第4話 ブラック企業に退職届を叩きつけてみた

「誠二さんのような人生の挑戦者チャレンジャーを、ずっと待っていました」

挑戦者チャレンジャー……」

「ここは、誠二さんのような高い志を持った人が多く集まっています。私も、皆さんの願いを叶えるべく、理想の筋肉を育てるべく! トレーナーとして全力でサポートします! どうでしょう? 私たちと一緒にジムギルドで自分を磨き、このダンジョン業界を戦い抜いてはくれませんか?」


 誠二はしばらくうつむき、胸元へ手を当てていた。


「『一度きりの人生で一度くらい』」


 返された言葉に、麗奈は目を丸くする。


「『もっとハチ切れそうな大胸筋に抱かれてみたかったのよ』」

「はい?」

「最近フラれたカノジョに言われた、別れ際の台詞ですよ」


 控えめに自嘲の笑みをこぼす。

 浮気現場にて、オリンピック選手そっちのけで口論の末、カノジョに金切り声でそう言い放たれたのを、誠二はたぶん一生忘れない。


 ──悪かったな、貧相な大胸筋で。

 けど、そんなのお互い様じゃないか。俺だって、たった一度きりの人生。


 オリンピック選手に寝取られたんだか、自分のほうが言い寄ったんだか、今となってはどちらでも関係ない。

 自分が犯した不義理を相手のせいにする、あなたみたいな不誠実な人じゃなく。


 生涯をともに添い遂げられるような、もっと綺麗な心と……欲を言えば。

 もう少し形のキレイな胸を持った女性と付き合えば良かったなあ、なんて。

 血迷った発想を思い浮かべるくらいには、あの言葉がものすごく苦しくて、歯がゆくて、悔しかったんだ。




「あの、ひとつだけ良いですか?」


 誠二がもらした本音の意図を測りかねていないのか、真顔になっていた麗奈が我にかえり、笑顔を取り戻す。


「え? あ、はいもちろん!」


 なんだ、浮気の話までは老人に聞かされていないのか。まあいちいち話すほどの内容でもないが。

 こんな健康的で純粋で、清楚そうな女性に聞かせるだけ無意味、ただ彼女の気分を害してしまうだけだろう。


「いきなり〈U.D.D.〉とかいうダンジョンの完全制覇……なんて大それた目標を掲げるつもりはありませんが、最近は攻略者になりたがる人が増えているということだけは、俺もぼんやり認識しています」


 遠慮がちにたずねてみた。


「ただ、攻略者を職業にするまでのコストと言いますか……ギルドに入ったとて、結局は配信者とかと同じく個人事業主なんでしょう? ぶっちゃけ、会社勤めよりもうんと重労働なのでは? 仕事が軌道に乗るまでは、休みなんてそうそう取れないでしょうし……」

「ふうむ、なるほど」


 すると、麗奈は再びモニター画面を明るくした。

 次に映し出されたのは、エクセルで出力したっぽいスケジュールだ。


「こちらは、とあるギルドメンバーの1週間の予定です」



==========

【月曜】午前:トレーニングA/午後:定期身体測定&カウンセリング

【火曜】午前:トレーニングB/午後:休み

【水曜】午前:トレーニングA&全体ミーティング/午後:ダンジョン攻略

【木曜】午前:トレーニングB/午後:休み

【金曜】午前:事前攻略打ち合わせ/午後:トレーニングC

【土曜】ダンジョン攻略(生配信あり)

【日曜】休み

==========



「この方はトレーニングの予定をすべて朝に配置してますので、午後は攻略の準備以外では比較的余裕を持っていますね。もちろん、午後に予定を詰め込んでいる方も多くいらっしゃいます」

「週1は完全オフの、週2で早上がり……?」

「勘違いしている方も結構多いんですが、トレーニングって毎日、一日中やれば良いってわけじゃありません。むしろ、筋肉にも一定期間の休みを与えてあげなきゃ、ただ疲れてしまうだけで効率良く育ってくれないんですよ?」


 麗奈はノートパソコンを新たに取り出し、『筋肉三倍段』が運営していると思わしき動画配信サイトのチャンネルを見せてくる。


「攻略とトレーニングの動画自体は毎日更新していますが、こちらに関してもギルドメンバー内での持ち回り制なので、配信していただくのは多くても週1回ですね。攻略で得た報酬に合わせて動画への固定出演料と、動画の広告収入の還元バックもあります。そもそも配信を行わないダンジョン攻略もありますが。あとはー……」




 途中から誠二はうわの空だった。


 筋肉を休ませるためという、理由まではっきり付いた絶対的休日。

 無意味で無価値なサービス残業の淘汰とうた

 シンプルなタイムスケジュールと業務内容。


 臨時でミーティングが入ったり、担当外のブースを任されたり、外回りさせられたり、お偉いさんの接待会食が入ったり。

 そんな業務外労働も一切なし──と、彼女は言っているのか?


「うちのチャンネルで人気があるのは、お恥ずかしながら、私が毎週水曜日に生配信している『朝から朝レナ!』というトレーニング番組でして……えへへ」


 麗奈が照れくさそうにポニーテールの結び目へ触れていたところを、


「時々、こっちでの参加や配信のお手伝いをお声がけさせていただくこともあるかと思いますが、その時はぜひ協力してもらえると嬉しいです。もちろん、時給は発生しますので──」

「経費は?」


 食い気味に。


「えっ?」

「ダンジョン攻略にかかる交通費含めた諸費用は、経費として落とせるんですか?」

「あ、もちろんです! ていうか、そのためのギルド所属じゃないですか」

「入会します」


 誠二は即断した。


「じゃなかった、転職します。俺、ダンジョンの『攻略者』になります……!」


 至れり尽くせりかよ。へたな上場企業よりホワイトじゃん。

 急に入った出張のタクシー代とか、店長が「予定されてない営業だったから」とかなんとか理由付けて、自腹になった日だって珍しくなかったのに。


 予定されていない営業はそもそも入れるなよ、なんて誠二が言える立場でもない。そんな偉い立場に就ける日も、きっと遥か遠い未来だっただろう──そう、どんなに会社の未来を思って、誠二が尽くし続けても、だ。




♢♢♢




 かくして誠二の意思は固まった。

 翌朝、重役出勤と言わんばかりに店舗へ誰よりも遅くやってきた店長へ、


「一身上の都合につき、本日付けで退職させていただきます」


 白い封筒をていねいに差し出す。

 開店間際の店内で小さくないどよめきの声が上がった。なんの前触れもない誠二の申し出に、店長は唇をわななかせ、青ざめ、慌てふためく。


「な……ななっ、なんの冗談だね、田高くん?」

「冗談ではありません」


 胸を張り、毅然とした態度で堂々と告げる。


「2年という短い期間ではありましたが、大変お世話になりました。恐縮ながら、すでに新しい勤務先も決まっています。かの地でも、店長や先輩方に教わってきたことを肝に銘じつつ、誠心誠意励んでいきたい所存です」

「ばっ、馬鹿な! 考え直したまえ!」


 がしと誠二の両肩を掴み、


「今きみに辞められては困るよ! その2年間できみが決めてきた、新しい取引先との会議はどうなる!? まだ進めている最中の契約もあったはずだ!」

「申し訳ありませんが、他の社員に引き継いでください。関連書類であれば僕のデスクにすべてまとめて置いてありますので──」

「そういう問題ではないっ!」


 店長が説得という名の懇願に出ても、誠二はぴしと正した姿勢を崩さなかった。

 どんな時でも、どんな些細な案件でも、どんなお客様に対してでも平等かつ真摯な営業姿勢を貫く──。

 研修や誰に教わるまでもなく、誠二が長らく続けてきた努力だ。


「そそっ、それに本社で児嶋こじまくんが請け負っている、『TAISHOタイショー』とうちの店舗との中継をしているのもきみだ! その窓口を、これからは誰がするというのだね!?」



 児嶋由美ゆみ

 その『TAISHOタイショー』との取引で、日本一高名なオリンピック選手と知り合い、ハチ切れそうな大胸筋に抱かれるという夢を叶えたのであろう、誠二の元カノ。



 今ごろは本社にいるんだろうか。

 なんだったら、オリンピック選手の部屋から堂々ご出勤──とかであれば一周回って面白いな、とか内心鼻で笑いつつ。


「そちらもどうか、別の方へ引き継ぎを……いえ、にこちらの店舗へ戻っていただくというのを、僕の方では提案いたします」


 彼らが交際関係にあったことは、店舗の誰もが周知している。

 となれば、その誠二が由美の名を読んだ時の冷たさ、温度の低さに、社員の何人かは、浅からぬ裏の事情を察してしまったかもしれない。




「そちらの案件に関しては、本社に滞在せずとも対応できると僕は認識しておりますので」

「し……信じられん……」


 店長は震え声で、


「この店で誰よりも一番きみが、どうして……!」




 数字を取ってきた──ねえ。

 その、額面上では新入社員ながらも店舗の稼ぎ頭だった自分が、なぜ3年目になってもぞんざいな扱いを受けたままなのか。

 誠二含め、社員たちの体や時間を犠牲にしていれば、店が回っていくので問題なしとずっと見做してきた、店長の管理姿勢こそ、辞める今となって思えば信じがたいというものだろう。


「失礼いたします」


 誠二はゆっくり店長の手を離させ、深々と頭を下げる。

 そして事務所へ寄ることもないままに、誠二は肩の荷が降りたような清々しい表情で、颯爽と店を飛び出していったのであった。


 これ以上、別れの言葉など必要ない。もちろん、この場にいない由美にも。

 店長がどれほどもの惜しげなことを言っていたって、所詮は少し体張って時間を削り、精神を擦り減らしさえすれば新卒にでもこなせたような、誰にだってできる販売営業だったんだ。


 すぐに誠二の代わりは見つかるだろう。

 あの店にとって、この会社にとって、誠二も社員たちも──なんなら店長レベルの役職でさえも。


 スポーツ用品と同じ、みなが等しく消耗品に過ぎなかったのだから。


(さあ。手始めに、背中へ『しん』でも宿すか……!)











♢♢♢


作者コメント:

 覚えてろ元カノ、ブラック企業……。(某女子中学生風)

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