第5話 どこにでもいるごく普通のサラリーマンだったので

 体が軽い。

 電車を乗り継ぐ作業も、郊外の人気ひとけがない改札口も、昨日と比べてちっとも気にならなくなっている。

 頭上で広がっていた真っ青な空が、新しい門出を祝福してくれているようで、誠二は心が踊った。


(近いうちにこのあたりへ引っ越すのも良いな)


 いきなり辞めたことで退職金をふいにしてしまったのだけが残念だが、使い道もない残業手当をめいっぱいもらっていたおかげで、貯金だけはやたらとある。

 誠二はジムギルドを目指し、タッタッと足を早め、駆けていく。


 外回りが多いとはいえ、入社してからは運動らしい運動をする習慣がすっかり失われてしまっていた。

 学生時代までは、スポーツ用品店での就職を志すだけの動機になりうる活動は、あらかたこなしてきたつもりだけれど。


(筋肉なんか、ずいぶんなまってるだろうし。まずは体力付けていかないとな)


 ダンジョン攻略も、決して容易い商売ではないとは分かっている。

 ましてや、ジムギルドにいた面々は誰しもが、ボディビルダーさながらの筋肉を体に宿していた。

 新天地へ乗り込むということは、誠二も彼らと同じ、いや彼ら以上に、このいたって凡庸な肉体を鍛えていかなければならないのだ。


(〈U.D.D.〉が未来のオリンピック……ねえ。ははっ! もしそうなっても、今の俺じゃあ夢のまた夢だな)


 麗奈の力説を思い出しつつ、誠二は再び『筋肉三倍段』のドアをくぐる。

 最寄り駅から徒歩15分くらいだったところを、走って5分で到着していた。




「おはようございます!」


 誠二の明るく、建物全体へ響き渡りそうなほど大きな挨拶。

 店内では麗奈がトレーニング終わりのギルドメンバーたちへ、プロテインバーとスポーツドリンクを配っていた。


「おはようございますっ! ……おやっ?」


 麗奈は汗だくだくの誠二を見るなり、目を丸くする。


「もしかして、めっちゃ慌てて来ました? 今日は別に遅れて良かったのに〜」

「いえいえ! しばらく運動不足でなまりになまっていた体を叩き起こすためにも、ちょっとばかり走ってきただけですよ」

「えっ、走った!? いきなりですか?」


 息こそ多少上がっているものの、誠二に突然ぶっ倒れるような気配はない。


「この辺り、坂多いのに……なかなかの脚力をお持ちですねえ」


 半分は心配しながらも麗奈は感心しているようだ。


「では、誠二さんも駆けつけに一本どうぞ! やる気があるのはとっても嬉しいですけど、ランニングも明日からは計画的にやりましょうね」


 さっそく手渡されるプロテインバー。

 誠二は彼女が提げたカゴいっぱいに詰め込まれている、鮮やかな色合いをしたパッケージをぼんやり眺めた。


 ああ、懐かしいなあ。

 そういえば、あの会社に入ってまず覚えさせられたのが、プロテインやスポーツ飲料を販売している食品メーカーのリストだったっけ。




「……あれ?」


 はたと気付いた誠二が、


「『TAISHOタイショー』の商品は扱ってないんですね?」


 思わずたずねると、麗奈はギクリと綺麗な両肩を跳ねさせる。

 カゴの中には1種類だけではなく、いろいろな銘柄のバーが入っていただけに、かの十種競技選手・西城勇翔とスポンサー契約を交わしている大企業の商品が、なぜだか選ばれていない部分がより際立ったのだ。


「食品メーカーとしてはあそこが最大手でしょう。いろんなスポーツ選手を雇っている企業でもありますし」

「あー……えへへ、詳しいんですねえ」


 麗奈はポニーテールの結び目あたりに触れつつ、


「もしかして誠二さん、『TAISHOタイショー』推しでした?」

「いえいえ! 俺は別にどこのメーカーでも……」

「なんと言いましょうか、私なりのこだわりなんですよ〜えへへ。でも、もしご希望があれば、次はちゃんと仕入れておきますから!」


 はあ、と適当に相槌を打つ誠二。

 真面目な話、プロテインバーなんてメーカーごとに成分や原材料には大した違いがない。価格とか味とか、あとは単純なブランド力に惹かれて、そこらへんの店頭に並んでいるものを適当に選ぶくらいでじゅうぶんなのだ。


「それでは誠二さん、こちらへどうぞ」


 昨日に引き続き個室に通される誠二。


「すでに昨日説明させていただきましたが、今日は筋肉のコンディションを調べまして、身体測定と合わせた『攻略者』としてのステータスを算出していきます」


 ぴらりと、まだほとんど記入が済んでいないステータスシートが引き出しから抜き取られた。



==========

田高誠二(男/24歳)


身長:175センチ/体重:65キログラム


攻略ランク:F(新規のため)

攻略者ランキング:データなし(非協会員のため)


【スタミナ】評価??(5段階評価中)

【パワー】評価??

【テクニック】評価??

【スピード】評価??

【ロジック】暫定評価4

==========



 身長体重は昨日のうちに測ってもらっている。

 取り立てて背が高いわけでも筋肉質なわけでもない。あくまでも誠二は、人並みのいち営業サラリーマンだった。いや、元・サラリーマンか。


「健康診断は毎年、会社に受けさせられてましたけど……」


 誠二は頬をぽっと赤らめる。

 少年時代にさかのぼったみたいで、さほど悪い気分ではない。


「こういう、体力テストみたいな試験は高校以来かも」

「試験なんて堅苦しいものじゃないですよ。誠二さんの今を知るためですから、どうか力を抜いてくださいね」


 ──俺の現状、ねえ。

 まともに評価を付けられそうな項目は【ロジック】くらいのものだ。スポーツ用品を売り捌く手前、ある程度の専門知識は現場で求められてきた。


(俺なんて、ここのジムギルドどころか、真っ当にダンジョン攻略している人間の中では下の下の下って感じだろうな。ま、初心にかえって頑張るしかないか)




「さて、筋肉チェックをする前に……」


 麗奈は椅子に腰掛け、


「少しだけ、ご自身の運動やスポーツの経験について伺っても良いですか?」


 鉛筆を取り出しつつ、面談じみた口振りでたずねてくる。


 ──ああ、そうか。

 就職活動ほどきっちりかっちりしていなくとも、攻略者に転身するからには、トレーナーたる彼女にあらかた経歴を聞かれるのも当然だ。

 とはいえ、就活とは違って、無駄に話を盛ったり気取けどる必要はないだろう。履歴書の類だって作らされていないし。


「聞かれても大したアレはないんですけどねー、はは」


 誠二は遠慮がちにはにかむ。


「そう謙遜なさらずとも。誠二さんはスポーツ用品店でお勤めなさっていたとのことですが……」


 ステータスシートの裏面には備考欄と思わしき空白がある。


「ダンジョン攻略は未経験としても、こういう仕事に就きたいと考えるくらいですから、運動がお好きだったり、昔頑張っていたスポーツとか、なにかしら心当たりがあるのでは?」

「んー、まあ、一応は……」


 麗奈は箇条書きで、正面で腰掛けた青年に語られるがままを記していく。




♢♢♢




「小学生の頃はサッカークラブに入ってました。でも、近場だからと適当に入ったそのクラブがかなりの強豪で……練習スケジュールが相当キツくってですね。中学に入ってすぐに退団してしまったんです」


「へー、サッカーですかあ! どうりで、うちのギルドと最寄り駅までの距離を余裕で走ってこられるだけの脚があったわけですね」


「だから昔の話ですって。もうやってませんよサッカーは。試合もだいたい補欠か、スタメンの交代要員でしたし」


「またまたあ。ちなみにどこのクラブですか? 実は私もその昔、男子に混ざってサッカーボール蹴ってた時期があるんですよ〜」



 麗奈はさりげなくクラブ名を聞き出す。

 その名前にぎょっとした。強豪どころではない。

 全国大会への出場など当たり前、プロ選手の輩出も数多く、サッカー選手に夢見るような少年少女であれば、まず知っていて間違いないレベルの超有名クラブだったのだ。




「中学では基本的に学業を優先していたので、部活動なんかまともに行かなかったですし。受験勉強の気晴らしにと、毎年、地元の大会でフルマラソンを走るくらいのものでして……」


「へー、フルマラソン! 中学生で42キロを完走したってことですか? それも3年連続で? すごいじゃないですかあ」


「だから昔の話ですって。それに42キロくらいは、大会に出るような子なら誰でも走りきるでしょう?」



 麗奈はさりげなくノートパソコンを開く。

 実はフルマラソンの大会は、インターネットで少し調べれば、参加者の完走タイムが記録として残っていたりするのだ。


(『田高誠二』さん……っと)


 検索結果に、麗奈はぎょっとした。

 フルマラソンを中学生ながらに完走する、ダンジョン攻略には申し分ないスタミナ──だけではない。

 大会としては東京郊外のそこそこな規模であったが、当時中学3年生の誠二は、そこで大人も顔負けの圧倒的大差で優勝、しかもを叩き出していたのだ。


 なんだったら、日本記録にもあと少しで届くか否かのスピードである。


(ん? え? ……せ、誠二さん……?)



==========

田高誠二


【スタミナ】暫定評価5 ←new!!

【スピード】暫定評価5 ←new!!

==========











♢♢♢


作者コメント:

 パーフェクトパワーズを応援します。(唐突)来年もM-1出てくれ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る