第31話 五輪選手にはもうひとつの顔があったので

 勇翔がふらりとラウンドチェアを立ち上がってくる。

 なんなら撮影もどこか他人事で、由美が体張っている現場にすら大して関心を抱いていない様子だったが、ジムギルドの冷めた視線にはさすがに気が付いたらしい。


 一歩、また一歩と迫る巨漢に誠二は硬直した。


(く、来る……!)


 全身の自由がきいていない自覚がある。

 レアモンスターと遭遇した時でも感じないような切迫感。ましてや、勇翔とは一度、よりにもよって浮気現場で初対面を果たしたはずだったのに。


 しかし、勇翔は誠二にも見向きしなかった。

 ブリーチした色が抜けかかっているのか、金と茶が入り混じった髪を揺らし、あっさりと誠二のわきを通り過ぎるなり、勇翔はずんずんと足を進めていく。

 その気だるげで虚ろな瞳は、終始ただ一点のみを映している。


 ぴたりと足を止め、見下ろしたのは。




♢♢♢




「お兄……ちゃん」

「西城に帰ってこい、麗奈」


 初めから。

 日本スポーツ界の歴史を一つ塗り替えた男が、その両眼に捉えていたのは、初めからただ一人だった。

 彼の瞳はずっと、テレビやスマホの画面越しにポニーテールを振り回し、笑顔を不特定多数へ振り撒き続けている、トレーナーの姿を映していたのだ。


「どうして、またダンジョンに」

「その力は東出にも、そこいらの連中の身にも余る」


 勇翔は誰と話していても、大会の後にインタビューを受けている間も、終始つまらなさそうで覇気を感じない。

 しかし麗奈の前に立った今だけは、その言葉尻に強い意思を感じた。


 何年も、十年も、直接顔を合わせていなかった妹へ。


「これからは、俺のためにその力を奮え」


 腕を伸ばそうとする。

 麗奈の肩を掴もうとした、その腕を彼女の背後で。


「よくもあたしら『筋肉三倍段』の前でそんな世迷い言をのたまえたな、三流以下のドブカスが」


 ガッチリと掴み返し、勇翔を無言で拒んだのはアキラだ。

 続けざまに真凛も、兄妹の間にずいと小さな体躯を割り込ませる。

 毒舌家の真凛が睨みあげている、勇翔こそが毒そのものだと目線で主張しているようだった。


「オリンピックでたまたま名前売れたからって、ずいぶんエライ口叩くじゃんか。麗奈が誰のせいで西城出てって、雅人先生に引き取られたんだが分かっててほざいてんの?」


 ポキ、と動画編集疲れで凝り固まった首を鳴らす真凛。


「だいたいなぁ、テレビ局だかスポーツ用品店だか知らないけど、ダンジョンはカタギで商売やってる連中に、土足で踏み入らせて良い場所じゃねーんだよ!」

「攻略者だって立派なカタギのお仕事よ、マリマリ。だ・け・ど……勇翔くん?」


 アキラは大人の余裕で微笑みこそ浮かべているが、目は笑っていない。


「その昔、関西のダンジョンをいくつも荒らして、協会員を除籍になってるわよね? もちろん時効なんてものはないし、協会へ許可を取るまでもなく、アナタにダンジョンを潜る資格はもうないわ。もちろん――」


 拳を交わすまでもなく、この獣を説き伏せようという明確な意思をもって告げられるアキラの言葉に、勇翔はぎょろんと瞳孔を開いた。


「麗奈ちゃんのお仕事に口を出す資格もない。違う?」

「……内藤」


 勇翔を見知っていたのは、どうも麗奈だけではないらしい。


「西城と縁切ってからはずいぶん落ちぶれたもんだな。見ない間に訳わからんキャラまで付けやがって」

「切ったんじゃなくて独立したの。それに落ちるどころか、綺麗なアタシに絶賛昇華中よ、うふふ♡」


 指先をピンと伸ばし、頬へ手のひらを当てる仕草を見せるアキラ。


「そういうアナタは、すっかり生意気さが板に付いちゃったみたいねぇ。先輩には敬語使え……な〜んて古くさい説教をするつもりはないけど。せっかく新しい居場所ができたのなら、くれぐれも誠実さを忘れず、胸張って公の場に立てる自分であったほうが良いわよ?」


 次にアキラが指差したのは、騒ぎを聞いて同じく『筋肉三倍段』の存在に気が付いた由美だった。

 無意味に肌をさらし続ける行為を恥じているのか、上にパーカーを羽織り、ぎりりと鋭い視線でアキラや麗奈を睨み付けている。


「……誠二……っ!」


 当然、由美の視界には誠二の、なんとも形容し難い哀れみの表情も映っていた。




「『つるが倶楽部』にそこのお姉さんを差し向けたのもアナタでしょう?『東西南北』は、お互いのギルド運営には不可侵という暗黙の了解がある。それをよくもまあ、業界のこともよく分かってないお嬢さんを使ってづけづけと……」


 アキラは指を引っ込めて、呆れの吐息をこぼす。


「晴好総帥もお怒りのご様子だったわよ。あんまりオイタが過ぎると、ただでさえ西城は〈U.D.D.〉にしばらく出れていないのに、いよいよ『東西南北』から切り離される羽目になるんじゃない?」

「西城が〈U.D.D.〉に出てないのは、ろくな奴がいないからだ」


 勇翔はなにを言われても動じる気配がない。

 どころか、己が肉体のみならず、ダンジョン界での立場を危ぶんでいる様子をひと欠片も匂わせなかったのだ。




「ただ椅子の上でふんぞり返ってるだけの、ダンジョン協会がデカい顔する時代も終わりだ」

「なんですって?」

「次の〈U.D.D.〉には


 空気が一変する。

 勇翔の宣言に、ぱくぱくと口を開閉させた真凛は顔面蒼白で。


「ば……っバカヤロー! お前はオリンピックに出りゃー良いじゃんか!」

「マリマリ、オリンピックは4年置きよ」


 冷静なアキラのツッコミが入っても、真凛の動揺は収まらない。

 そして、驚いていたのもジムギルドだけではなかった。話を近くで盗み聞いていた撮影スタッフ陣の、どよめきの声が各所で上がり始める。


「西城選手がダンジョンの大会に!? でも来月はワールド陸上が」

「いや、ワールド陸上も来年だ! そうか、ついにスポーツ界最強の男が……」

「攻略者も配信者に続いて、いよいよマイナーな業種じゃなくなりそうだな」

「『全国の小中学生がなりたい職業ランキング』も、この前はスポーツ選手が久しぶりに上位来てたからな。次はダンジョン攻略者の流行が来るぞ」

「こいつは稼ぎ時だ! 西城選手が〈U.D.D.〉で話題を集めれば、このコラボ商品『バケーションタイム』も確実に売れる!」



 すべての視線が日本スポーツ界のニューヒーローへ集まり、その一挙手一投足に目が離せなくなっていた。


「……出場者リストにアナタの名前はなかったはずだけれど?」


 勝手に盛り上がる外野の熱気を鎮めるように、アキラはぐんと声色を低めた。


「ただでさえダンジョンが出禁になっているのに、いきなり〈U.D.D.〉なんて」

「協会はとっくに了承済みだ」


 すでにアキラの口元に笑みはない。

 あごをわずかに上げた勇翔が、皮肉めいた口振りで。


「アンタらの言うってやつならもう下りている。仮に下りてなくても俺が本部に直接出向いて通す」

「勇翔くん。アナタ……」

「だから茶番はもう終わりだ。あの番組にはどいつもこいつも、ただギルドで群れて馴れ合って、そのナメくさった筋肉で強くなった気になっている雑魚ばかり出やがるだろう?」


 勇翔も、その口角を少しだって上げようとはしない。

 さも当然のように、それが己に課せられた使命かのごとく。




「次の〈U.D.D.〉で教えてやるよ有象無象ども──スポーツもダンジョンも、この世界では『筋肉チカラ』がすべてだ」

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