透明なパーテーション

ザック・リ

透明なパーテーション




 昨日、夢を見た。死んだおばあちゃんの夢。だから今日おれは死ぬんだと思う。



 奇妙なことだけど、昔から、夢に出てきた人に次の日くらいに会うのだ。

 例えば、小学四年生の時に同じクラスで班が一緒になった住田すみだくんが夢に出てきておれにねりけしをくれた。次の日、駅の自転車置き場の前ですっかり高校生になった住田くんに再会し、LINEを交換した。

 毎日会う人とかは別で、疎遠になってる人限定のジンクス。

 だから、もう会えないおばあちゃんの夢を見たおれは、おばあちゃんに会うためには死ななくちゃいけない。


 そんな話をすると、目の前に座るクラスメイトの関本せきもとは鼻を鳴らしてポテトを口の中に放り込んだ。

 学校帰りに立ち寄ったバーガーショップ。関本はここの揚げたポテトが切りにしてあるから好きだという。おれは学校帰りにバーガーショップに寄ることがあまりないから、違いなんてわからない。

 とてもおいしいというから、どれだけ人気なんだろうって期待したけど、店内で座って食べてる客はおれたち以外誰もいない。みんなテイクアウトしていくだけなのかも。

 ガラガラの店内で、軽快な音楽とおれたちの声だけが響いている。


「思い込みだろ。非科学的だ」

「でも、外れたことないし」


 すぱんと否定された。

 このジンクスは絶対だと思う。おれの覚えてる限り、絶対その通りになってきた。

 透明なパーテーションの向こうで、関本は少し考える素振りを見せてから、コーラを飲む。


「じゃ、仮に高遠たかとおの言う通りだとする。だとしても『会う』の解釈が違うんじゃねえのか」

「どういうことだ?」


 関本は頭がいい。おれと同じ学校で同じクラスなのに、時々言ってることがよくわからないことがある。

 それとも、おれが馬鹿なだけかも。


「死んだ人に『会う』ためにはあの世に行かなきゃならんとお前は思ってるが、そうとは限らないだろ。たとえば、その人にゆかりのある何か、もしくは誰かに会うってことかも」

「今までは本人に会ってきたけど」

「それか、お前のばあさんが生まれ変わっていて、その人と運命の出会いをするのかもしれない」

「それこそ、非科学的ってやつじゃないか」


 ようするに、関本はおれの話をまともに取り合ってくれていない。食べても食べても無くならない揚げたポテトを口に運ぶので忙しいようだし。

 おれたちは、中身のないただの会話を延々と続けているだけなのだ。ポテトを食べ続けるみたいに。


「あー、生まれ変わりは時間が合わねえか」

「よくわかんないけど」

「まあ、別に死ぬって決まったわけじゃないんだし、そんなことで悩んでぼんやりしてたら、それこそ車に跳ねられるぞ」

「痛いのは嫌だなあ」


 そうだった。もし死ぬとしたら、死に方ってものがあるはずだ。眠るように息を引き取れたらいちばんだけど、世の中にはいろんな苦しい死に方があるのだ。

 痛いのは嫌だ。


「どういう死に方だと、痛くなくて誰にも迷惑かけずにすむんだろう」

「薬で安楽死か、寝てる間に死ぬか、だな。迷惑かけずに死ぬのは無理だろ。痛いのは俺も勘弁」

「でも、これだと自分で死ぬことを選んでるみたいだね。それは変だ」

「変だな」


 おれは死ぬかもしれないとは思ってる。でも死にたいわけじゃない。生きたいと思えるほどの執着もないけど、だからって死ぬ必要はない。


「そもそも、お前のその話は死後の世界があるっていう前提だ。死後の世界が存在しない場合には成り立たない」

「あ、そっか」

「まあ、『会う』っていうのが一種の隠喩ならあながち間違いでもないか」

「気をつけろってことかも」

「……それだ!」


 急に関本は大きな声を出してポテトをおれのほうに向けた。どうしたんだろう。


「それだよ、高遠。お前の見た夢はなんだ。今日、死にそうな目に遭うかもしれないから注意しろっていう」


 なるほど。じゃあやっぱりぼんやりしてちゃ駄目だな。

 おれは気合いを入れ直した。おばあちゃんが警告してくれたんだ。そんなに仲が良かったわけじゃないけど、まあ一応孫のおれはそれなりにかわいいはずだ。お年玉も毎年くれてたし。

 おれが決意を新たにしている中、関本の方はまるでやる気がなかった。ポテトを食べるスピードも落ちてる。


「どうしたんだ?問題解決だろ」

「うーん、考えてみたら死なないようにするって難しい。難しくねえか?」

「そうかな」

「そうだよ。死ぬ可能性ってそこらじゅうにゴロゴロしてるだろ。ちょっと段差でつまずいても死ぬし、ちょっと食べ物が喉に詰まっても死ぬ。蚊に刺されても死ぬ。道を普通に歩いてても死ぬ。俺らが生きていられたのって、けっこう奇跡的な確率だったんじゃねえの」


 それは、当たり前の話じゃないかな。統計で見たら、人が死ぬ確率は100パーセントだろう。死なない人間はいないのだ、いつ死ぬかが違うだけで。

 おれと関本の間にあるアクリルのパーテーションを取っ払うだけでも、死ぬかもしれない。そういえば、この店はまだパーテーションを置いてるんだな。最近はこれを置かない店がほとんどだって聞いたけど。


「ま、何を言っても後の祭りなんだけどな」


 関本はそう呟いてコーラをぐびぐび飲んだ。

 そうだな、もう夢を見ちゃったし、いまさら考えてもどうにもならないことはある。

 おれのジンクスも今回ばかりは外れてほしい。


「あ、ポテトが無くなった」


 そう言って関本はポテトが入っていた袋をくしゃっも握りつぶした。そろそろ店を出なきゃな、と思っておれは立ち上がった。

 でも、関本はいっこうに立ち上がらない。


「行かないのか?」

「行けないんだ」

「なんで?もう食べ終わっただろ」

「そうじゃなくて……やっぱりお前気づいてなかったんだな」


 関本は大きなため息をついた。

 そして紙のコップを掲げた。


「まだコーラを飲み終わってない」


 おれは座り直した。決して自分のペースを崩さないやつなのだ、関本は。


「それに、俺はもう死んでるはずだからな」


 思い出したように付け足して、関本は氷がじゃりじゃり入ってるコーラを飲んだ。ちょっと言ってることがわからない。おれが馬鹿だからという問題でもないと思う。

 死んでる、ってどういうことだろう。何かの隠喩だろうか。


「もっと言うと、お前も死にかけてる」

「えっ」

「つまり、お前のそのジンクスは半分当たったってことだな」


 急に、寒くなってきた。店内の空調は変わっていない。今は冬のはずだから、暖房が入って──。


 今は冬だっただろうか、それとも夏?


 おかしい。考えてみると、何もかもがおかしい。帰宅途中のはずなのに鞄を持ってない。そもそも、おれは関本とバーガーショップで長々と話し込む仲でもない。同じクラスで、たまに挨拶する程度だ。学校からの帰り道に駅まで一緒に歩くこともあったかな。

 ともかく、この状況はおかしい。

 店には他に客はいないし、店員すらいない。関本のポテトはなかなか無くならなかったし、コーラだってもう1リットルは飲んでる。どうして今まで気づかなかったんだろう。窓の外が真っ白だ。


 つまり、これは現実じゃないんだ。


「俺とお前は、たまたま同じ時間に駅に向かっていた。ビルの建設現場の横を歩いていたところ、クソデカい建材が上から降ってきた。あとは知らないな」


 後の祭りじゃないか。

 もうジンクスはその通りになってしまっていたんだ。


「そんな……。じゃあ、ここはどこなんだ。死後の世界?」

「死後の世界かあるのかどうかはわからない。でも、俺が思うに、死の手前の世界はあるんじゃないか」

「死の手前の世界」

「そうだ。あるだろ、臨死体験って。ここはそういう場所なんだろうよ」


 臨死体験。死にそうになった人が見る夢みたいな体験のことか。じゃあ、ここは門か入り口のようなものかもしれない。

 そうか、おれは死にかけてるのか。今頃病院だろうか。関本も同じ病院にいるのかも。だからこうして会えた。

 おばあちゃんがせっかく警告してくれたというのに、遅かったんだ。おれは間抜けだ。

 関本は変わらずのんきにコーラを飲んでる。そういえば、もう自分は死んでるって言ったけど、ここが門だとしたら、まだ死んでないはず。


「もう行かないと。帰ろう」

「言ったろ、俺は行けない」


 パーテーションの向こうで、座ったまま関本は笑った。アクリルのそれはおれと関本を区切る境界なのだと、初めて理解した。


「そんなはずはないよ、この場所にいるってことはまだ死んでないだろ、関本も帰らなきゃ」

「わかるんだよ、無理だって。最後の晩餐を楽しんだらそれで終わりだ。帰ったら、俺の墓にポテトとコーラでも供えてくれ」


 そんなのは嫌だ。


 おれはパーテーションを払い除けた。案外簡単に、それは音を立ててテーブルから転がり落ちる。立ち上がったおれの後ろで椅子が倒れた。

 遮るものはなくなった。手を伸ばして関本の肩に触れた。彼の驚いた顔が見えて、なんだか胸がすくような気持ちになった。


 このパーテーションを取り払って、おれたちは生きるんだ。



「帰るよ。おれは必ず、きみの──」


 音もなく景色が歪んでいく。どこかに吸い込まれるように、全部消えた。


 おれは確かに触った。同じ制服のジャケットの感触を、指先に感じた。彼は生きる。おれも生きる。


 そこから先は、よくわからない。

 気がつけばベッドの上に寝ていて、たくさんの機械に囲まれていた。まぶしい。体も瞼もやけに重くて動かない。またおれは闇の中に落ちた。


 次に目覚めたのは、おれたちが事故に遭ってから一週間後のことだった。




***



 結論から言うと、おれは関本の墓参りに行かずにすんだ。彼は生きていた。やはりおれと同じ病院に搬送されて手術を受けていた。奇跡的に、体の機能には障害が残らないそうだ。

 ただし、まだ目覚めない。そろそろ1ヶ月が経とうとしている。いつ目覚めるかは、医師にもわからない。そのまま目覚めないことだってあり得る。

 今日のリハビリを終えて、おれは関本の様子を見に行った。松葉杖を使って歩くことにも慣れてきた。おれのほうも、いろんなところを骨折したけど障害は残らなかった。

 長い長い廊下を歩く。おれはもう違う棟に移っていて、かなり歩かなくちゃいけない。やっとのことで病室に到着する。中には入らず、外から様子を見る。たまに関本の両親に出くわすこともあるから。

 今日は会わなかった。関本は静かに眠っている。


 あのバーガーショップでのやりとりが、夢だったんじゃないかと思うこともあった。

 でも、違う。あれは確かに、いわゆる死の手前の世界だった。

 もしただの夢だったら、おれの頭が作り出した世界ってことになる。そうだとしたら、いろいろおかしい。

 例えば、関本はおれたちが事故に遭った原因を知っていた。あの時のおれは事故に遭ったことすら知らなかったし、ましてやその原因が建築資材の落下とは知りえなかった。

 それに、関本は頭がいい。おれの頭で、関本の頭のよさを鮮明に作り出すことはできない。

 だから、あれは夢じゃない。

 手を伸ばしてパーテーションを取り除かなければ、もしかしたら関本は生きていなかったかもしれない。おれは正しいことをしたはずだ。


 あとは、いつ目覚めるか。


 彼が目覚めたら、揚げたポテトとコーラを持って見舞いに行こう。くし切りのやつが売ってる店はこの近くにないから、普通の細長いポテトで我慢してもらおう。その前に松葉杖無しで歩けるようにならないといけない。

 学校に復帰できたら、バーガーショップに連れて行ってもらおう。おれもあのくし切りのポテトを食べてみたい。


  実は、おれはもう知っている。関本がいつ目覚めるのかを。


 なぜなら、昨日、夢を見たからだ。関本が出てくる夢。だから今日、おれは関本に再会するんだと思う。


 これもまた、『警告』なのかもしれない。おれは違うと信じてる。生か死か、それが問題だ。だけど、そう大きな問題ではない。それはアクリル板1枚程度の違いでしかないんだ。


 夢は必ず叶う。それがおれのジンクスだ。







(終)




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