第34話 五輪選手がダンジョン攻略してみた(なお再攻略はできない模様)

 B5Fは誰にとっても未知の領域。

 それを勇翔は事もあろうか、正規ルートの石段を使わず、地下で振り回すには長過ぎる槍で躊躇いなく床ごとぶち抜いたのだ。

 強引な侵略行動には、予測不可能な展開もつきもの。


 暗闇にのっそりと浮かび上がる影。


「……あれはなに?」


 そろそろと後を付いてきた由美が、両肩をパーカー越しに自分の手でさすりながら目を凝らす。

 深く潜れば潜るほど、ダンジョンの空気は冷え込んでいく。

 その寒さを、水着姿だった由美が誰よりも感じていたはずだが、視界の先で鎮座する影は、不思議と肌の温度を高めていた。



 あたたかそうな体毛。

 大きくも複雑ではない構造をした、ぽっちゃり体型に、虫をも殺さぬような腑抜けた顔面。

 ぷくと膨らんだ鼻は愛くるしさもあって、闇に同化しながらもモンスターは由美に恐怖心を与えるフォルムをしておらず、むしろ朝から撮影に駆り出され、疲弊していた心を鷲掴みにする。



……?」


 由美が漏らした声に、背筋を凍りつかせたのは攻略者たちだ。

 撮影スタッフも存在に気付き、モンスターの全容をカメラに収めようと、無警戒に近付いていく。


 そう――油断してしまう。

 あれもれっきとしたモンスターであることを忘れ、温泉ではなくダンジョンの深淵に浸かっている、やたら馴染み深い姿が人々を虜にするのだ。


 その実態が、攻略者にとっては程度の脅威だとはつゆ知らぬまま。



「そいつに近寄っちゃ駄目っ!!」


 アキラが警鐘を鳴らす。


「A級モンスター『ヒノウミネズミ』よ!!」






 刹那、誠二は爆音をモンスターのいた方角で聞いた。

 それはモンスターから放たれた音だ。鳴き声ではない。

 ただそこで鎮座したまま、胴体を風船みたく膨らませ、爆ぜたのである。


あづっ――!?」


 悲鳴をあげたのは人間の方だ。特段、自分たちの身になにかされたわけではなくとも、苦痛の合唱を浴びせるにはじゅうぶん過ぎる熱気だった。

 人間の肌は高温に耐えられない。

 焦熱地獄へ叩き落された罪人たちみたいに、モンスターが体内に込めていた熱を叩きつけられれば、爆ぜた衝撃で吹っ飛ぶ者も、その場でぐったりと倒れ伏す者もいた。



 火の粉も出さずして侵入者たちを一網打尽する、モンスターの凶行。

 ばたりばたりと倒れゆく撮影スタッフに見向きもせず、勇翔は駆け出した。


「げほっ、ごほ」


 前は出過ぎたスタッフたちが壁となったのか、由美はかろうじて直撃を免れていて。


「ゆーくん……!」


 その場でへたり込み、必死で声をかけても勇翔の躍動は止まらない。

 彼にとってはモンスター打倒が最優先だと。

 由美も例外なく、そこいらで転がっているスタッフたちと同格の、取るに足らない存在だと。

 熱気を一瞬で冷ますほどの事実を、その振る舞いで突き付けられたような気がして。




「おい、やめろ脳筋が!」


 生身で進んでいったかに見えた勇翔へ、真凜も屈みながら制止の声を上げる。


はとにかく縄張りの死守に徹するモンスターだ! 刺激しないが出会った時の鉄則って、西城のおやっさんに習わなかったのか!?」


 今さら彼が聞く耳を持つはずもない。

 しかし、無策で突っ込んでわけではないことも、誠二はすぐに理解した。


(『折りたたみ式エアバッグ』!? あれで防げるのか!?)


 一旦は体を収縮させたヒノウミネズミだが、まだダンジョンの番人として同じ地に影を作っている。

 勇翔の急接近にまたしても阿鼻叫喚の熱気は降りかかった。



 ブシュウゥウウウウウ!!



 ヒノウミネズミの悲鳴なのか爆発音なのか、はたまた『折りたたみ式エアバッグ』の広がった音なのか。

 さまざまな爆音が混じりあって轟き、衝撃もあいまって他の攻略者たちは身動きが取れない。


(ど、どうなったんだ……!?)


 煙が立ちこもって視界も悪くなっていた。誠二は目をぐぐんと細める。


「い、痛いです誠二さん」

「えっ? あ、す、すみません!」


 反射的に麗奈の両肩を押さえていたらしい。

 勇翔よりも先に視界に映ったのは、か細い声を漏らした麗奈の、苦しそうな顔。

 ──そ、そうだ。西城選手や先方の撮影陣も心配だが、まずは彼女だ。


「大丈夫ですかトレーナー? お怪我は? 喉が焼けてはいませんか」

「私は、へーき、です……爆発の間は息、止めてたので」


 とても平気という顔はしていない。

 ただ、麗奈が悩ましげにしていたのは自分の問題ではなく。


「あ、ああ……やめ、て」


 麗奈はふらりと手を伸ばす。

 誰に向けて紡がれた言葉だったのか、誠二はすぐに見当が付いた。


「やめて、お兄ちゃん──また、全部壊れちゃう」




♢♢♢




 エアバッグの展開とヒノウミネズミの爆発はほとんど同時に起こる。

 勢いが相殺されるのかと思いきや、誠二たちのところまで爆風が届いて、「ぐ……!」とその場で踏ん張るしかない。

 砂煙の中で目に留まったのは、見るも無惨なエアバッグの残骸。


(ぜんっぜん駄目だ。アイテムも通用していないじゃないか!)


 ──これがA級モンスター!?

 かつて戦った、ガン・トバースと同ランクとは到底思えない破壊力に、誠二は戦慄する。


(いや、そうか! ケタが違うのはモンスターのスペックじゃなくてキャラクターなんだ。ガントバース3姉妹が『ベスト・オブ・フェアプレー』堂々1位って、あれ本当だったんだ!)


 表情にはまったく出さないが、ヒノウミネズミからはひしひしと人間への敵意が伝わってくる。

 その殺意全開な爆発をまともに受けて、勇翔も無事でいられるはずが──






(──立って、る)


 平然と。

 さも赤坂のジョギング帰りみたいに。

 ダンジョンに槍で穴を開けた時となにも変わらない仏頂面で。


「死ね」


 エアバッグの後ろに隠し持っていた、手のひらよりも若干大きめの円盤。

 勇翔は鉄の塊に等しいそれを、真顔でヒノウミネズミの鼻へぶつけた。


 愛嬌のかけらも感じられないほど、モンスターの顔面がぐしゃりとへこむ。

 より胴体へ迫った勇翔が無言で拳を頭部目掛けて振り下ろせば、次に歪んだのはモンスターの背後、影そのもの。

 暗闇で壁と空気の境目があいまいとなっていたところを、空間ごとねじ曲げたみたいに。


 その全身は赤く燃え盛っていた。

 さもサウナ帰りの整った全身で血液が激しく流れているような、いっそ清々しさまで残した真顔で。



 ──筋肉こそ、最強硬度の鎧。



 未知の領域が、すべてを暴かれる前に崩れていく。

 モンスターの灰さえ残さずに。

 一同が空から降ってくる瓦礫を恐れて頭を抱えているうちに、やがて人工物ではない淡き光が、その天井でもたらされる。


 ただし。

 出発前は青かった空が、いつのまにか曇っているようだった。


「……ふん」


 ダンジョン──だったはずの場所。

 崩壊した『箱根城』の最下層で、勇翔は流れる静寂をもつまらなさそうに壊す。


「この程度か」










♢♢♢


作者コメント:

(箱根に温泉はあれどもお城は)なかったのだ……。

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