第32話 五輪選手がダンジョン攻略するらしいので

 勇翔の〈U.D.D.〉出場宣言を、その場にいた人々はどう捉えただろうか。


 ジムギルド『筋肉三倍段』に対する宣戦布告か。

 ダンジョン協会および『東西南北』に対する道場破りか。


 いずれにせよ、彼がこの夏にもたらさんとしているのは、ダンジョン業界への革命に等しかっただろう。




「……ふん」


 勇翔はつまらなさそうに目を細める。


「『箱根城』の撮影許可は確かに取ってなかったな。こっちはこっちで好きにやる。あんたらも用があるなら潜るなり、撮るなり、好きにすれば良い」

「あぁん? なにを偉そうに。『箱根城』はてめえのシマじゃねえ──」

「その代わり、俺がここにいるモンスター全部潰しても文句言うなよ」


 アキラは少しだけ押し黙ってから、初めて怪訝そうに眉をひそめた。


「『箱根城』は何層にも分かれているのよ? 地点だってここの他に2箇所あるわ。モンスターの生息数は他のダンジョンとは桁違い……それを、一人で全部なんて」

「できるな」


 ひりつく空気。

 ディレクターも撮影スタッフも、勇翔と『筋肉三倍段』の睨み合いにどう割り込んだら良いのか困窮しているようだった。

 やっと決心が付いたのか、ディレクターが勇翔へそろりそろりと忍び寄って耳打ちする。


「さ、西城選手……時間も押してますのでそろそろ……」

「俺の攻略を見れば、麗奈もこれ以上お前らのトレーニングに付き合いたいとは考えられなくなる」


 その言葉は挑発ですらない。

 己が力を微塵も疑っていない男の堂々たる佇まい。その背中を見て、誠二はごくりと喉を鳴らす。



 なんて自信と威厳にあふれた筋肉だろう。

 背後から見ても、どの角度から拝んだって誠二はいまだ、彼ほど仕上がった肉体の持ち主に出会ったことがない。

 少しでも気を緩めれば、形が崩れて姿勢も悪くなってしまうであろう絶妙なバランスで成り立っている美しさ。


 きっと、生まれながらの才能だけではたどり着けない領域だ。

 彼がこれまでに為してきた努力を、その筋肉たちが物語っている。

 礼節さ謙虚さにに欠けた物言いはともかく、彼が鍛え上げたその肉体美だけは本物だった。



「て……んめえ!」


 しびれを切らした真凛が拳を振り上げる。


「黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって――」


 華奢な彼女の拳など、どうせ勇翔であれば容易にかわせたし、なんなら避けもしなかっただろう。

 仮に頬や胸へ当たったとて、カチカチの筋肉に跳ね返されて痛い目を見るのはおそらく――。


 ゆえに、その拳を受け止めたのは誠二だった。

 勇翔の斜め後ろへすっと立ち、手のひらで赤子の指を優しく包み込むように、ぎゅっと握り返したのだ。


「誠二!?」

に傷を付けてはいけません、マリマリさん」


 耳を疑う発言に、真凜は目を大きく見開いた。

 ここまで勇翔の横暴な振る舞いを長々見せられてきた者とは思えないほど、そして、ただ由美を寝取るばかりか、そそのかして豊満な胸を商売の道具としてこき使われようとしている惨状を、たった今知った者とは思えないほど。

 誠二の表情も、瞳の奥の奥まで穏やかだったのである。


「自分は不勉強ですので、ダンジョン業界での彼の立ち位置は存じ上げませんが。西城選手が日本のスポーツ界に新しい活路を見出した方なのは間違いないでしょう」

「は? ……や、おま、そういう問題じゃ」

「それに、もし彼が本当に〈U.D.D.〉へ出場するなら、まだ世間では浸透しきっていないダンジョンや攻略者たちの活動が注目を浴び、お仕事にも幅が出て市場全体が広がっていくかもしれません」


 茶の間がダンジョンの話題で盛り上がることは、推定どころかほぼ確定レベルだ。

 もっとも、勇翔の業界介入を好ましく思うか否かは、もちろん攻略者の個人感覚によるところだろうが。



 麗奈は、終始不安げな面持ちで攻略者たちを見つめている。

 決して彼女を勇翔には近寄らせまいと、アキラや他のギルドメンバーに守られるようにして。

 真凜の手を離すと誠二は、初めて、勇翔と正面から向かい合う。


「……あなたが麗奈トレーナーのお兄様とは驚きました」


 誠二は身長175センチ。対する勇翔は190センチを超えている。

 改めて2人が対峙してみれば、そこは虎が子猫を見下ろすかのような様相を呈していた。

 ──筋肉だけでなく、タッパから勇翔は格が違っていた。


「ここでお会いしたのもなにかの縁でしょう。ぜひ、ダンジョンでモンスターを蹴散らす西城選手のお姿をもって、この若輩者へ学びを賜っていただければと思います。……ですので」


 業界人としては誠二が若輩者かもしれないが、実は、勇翔は23歳で誠二の方が年上だった。彼のホームページやSNSを見ればすぐに判明する。

 そんなことも瑣末ごとと感じるほどに、誠二は嫌味でも皮肉でもない、思った通りの言葉を口にしたつもりだった。


「どうか、のコマーシャル出演だけは考え直してもらえませんか」


 殺気にも近しい不穏な気配。

 それは背後で立ちぼうけていた由美が、2人のどちらともなく向けた感情だ。


「察するに、あなたのご発案なのでしょう? 企画立案からコンセプトやマーケティングの細部に至るまで、商品の開発にずっと携わってきた彼女が、自らこのような演出を提案するはずがありません」


 勇翔はうっとうしそうに、あるいは不思議そうに顔を歪ませる。


「西城選手のダンジョン攻略だけで十二分に、、商品の魅力は伝わるのではないでしょうか。退社した身で差し出がましい提案をしているとは重々承知してますが──」

、アンタ」




 空気はいっそう緊迫感を帯びた。

 あの夜、あの部屋で、誠二は勇翔と直接言葉を交えてはいない。由美と口論しているうちに勇翔の方が勝手に姿を消してしまったくらいで。


 だから──ああ、そうか。

 他でもない西城勇翔だ、無理もない。

 彼にとって誠二の存在とは、それほどまでに矮小わいしょうであったか。




 ふ、と誠二は小さな笑みをこぼす。

 己を嘲るでも彼や由美を蔑むでもなく。


「それは失礼、自己紹介が遅れましたね、西城選手」


 まだ彼には遥か遠く及ばない大胸筋かもしれないが、それでも誠二は。

 ピシと背筋を正し、堂々とギルドメンバーたちの前に立ち、胸を張って宣言する。


「セージと申します。ただの日本全国どこにでもいる、ダンジョンに新しい人生の活路を見出した、駆け出しの攻略者ですよ」











♢♢♢


作者コメント:

 分からせるか、分からせられるか……。

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