第12話 とある五輪選手のモーニングルーティーン

 西城勇翔、22歳。

 昨年の国際オリンピック十種競技にて、国内最高記録を叩き出しながら銀メダルを獲得した、日本人であれば大概の人間が知っているスポーツ界のニューヒーロー。


 港区の高層マンションで暮らす彼は、毎朝欠かさず赤坂あかさかを走る。

 車や人間であふれかえる手前の、穏やかな外気に触れた筋肉、その日のコンディションが勇翔にはランニングするだけでわかるのだ。


 部屋へ帰ってくれば、待っていたのは勇翔よりもやや年増な女。

 その女──児嶋由美は、最近勇翔がスポンサー契約した食品メーカー『TAISHOタイショー』の企画会議にて知り合った、スポーツ用品店のOLだった。

 一度顔を合わせただけで連絡先の交換を頼み込んできて、二度目はふたりきりでの食事、三度目はこうして、マンションにまで押し寄せてきた、下手なゴシップ記者よりも図太い神経とスポーツ番組のリポーター並みのあざとさを持った女だ。



 面倒だからと、取り付く島もない態度を続けるのは容易い。

 が、勇翔はそうしなかった。

 顔やら声やらには一切興味なかったが、そのブラウスからはみ出しそうなGカップに、唯一、見応えを感じられたのである。



 とかく筋肉の付き方にはうるさい勇翔も、こういう路線の胸には詳しくない。

 私立の中高一貫校出身で、体育大上がりの勇翔は、学生時代のほぼすべてをスポーツに費やしており、女性との縁はあまり持たなかったのだ。


 その構造を一度くらいじかに見てみるかと、のこのこ彼女の部屋まで付いていったは良いが、ひとしきり双丘を拝んだあたりで彼女の恋人らしき男が乗り込んできた時は興醒めした。

 勇翔は自分が研究やトレーニングに明け暮れている時に、横槍を入れられるのをなによりも嫌う。

 ついでに、男をキャリアでしか見ていなさそうな安直で将来性の見込めない女も、まったくもって勇翔の好みではなかったのだ。


 良くても、許容できるのはまでである。




 そういうわけで、由美が抱いていた唯一のアイデンティティはじゅうぶん楽しませてもらったし、ついでに一人の男として抱くべき至極真っ当な性的欲求も、じゅうぶん満たされている。

 はっきり言って、由美はもう用済みなんだが──。


「お帰りなさい、ゆーくん」


 今日も、マンションに押しかけては朝まで居座った挙句、寝起きでもわざとらしい上目遣いでタオルを差し出してくる由美。

 大した器量もないくせに、しつこく、ねちっこく年上ぶり続けている彼女を、勇翔は内心こう呼んでいた。



 後方カノジョヅラ。

 あるいは、人間の顔をした寄生虫。

 あるいは、ただ胸がデカくて尻が軽い女。



 タオルを無心の無言で受け取る勇翔。どうせ、自分がついさっきまで寝こけていたのだろう。不自然に伸びた黒髪に寝癖が残っていた。

 寝間着の中でズレたままの、谷間の位置もかなり気になる。


 ──男の大胸筋マッスルも、女の脂肪おっぱいも、左右対称でなければ。




 むんず。


「……え゛」


 勇翔が真顔でなした行動に、由美は反応が遅れてしまう。

 昨晩はベッドの上でわざとらしく「あんっ♡」とか甘たるい声で鳴けたのだが。


 ──そういえば、昨日も腰振っている間、にこりともしなかったし、最後の最後まで眉ひとつ動かさなかったのよねえ、このティーエンジャー……。




「ゆ、ゆーくん……?」


 タオルを片手に提げたまま、もう片手で服越しに由美の胸を鷲掴む。

 由美が苦笑いを浮かべてもお構いなしに、なんの情緒もムードもなく、納得するまで(ついでに形も左右対称に整えて)ひとしきり揉みしだいた勇翔は、


「……


 ただ一言だけ告げると手を離し、くるりと踵を返してしまった。

 わけがわからず放心している由美に背を向け、リビングに置かれた液晶テレビへ一目散に足を進めていく。


 Gカップにうつつを抜かしている場合ではない。

 

 メダリストになったくらいで釣れる女など、いくら胸が盛られていようが、もし仮に由美のGが整形の産物でなく自然物であろうとも、勇翔にしてみれば安いのだ。


 例えるなら、『TAISHOタイショー』のプロテインバーくらいに安い。




 もうすぐ8時20分で、今日は水曜日。

 勇翔にはランニングに次ぐ、もうひとつの重要なモーニングルーティーンが待っていた。


(も……揉むだけ揉んで、なにを見に行きやがった? 連続ドラマ? 天気予報?)


 由美の予想はことごとく外れる。

 テレビ画面に映し出されたのは、

 8時20分きっかりに始まる生配信。動画投稿サイトのとあるチャンネル名と、その動画タイトルに、由美ははるか後方で首を傾げた。


(はあ? ジムギルド……『朝から朝レナ!』ぁ?)






♢♢♢



==========

朝から朝レナ!【#49】【トレーニング】


投稿日:20XX年4月24日

投稿者:『筋肉三倍段』公式チャンネル

==========



〔全国のトレーニーのみっなさーん? おっはこっんにっちは〜!〕


:おはこんにちは〜!

:おはですトレーナー!

:待ってましたレナさん!

:今日もずっと全裸待機(直喩)してました!



〔来週はゴールデンウィークですね! お勉強、お仕事、趣味にトレーニング! 皆さんはもう、連休の予定キマってますか?〕


:キマってます! もちろんトレーニングです!

:もちろんジムでトレーニングしてきます!

:初めてダンジョン攻略行ってきます!

:レナさんと脳内デートキメます!

:いや〜朝から摂取するレナさんは美味いな〜!



〔ジムギルド『筋肉三倍段』ができてから毎週続けてきた『朝から朝レナ!』も、次でとうとう50回目です! トレーニーの皆さんが一緒にトレーニング頑張ってくれるおかげで、筋肉と一緒に私も、番組も、このチャンネルもすくすく育ってますよ〜〕


:朝レナは永遠に不滅です!

:朝レナが俺の生き甲斐

:お胸もちょっぴり育っちゃいましたか、トレーナー?

:レナさんが俺にとってのプロテインです!

:笑顔満点! 栄養もたっぷり!



〔それでは! 今日も元気に、酸素をめいっぱい取り込んで肺と全身の筋肉を喜ばせるところから始めていきましょう! ミュージック・スタート!〕


:はーい!

:やったぜ!

:喜んでるよ! 喜んでるよ!

:グッモーニン、全国のトレーニー!






 軽快なダンスミュージックが流れ、ポニーテール姿の女性トレーナーが画面の前で踊っている間も、動画のコメント欄はひっきりなしに流れていく。



:このチャンネル、絶対男しか集まってない(笑)

:わかる。毎週水曜は朝ドラからの朝レナって流れができてるよな

:朝ドラは老若男女誰でも観てる健全な番組だろ! いい加減にしろ!

:ちょw まるで朝レナは健全じゃないみたいな言い方w



 コメント打つ暇があるなら腹筋でもしろ──。

 そう正論を飛ばしてくるリスナーもいない。そんな暇があれば、自分こそ腕立て伏せにでも勤しむだろう。



:ぶっちゃけこのチャンネルで再生数伸びてるのも朝レナだけだしな

:おいおいお前ら……真のトレーニーならチャンネル登録しろよ?

:あ、当たり前だよなあ?(目逸らし)

:だって……他の動画はムサい男の筋肉しかないし……

:レナさんもたまにはダンジョン攻略、してくれてもいいんですよ?

:モンスターに襲われてるレナさんを見てみたい

:触手プレイキボンヌ



 トレーニング番組『朝から朝レナ!』の動画は、どれもおおよそ5万回前後の再生数を誇っている。

 女性トレーナーの人気でかろうじて保っているような、一部のトレーニーや攻略者の間でこそ評判高いチャンネルであったが、ジムギルド『筋肉三倍段』がダンジョン界隈、そして、オリンピック選手さながらの国民的な知名度を持つにはまだまだ時間を要しそうだ。











♢♢♢


作者コメント:

 リスナーのノリが某パンピアノなんよ……。(呆れ)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る