第27話 トレーナーと旅館で二人きりになったので

 誠二はがばりと畳の上で跳ね起きる。

 温泉に入ってきたばかりだろうか、麗奈は浴衣を着て、普段は一つにまとめている茶髪も無造作におろしていた。


「れっれれれ麗奈さんっ!?」

「別室なのに押しかけちゃってごめんなさい。誠二さんがアキラさんにそそのかされて、サウナで倒れちゃったと聞いたので……」


 今頃他のギルドメンバーはトレーニングするか遊びに出払っているだろうに、まさかわざわざ様子を見にきてくれるとは。

 別の意味で顔を火照らせ、誠二はつい早口で答えてしまう。


「だだっだだだ大丈夫です! サウナで整ったぶん明日のダンジョン攻略も捗りそうです!」

「そ、そうなんですか? 顔真っ赤ですけど……」


 明日の合宿では、みんなで近くにあるB級ダンジョン『箱根城』を潜る予定だ。

 ダンジョンでお城とはこれいかにって感じだが、モンスターを倒しながら階層を降りていくという〈U.D.D.〉の形式に、攻略法が似通っているため予行練習に向いているのだとか。


「水分足りてますか? ミネラルウォーターで良かったです?」

「はっ、はい! ありがとうございます……」


 汗かいたペットボトルをおずおずと受け取る誠二。

 麗奈に直接なにかを手渡されるなんて、トレーニングルームの中では日常茶飯事だ。しかし畳を歩いてきた麗奈の、浴衣のつなぎ目からチラと見える鎖骨に、誠二の鼓動は早まる一方だ。


(お、落ち着け。いつもはタンクトップだろ、肩丸出しだろ麗奈トレーナーは)


 心を鎮めるためにも、誠二はミネラルウォーターをがぶ飲みする。

 麗奈は適当なところから座布団を引っ張ってきて「よいしょ」と腰を下ろす。


 のぼせが治り、鼓動が収まってきた頃に、今度は窓の外が騒がしくなってくる。

 どうやら雨が降ってきたようだ。




♢♢♢




(にわか雨? 予報では降らないって言ってたのに)


 いつのまにか暗くなっていた、外の景色へ誠二が視線をやれば、麗奈も雨音に気が付く。


「おー、ギリギリセーフ!」


 明るい声を出し、麗奈は両手を合わせた。


「あとちょっと早くに降り出したら、きょうのトレーニングが中止になっちゃうところでしたね」

「へえ……? てっきり雨天決行かと。ほら、雨にも負けず風にも負けずの精神で」

「ダメですよー! 大事な時期に風邪引かれちゃったら困ります。それにぃ……」

「それに?」

「私、雨は好きじゃありません」


 今度は腕を大きく交差させて、バッテンを作った。


「ただでさえ癖毛なのに、頭が火山みたいに大バクハツ起こしちゃうんで!」


 梅雨の天気よりもコロコロと表情を変える麗奈は、見ていて飽きない。


「ていうか、ぶっちゃけ梅雨が嫌いです……むむむ……」

「へえー……、麗奈さんも、癖毛とか、そういう身だしなみは気にされますか」

「むむっ!?」


 特に他意はなかったが、誠二の返しには不服そうだった。


「それって、私が筋肉にしか興味のない脳筋トレーナーって意味ですか?」

「えっ!? いやいやそういうわけじゃ」

「ひどーい誠二さん! 私だって、つい1年ちょっとくらい前までは華の女子大生やってたんですよ!?」


 わざとらしい声の張り方だ。

 心底腹を立てているというわけでもなさそうで、誠二は安堵する。だがそれも束の間で、麗奈は急に穏やかな声色を作り、わしわしと濡れた髪をかきむしった。


「ま、まあ、今はしがない駆け出しギルドのトレーナーやってますが……えへへ」


 そういえば、麗奈はなかなか部屋を出て行こうとしない。

 まもなく夕飯だという話でもあったし、誠二の無事さえ確かめられれば良いのかと、てっきり思っていたのだが。


 麗奈は少しの間うつむくと、上目がちに誠二の顔をじっと見据える。


「ど、どうしました麗奈トレーナー?」


 我慢できずに誠二がすぐ音を上げてしまう。


「あんまり見られると恥ずかしいんですが……」

「いえっ、その!」


 その言葉に照れたのか、麗奈もさっと目を逸らす。


「誠二さん、この短い期間でずいぶん育ったなあと思いまして!」


 ──あ、ああ……。

 やはり見られていたのは顔じゃなくて筋肉か。変な期待を抱いてしまった。



 事実、誠二はジムギルドに入った当初よりも肩幅が広くなり、営業マン時代に来ていたスーツジャケットやシャツにはいよいよ袖が通りづらくなってきている。

 体重もさることながら、身長もわずかに伸びた。立ち姿勢も、あれほど前の職場で口酸っぱく指導されてきた頃よりも、心なしか綺麗に背筋が伸びているような。


 もちろん、アキラや他の攻略者と比べたら年齢的にも筋肉的にも若輩じゃくはいそのものといった様相であったが。

 少なくとも、全盛期だと勝手に決めつけていた、自身の学生時代よりはうんと肉厚があり、硬くなっていただろう。



「ははは、我ながら為せば成るもんですね!」


 言葉ではそうおどけつつも、誠二はこの成長が、自分一人の努力で為せるものではなかったと、初めから理解している。


「まったくですよ〜! ダンジョン協会に名簿が載るまでは攻略者のランクを上げられないので、額面上ではずっとFランというのが、私としても超歯がゆいですけど」

「別に構いませんよ、ランクとかランキングとかは。俺はもとより、そういう数字を求めて転職したわけじゃありません。それに……」

「それに?」

「今の俺があるのは、だいたい麗奈トレーナーのおかげじゃないですか。みっちりトレーニングに付き合っていただいた、その成果が着実に出ているというなら、これは俺じゃなくて麗奈トレーナーの成果ですよ」


 本心で告げたつもりだ。

 しかし麗奈は、誠二から目を逸らしたままだ。




「……私はなーんにもしてませんよ、あはは」


 外の雨はどんどん強まっていく。

 にわか雨ではなかったのか。すぐに止むとばかり。


「才能がある人って、一度始めたらなんでもマスターしちゃいますよね。誠二さんも、もともとすごく頑張れる人だし。うん、さすがです」

「ええ? どうしたんですか急に」

「やっぱり、私とは全然違うなーって……」



 ──えっ?

 誠二は耳を疑い、己の目をも疑う。


 この数ヶ月間は二人三脚も同然のトレーニング生活だった。

 今日だって、石段の昇降がドベだった自分に付き添い、「一歩ずつ! そして笑顔! マッスルマッスル〜!」という謎の掛け声とともに並走してくれていたじゃないか。

 必要な栄養が滞らず全身に巡っていくよう、毎週のように献立を組み立ててくれたのも麗奈だ。彼女のおかげじゃなくて、他に誰のおかげだと考えれば良いのか。


 まだ〈U.D.D.〉も始まっていなければ、そもそも誠二が出場するわけでもない。

 だというのに、自分が育てたと言っても過言ではなかった、この肉体を褒めちぎった挙句、麗奈が最後に見せたのは、今までの純粋で前向きな彼女とは似ても似つかぬ暗い表情である。











♢♢♢


作者コメント:

 ラブコメ展開うらやまじぃいいいいいっ!(万年安定のクリスマスぼっち作者)

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