巻き込まれて妻を亡くした夫が、運転手も乗っていた商人も、みんなまとめてメッタ刺しにして殺した事件、覚えてます?犯人の名前は『ジノア・セラム』」


「ああ、よく覚えているよ。あの時は、私も凄惨な事件であったと心を痛めたものだ。まさか、あの夫婦に残された息子のジィン君が君で、その君が村でそんな扱いを受けていたとはな……」


 やはり、あの事件は父の殺し方があまりにも残忍というか、妻を奪われた怨みを本当に全て込めたことが火を見るのと同じくらいには分かるような殺し方であった。

 そして父は一躍、悪い意味で時の人になったため、特に自治体の行政に直結している領主という立場にあるロジーナ様にも、流石に名前くらいは伝わっていると思ってはいたが……まさか、俺の名前まで知っていたとは。


「俺の名前……知ってたんですね」


「いや。今、君がここで父親の話をしてくれるまでは知らなかったさ。何せ、村人達が揃いも揃って『あんな子は知らない』と言うのだからね。……そうか、そんなことが……。村八分など、今時になってすることか……。……すまなかった。村の悪習に気付けなかったのは、領主である私の落ち度だ。謝罪させてくれ」


「ハハ……まあ、母が死んで、父も捕まって……その時点で、俺の人生ドン底みたいなものでしたから。村人からの扱いが悪くなったところで、あんまり変わることなんて無かったですよ」


「……君は知らないかもしれないが、村長経由で私のところへ書類を寄越してくれれば、孤児手当を支給するなり、それこそ君を孤児院に送るなりできたのだよ。だが、君は村で平等な扱いを受けていなかったのだろう。そんな書類が私の元へ届いた事は一度も無かった」


「へぇー……そうだったんですか……」


 皆の目を盗んで村長室に忍び込み、福祉周りのことを調べておけば良かったと思う反面、「そういった福祉系のお金はほぼ確実に自治体を介すのだから、孤児手当を申請するだけ申請した上で俺が受け取っていることにして中抜きすれば良かったのに」と、いかにも二十一世紀を生きた人間のようなことを思ってしまう俺に少し嫌気が差す。


 それとも、わざわざ俺の存在を認めてまで中抜きする価値すら無いと思われていたのだろうか。

 ……いずれにせよ、それならそうで悲しい話である。


「……すまない。あの者達が村ぐるみで君を苦しめていたことに気付けなかったのは、確実に私の落ち度だ。領主の座を継いでから何年経っても、私は己の力不足を実感させられるばかりだよ」


 深く頭を下げ、俺の手を握る領主様。


 いくらフランクな性格とはいえ、ベルメリア子爵閣下ともあろう人が、一介の子供にここまで深く頭を下げてしまって大丈夫なのだろうか。


「ああ、頭を上げて下さい領主様。ガラテヤ様も見ています、どうか、輝かしい母親像を、俺なんかのために傷つけないで下さい」


 俺は何だか逆に申し訳なくなってしまった。


「自らの力不足による過失を詫びることもできずに、輝かしい母親像など保てよう筈があるまい。君が命を差し出してまで拒みでもしない限り、私から何かしらの補填はさせてもらうつもりだ。そうでなければ、私の気が済まない」


「そ、そう、ですか……じゃあ、少しはお言葉に甘えさせて頂きます……と言っても、まだ具体的に何をして頂きたいかは決まってないんですけど」


「あらあら、お母様。なら、この騎士様……ジィン様を、本当に私の騎士様にしてしまってはいかがかしら?身寄りも無ければ村民達からもまともな扱いを受けていないのでしょう?」


 ここで、ガラテヤ様が口を開く。


「騎士様って……ガラテヤ。……本当はあまり言いたくないが、決まりだから忠告しておくぞ」


「あら、何かしら?」


「お前は、このベルメリア家でも末っ子、三女だ。そんなお前が家を継ぐ可能性は極めて低く、今生きている私達家族が全員死ぬか、何かしらの理由で資格を失うでもしなければ、その権利を与えられることはまず無い。……お前は私にとって大切な娘の一人だが、社会の仕組みがそうなのだ」


「それがどうしたの?」


「……そんな三女のお前に設けられた騎士の枠は、僅か一つ。お前がこの家に留まり続けるか、自立して元貴族の一般人として生きていくか、それとも他の身分につくかは分からないが……。少なくとも、『ベルメリア家の三女』でいる間につけられる騎士は一人だけ、さらに騎士側によほどの落ち度が無い限り、取り替えもできないのだぞ?そう、急いで決めなくても良いではないか?」


「じゃあ、尚更よ。一人しか使えない騎士様の枠に、この方を入れるのなら私は満足よ?」


「……確かに、その子は強い。十二歳の若さで、大した武器も持っていなければ魔法を使った形跡も無く、ホブゴブリンの片目を潰したのは、まぐれであったとしても相当な成果だ。だが、それでも大人の私達からしてみれば、戦士の中では下の上か中の下が良いところだ。今のその子では、……亡くなった前任の代わりにはならない」


「ふん。確かに、それはそうね。『今は』、だけれど」


「それに、他にお前の騎士たり得る力と人格を兼ね備えた戦士は、この領地にも、我が私兵達の中にも多くはないが、いる。お前が彼……ジィン君と一緒に過ごしたいというだけなら、わざわざ騎士になどせずとも、彼さえ望めば、この家で成人するまでの面倒はみてやるつもりだ。……それでも、お前はジィン君を騎士にしたいのか?万が一、事件や事故に巻き込まれた際には……彼は自らの命を投げ出してでも、君を守らなければならなくなるのだぞ」


「……もう、お母さまの意地悪」


「意地悪も何も、近衛の騎士とはそういうものだ。……もっとも、ジィン君が望めば、私としてはその通りにするつもりだが」


「……彼の待遇は彼次第、ということですのね」


 なるほど、爵位継承権では姉や兄に次ぐ三女とはいえ、子爵令嬢に騎士がいないのはどういうことなのだろうかと思っていたが、前任が亡くなっていたとは。


 そこに運が良いのか悪いのか、迷い込んだ森で遭遇したホブゴブリンの魔の手から逃れる時間を稼いだ上に、木の棒でそいつの片目まで潰す俺が現れたと。


 未熟者と騎士にしたがるのは守られる側の発言としてどうかと思うが、確かにガラテヤ様からしてみれば、俺がやったことは確かに騎士……というよりかは、護衛そのものである。


「ジィン君。……ガラテヤはああ言っているが、君がこれからどうするかは君自身で決めると良い。……この家で私達に養われるも良し、ガラテヤの心さえ変わらなければ、そのまま騎士となるも良し、君が望むのなら、領地内であれば望む孤児院にでも、なんなら君を腫れ物扱いしていた村人達が待つブライヤ村へでも送ろうじゃないか。私達にできることであれば、よほどの事情が無い限りは聞いてやるとも」


「えっ……。うーんと……今、決めた方が良いですか……?」


「ああ、今すぐにとは言わないよ。ただ……こちらも少し、予定が立て込んでいてね。三日以内に返事をもらえると嬉しいんだが……いいかな?」


「三日……わかりました、ありがとうございます。じっくり、考えますね」


「ああ、そうしてくれ。……ガラテヤ。これから私はランドルフを連れて、ブライヤ村の悪習と、ラブラ森林の霊脈を調査してくる。リズとカトリーナは書庫に、バルバロは訓練場にいる。何か困ったことがあったら、皆に頼ると良い。いいな。……では、行って来るぞ」


 霊脈というのは、魔法を使うために必要な魔力を空気中に噴出する穴と穴を繋ぐ、まんま水脈の魔力版である。


 魔物というカテゴリには、存在に魔力が絡む、つまりはスピリチュアルな要素を少なからずもつ生物、その中でも人間に害を与えることが多いものが定義されている。


 水に引かれる人間が川に沿って集まるように、魔力の噴出口がある位置や、霊脈の位置が浅く地上に近い場所に、自然と魔物は集まる。


 そして魔力というものは、過去に四度の生を授かった世界では空想上のものでしか無かったが、この世界では実在のものであり、しかし所謂「霊的な概念を内包する精神エネルギー、イコール非科学的なエネルギーである」という点は、特に前世以前で聞いた解釈と大きく変わらないようであった。


 ざっくり、俺はこれを「不思議な力」として理解している。


 また、これらの知識は、ブライヤ村の人々がまだ俺に冷たくなかった頃……そして、母が存命であった頃に、衛兵から教えてもらったのだ。


 懐かしい。


 両親の残滓を覚えるあの村に未練が無いかといえば、嘘になるだろう。


 だが、折角ロジーナ様が他の選択肢を用意してくれた以上、俺にあの村へ戻る選択肢は無い。


 ……コンコン、と、扉を叩く音がした。


「もし、ジィン様?入ってもよろしいかしら?」


 それに、扉の向こう側に今まさに俺を村に帰すまいとしている、熱心なお嬢様がいるのだ。


 答えはもう、この時点で決まっていたようなものであった。

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