たった一人の騎士

 ブライヤ村を訪れた子爵家の五人。


 前世を生きた世界であれば、テレビにコマーシャルに引っ張りだこであったであろう程に美しい容姿をもつ、この世界では珍しい女性領主、「ロジーナ・モネ・ベルメリア」子爵に、その夫である長い髭を生やした、いかにも勇ましい戦士といった風貌の「ランドルフ・ネフロ・ベルメリア」様。

 そして、その長女である「リズ」様、次女の「カトリーナ」様、三女の「ガラテヤ」様、さらに長男の「バルバロ」様。


 錚々たる面子に、村人達は人だかりを作って領主様達の元へ集まっていた。


 ベルメリア子爵領は税の還元率が高く、また彼女らの人柄も相まって、高い支持を集めている。


 その人気や親切な社会構造は、為政者に相応しい理想の領主として、他の領民にも羨ましがられている程だ。


 しかしロジーナ様とランドルフ様の二人は村長と何かの打ち合わせをしているのか、しばらく集会所から出て来ず、村人達は接近を諦め、ベルメリア子爵の一家をもてなす料理の準備を始めていた。


 そしてその間、ご子息達は村の広場を走り回ったり、本を読んだりして遊んでいたのだが……そんな中、三女であるガラテヤ様は一人、領主が何か村長と相談をしている間に広場から飛び出し、村のすぐ近くにある「ラブラ森林」へと走っていってしまった。


「これは……マズいんじゃあないか……?」


 あの森の奥には、数こそ少ないが魔物が生息している。


 特段強い訳でもなければ、魔物達は人が集まっている村を恐れるため、そう深くへ入り込まなければ大した危険は無いのだが……親の会議中に村を抜け出してしまう少女が、森の中で迷わないとは考えにくい。

 そして万が一、森の奥深くへと入り込んでいってしまったら……。


 考えるだけで恐ろしい。


 ……俺は領主様に報告をしようと、集会所に立ち入ろうとする。


「オイ、何勝手に立ち入ろうとしているんだ!」


「殺人者の息子を領主様に会わせるわけがねぇだろ!」


 しかし村人達に阻まれ、殴る蹴るの暴行を受けた末、村の外にまで放り出されてしまった。


「う……」


 何をするにも、俺には他人が邪魔であった。


 いつもそうだ。


 街が乱れていたがために、ソドムを生きた俺はかれ。


 裏切られた方の軍勢にたまたまついていたがために、武士としての俺は殺され。


 戦時中に若い男児として生きていたがために、自爆特攻を求められ。


 未曾有の大災害が起きた時代に生まれてしまったがために、俺は死に、命と引き換えに守った姉は今、生きているのかさえ判らない。


 三回目までの人生は、全て他の存在による干渉があって死に陥ったのだ。


 四度目の人生における姉のことを邪魔だと思ったことは一度も無いが、その生では、自分よりも姉を大切に思ってしまうことこそが、俺を殺してしまう直接の原因になってしまったのは間違いないだろう。


 ああ、なんて簡単なことだったのだろうか。


 俺は、このままガラテヤ様を見捨てる。


 そうするだけで、俺は何かに巻き込まれるでもなく、ガラテヤ様が死のうが、何処かで発見されようが、それはただの領主様や護衛などの責任になる訳だ。


 よし、このまま俺は家に帰って、素知らぬ顔でゆっくりとベッドに寝転んで……。


 いられる筈が無かった。


「クソッ!甘いな、俺は……!」


 ああ、またこうして、俺は自らの命を縮めていくのか。


 ラブラ森林には、低級の魔物であるゴブリンが生息している。


 しかし低級の魔物とはいえ、子供であれば普通に殺されてしまう程度には弱くない。


 正直、俺が行ったところで何の助けになるかは分からないが、一人より二人だ。

 いないよりはマシだろう。


 人殺しの息子と、散々酷い扱いを受けてきた俺だが、それでもまだ、俺に優しくしてくれた姉の記憶が、俺を畜生にさせてくれない。


 こんなにも甘いものなのか、俺は。


 かつて武士として何十人もの敵を斬り殺し、また特攻隊として、他国の兵を殺した俺が。


 周囲の人間や、誰かを大切に思ってしまう故に、その命を断つことになってしまった俺が。


 ここまでまだ、誰かのために身体が動いてしまうとは思っていなかった。


 前世の記憶はあまり自分ごととして捉えにくいとはいえ、合計八十年程度の人生、物心ついていない数歳はノーカウントとしたとしても、実質おっさんどころかおじいさんな俺が、よくもここまで腐らずにいられたものである。


 ……それも、俺が自分の最期に最低限は納得する方法を知ってしまっているが故だろう。


「これは全て自らが選んだ結果なのだ」と、そう考えること。


 俺が四度の死を以て処世術よろしく身につけた、楽観的な死の解釈である。


 早くにソドムへ見切りをつければ良かったものを、しかし地元への愛着が邪魔をしたのか、あの街を出ていかなかったのは俺。


 こっそり戦場から抜け出し、落ち武者となって生きていくこともできたのに、偉い人を守るためにわざわざ戦って死んだのも俺。


 赤紙が来ても徴兵に行かず、戦争が終わるまで国中を逃げ回っていれば良かったのに、真面目に招集に応えて、特攻隊員になっても逃げ出さなかったのも俺。


 そして大地震の中、姉を守って瓦礫に潰されたのも俺。


 全部、全部俺のせいだと、そう考えれば良いのだ。


 …….実際のところ、本当に俺が悪いのかは分からないが、少なくとも、これらは全部「俺の判断が悪かった」と思った方が、逆に幾分かの理不尽さは感じなくなる。


 俺の判断が招いた結果だから、俺が自分でやったことだから、そう考えれば、まだ納得がいくのだ。


 否、本当はあまり納得できていないが、これがまた思っていたよりも自分を誤魔化せはするものなのである。


 だから、これからガラテヤ様を守ろうとして、結果死体が増えるだけになったとしても、何かの間違いで俺だけ生き残ってしまった際、「ガラテヤ様を殺すために、わざと危険な森の中へ誘い込んだのだ」と罪を被せられようとも、それら全ての可能性を俺は覚悟した上で、今、ガラテヤ様を魔物から解き放とうとしているわけだ。


 俺は落ちていた木の枝を拾いながら、奥へ奥へと森の中を走っていく。


 そして。


「や、やだ、こないで、こないで……!」


 とうとう、一体のゴブリンを前に腰を抜かして怯える少女、ガラテヤ様の姿が視界に入った。


 その美しい金色の髪は泥に塗れ、ドレスもところどころが破れている。


 澄んだ青の瞳は涙に濡れ、姿だけを見て状況を把握するには不足ない程であった。


「キェェェ……」


「いやぁ……!」


 舌を出しながらガラテヤ様との距離を徐々に詰める、緑色の肌をもち、歪な人間めいた形をしたゴブリン。


 運が悪いことに、それもただのゴブリンではなく、歪な人型をしたまま体長が二メートルはあるであろうゴブリンの上位種、ホブゴブリンであった。


「何でホブゴブリンが、こんなに村の近くまで……」


 森の奥にしか生息していない筈の魔物、それもこの広大な森に数える程しかいないであろうホブゴブリン。


 そんなものが、よりによってこんなに村の近くまで来ていたとは。


「た、たすけて……!」


 俺は居ても立っても居られず、全力を超えて疾走。


「ガラテヤ様から離れろおおおおおおおおおおッッッ!!」


 そしてホブゴブリンの頭に一撃、飛び蹴りを入れる。


「ゲャッ」


「だ、だれ!?」


「話は後です!逃げて!来た方向に、そのまま戻って下さい!走って!!」


「え、あ……うんっ!」


 ガラテヤ様を逃し、俺は一対一で敵を足止めするかたちになった。


 仰け反る敵の目を狙い、持っていた木の枝を刀に見立て、地を蹴ってからの一突き。


「食らえっ!風牙ふうがの太刀……!【雀蜂すずめばち】!」


 思い出す。


 かつて、武士として生きた時代の剣。


 肉、骨を越えて音まで貫く一閃。


 得物は刀に非ずとも、その真価は剣技そのものにあり。


 三度目の生を授かった頃には失伝していた「風牙流ふうがりゅう」。


 かつて都に住まう武士達の中でカルト的人気を誇り、しかし極端に身体の操作が難しく、都の外に知る者はいない程に流派の規模が小さかったがために失われてしまったのであろう剣術。


 その太刀筋はあまりにも強く、あまりにも美しい。


 流れる風、穿つ牙。


 俺にとっては、体感だが実に三十年ぶりであった。


 すっかり文明の舵を握るものが科学へ傾倒していった近代で、この剣術を使うことは明らかに不審であったため、封印していたが……何度、本来の太刀筋を隠し、その度にもとかしい思いをしたことか。


 しかし、今は違う。


 この時代には魔法というものが溢れている。


 そもそも、ここは森の中。

 ガラテヤ様も、もう近くにはいない筈だ。


 俺の剣術を見ている者は、目の前のホブゴブリン以外に誰もいない。


「ゲァッ!」


 右目を文字通り潰されたゴブリンは眼球から噴き出る血に戸惑い、右のまぶたを慌てて押さえた。


 刀ではなく木の枝で目を突いただけでも、この威力。


 未だ少年の身である上、肉体的にも時間的にもブランクが大きいため、やはり現役時代のようにはいかないが……。

 それでも、間違いなく「剣術」の体はなしている。


「はぁ、はぁ……久しぶりだな……やっぱ久々だと堪えるな、これぇ……」


 久しぶりに使うと、風牙流が世間に広まらなかった理由が痛いほどよく分かる。


 身体にかかる負担があまりにも大きいのか、肺、気道、それと全身の筋肉があまりにも痛い。


 全身の細胞という細胞を内側から無理矢理千切られるような、そんな感触を覚えた。


 鎧を着て戦場を駆け回っていた頃は、同じどころかもっと激しい痛みを伴う術を絶え間なく使っていた筈なのだが……俺も平和ボケしたものだ。


 右膝を突き、呼吸を、体勢を整える。


 そして、ゆっくりと立ち上がって再び木の棒を構えた。


 大丈夫、大丈夫。


「常正」だった頃を思い出せ。


 深く息を吸い、吐く。


 木の皮で空気の流れを掴み、棒のブレを予測。


 俺は棒を刀から槍のように持ち方を変え、もう片方の目を突く準備をする。


「グゥゥゥ……ァァァァァァァァ!!!」


 唸り声をあげ、こちらへと迫るホブゴブリン。


 神経を研ぎ澄まし、集中。


 狙うは左目。


 風牙の術は刀だけではない。


 しかし、こうして槍術として開発されたものを使うのは久しぶりである。


「もう片方の目も貰ってやるッ!【不可知槍フカチヤリ】」


 俺は風を纏わせて、槍もとい木の棒周りの空気を補足できない程に乱し、見えにくく細工した槍を左目へ向けた。


 この世界には魔法という概念があるせいか、その手の技は二度目の人生以上に使いやすい。


 これは、長年のブランクで技術は少しばかり落ちてしまったが、それを独学で学んだ魔力操作の技術と併せることで、かつて以上に強力な槍術へと仕上げたもの。


「……ギヒャ」


 しかし、もう一突き、というところでホブゴブリンの口はニヤリとつり上がった。


 棒を構えていた俺は、その変化に青ざめる。


 そしてコンマ数秒の間に、ホブゴブリンは棒を構えて前進する俺を迎えるように突き出す蹴り、前世ではケンカキックだの何だのと呼ばれていたようなソレを、幼い肉体の柔らかな腹部へと捻じ込んだ。


「が……ぇぁ」


 そのまま吹き飛ばされた身体は、激しく木に激突。


 その際に後頭部を打ったせいか、身体が言うことを聞かない。


「グヒヒヒヒ、グゥェ、ィィ」


 ボブゴブリンは、ゆっくりとこちらへ近付いてくる。


 右目を潰したクソガキをどう嬲ってやろうかと下卑た笑みを浮かべながら、一歩一歩、俺とホブゴブリンとの距離はだんだんと縮まっていく。


 万事休すか。


 身体が、指先でさえも動かない。


 衝撃を吸収する体勢に入る間も無く、腹を抉られた。


 後頭部と背中に受けた衝撃は如何ほどか。


 前世の俺を殺した瓦礫よりマシ程度であろうか。


 だが、少なくともこの肉体で頭部にあの蹴りを食らって生きていられる自信も無い。


 ……いずれにせよ、今の俺がこのホブゴブリン相手にできることは限られていたということだ。


 ガラテヤ様は逃げられただろうか。


 ラブラ森林は広いが、ここはまだ深くない。


 きっと今頃、森を抜け出して……ブライヤ村の敷地内には戻っていることだろう。


「……ぁ」


 俺は目を閉じ、五度目の人生を思い出す。


 今回も散々な人生であったと、声にもならない声で恨み言を吐き、そのまま振り落とされるホブゴブリンの右の拳に身を任せようと、意識を飛ばそうとした。


 しかし。


「【おういばら】!!」


 血を纏った槍がホブゴブリンの胸部を貫き、その体内から、さらに血によって生成された槍が飛び出す。


「ベギャァァァァァァァァァァ!!」


 外からも内からも肉体を破壊するその槍は、一撃でホブゴブリンを消し飛ばすように死へ至らしめた。


「……ふぅ。君、立てるか?」


 霞む視界には、こちらへ手を差し伸べる一人のお姉さんの姿があった。


「領主……様……?」


 それは、多くの人にとっては見慣れたものである領主、ロジーナ様の顔。


 しかし俺にとっては今日初めて遠目に見た顔であり、当然ながら、それをここまで近くで見たのも当然ながら初めてである。


「ガラテヤから聞いたよ。君があの子を逃がしてくれたのだとな。さあ、私の手を掴むがよい」


「あ、ありがとう……ござい、ま、す……ぁ」


「おっと。……仕方ないな。私がおぶってやろう」


「す、すみま、せん……領主、様」


「いいんだよ。幼いのに、君はよく頑張った。それに、この歳でホブゴブリンの片目を潰すなんて、そう出来ることじゃあない。君はもう十分、立派な戦士だ」


 ロジーナ様の手に持ち上げられるように、俺はゆっくりと立ち上がり……しかし、ここで足に力が入らなくなってしまい、そのまま倒れてしまいそうになったところを支えられ、やってきた馬車に乗せられた。


 そして、その馬車と共にロジーナ様に追いついた直属の部下達が、すぐさま事後処理と周囲の警戒を始める。


 馬車に乗せられ、そこで改めて薄れる意識を実感する。


 俺の肉体は、もう既に限界を迎えていたのだ。


 次に目を覚ます先は、もはや自宅と呼ぶには廃墟すぎるボロ屋か、それとも領地内の違う場所か、或いはこのまま死んでしまい、どこか別の世界か……。


 少なくとも村八分にされている俺が、村の福祉に関係する場所で目を覚ますことは無いだろうという事以外には、予想などできよう筈が無い。


 しかし、仮にここで死んでしまってたとしても、俺の勇気を、人間への甘さを認めてくれる人がいたというだけで、俺はもうこの世界に未練など無かった。


 ロジーナ様の言葉に勝手に救われながら、俺は暗闇の中に意識を投げ込んだ。

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