2章 ダンジョン界の大型新人あらわる

第11話 とある港区OLになりたい女の憂鬱な朝

 誠二がスポーツ用品店『スタートDASHダッシュ』を退職した、数日後。


 港区にある、高層マンションの一室にて。

 小鳥のさえずりをかき消すようなアラーム音に、児嶋由美は叩き起こされた。


 ずるりとシーツを引きずり、おぼろげな意識のままアラームを止める。


 縮毛矯正により、手ぐしもよく通る黒髪ロング。

 大学時代に整形した、涙袋の大きな二重まぶた。

 そして、その病院に多額を支払ってでも手に入れたかった、薄手の寝間着からはみ出そうな──双丘そうきゅう




 朝8時。出勤の時刻にはまだまだ先が長い。

 もう少しだけ眠ろうかと、ベッドへ引き返しかけたあたりで。


(ゲッ……)


 由美は偶然目に留めてしまった、すさまじい数の不在着信履歴にうんざりする。

 スマホの通知を切っていた昨晩あたりから、今朝にかけて、同じ相手が電話を寄越してきていたようだ。


(最っ悪。早朝にまでかけてこなくても……)


 由美は仕方なく着信を入れ直した。

 どんな急用だろうか。出ないなら出ないで別に結構、その方が会社員としては正常だ。

 しかし現実には、着信先の相手はたった数コールで応じた。


「おはようございま──」


〔なぜ電話に出てくれないんだ、児嶋くん!!〕


 ぐわんぐわんと、中年男の悲痛に叫ぶ声が脳を揺さぶってきて、久しぶりの感覚に由美は顔をしかめる。

 電話の主は、由美が昨年まで勤めていたたか支店のおさわただった。今は六本木の本社へ移ったことで、しばらく顔を合わせていない。


「申し訳ありませんでした、渡部店長。本社で重要な会合に出てましたので」


 息するように嘘を吐く。

 由美は定時退勤した昨日の夕方あたりから、今までずっと、このマンションの部屋にいた。

 部屋の持ち主も彼女ではない。由美はベッドへ腰掛けたまま、つつと指先で寂しくなったシーツのぬくもりをなぞる。


 は、今ごろ外でランニングしているのだろう。




「それで、どういったご用件でしょうか?」


 由美としては落ち着いた声色を作っているつもりだったけれど、それが渡部には、自分はまったくの無関係で呑気そうだと癪に触ったのだろう。


〔どうもこうもないよ!〕


 渡部はいっそう荒ぶった怒声となった。


〔きみ、今日にでもうちの店へ戻ってきなさい!〕


「……はっ?」


〔田高くんが急に仕事をほっぽって、店を出て行ってしまったんだ。理由もろくに言わず、いきなり退職だなんて……まったく、なんて身勝手で無責任な……〕


 ──誠二が辞めた?

 そんな話は寝耳に水だ。由美はスマホを持ったまま呆けてしまう。



 誠二は、由美が出会ってまもない頃こそ、うぶで世間知らずな新卒社員だった。

 それほど賢くなく、要領も悪い方であったが、生真面目で素直でやや熱血な性分を持ち、指導役に任命された由美が手取り足取り教えていれば、仕事をみるみる覚えていく様がそれなりに見応えのあるものとなっていった。


 やがて、母性本能が芽生えたんだろうか。

 由美の中で誠二という男への愛着もそこそこ湧いてくる。

 そんな由美の心情が彼にも伝わっていたのだろう。ある夜の打ち上げ帰り、アルコールと羞恥心で顔を真っ赤にさせながら告白してくる誠二に、彼女の中でひとすじの魔が差す。


 ──ま、この男ならかもしれないわね。

 あたしが目指すシンデレラ・ロード、その第二ステップへ進むまでのつなぎとしては。





「あの、店長?」


 由美は極力穏やかな声色に努める。


「店舗に戻るってどういう……私は今、本社の企画部の人間でして」


〔人事部にも今日のうちに話を通しておく!〕


 ひゅ、と由美の寝起きで乾いていた喉がかすかに鳴る。


〔きみが今担当している企画ってのは、アレだろ?『TAISHOタイショー』と自社ブランドのコラボ商品だろう? 田高くんが近くの支店を巡って、本社との中継を長らくやってくれていたから、その企画も成立したんじゃないのかい? ええ?〕


「支店を?」


 渡部の墓穴を決して聞き逃さなかった由美が言及する。


「彼が中継していたのは、そちらの店舗だけでは? ……まさか、他企業との外回りにハシゴさせて、支店間の情報共有まで彼にやらせていたんじゃ」


〔そ、そういうのも営業の仕事だよ!〕


 ──んなわけないでしょ! 誠二は事務じゃなくて営業部なんだから!

 だいたい、よその支店がするべき仕事まで彼に押し付けてたら、もう支店の存在意義が揺らぐじゃないのよ!


 苦し紛れな渡部の言い訳に、由美は反射的に怒鳴り返したくなったのを堪える。


〔と、とにかく、彼がいなくなって店が全然回らないんだ! 在庫管理も他のやつがやると杜撰ずさんで仕方ない! 販売数は右肩下がり、こんな時に限ってクレームも増えてきて……ちっ、田高くんさえいれば……〕


 ──クレーム対応こそ上司たる渡部の仕事だろうに。

 どうせ、そういう面倒な対応もすべて誠二に押し付けてきたのだろう。彼、少しも嫌な顔しないで、どんな無茶振りも全然断らないから。


 かくいう由美も、2年ほどかけて誠二を誰にとっても、由美自身にとっても都合の良い男に仕上げたつもりだったのだけれど。




♢♢♢




〔そういうわけだから、頼むよ児嶋くん! 俺は発注とか、店にいる間は数字のことに専念したいんだ。お客様の前に立つのはきみたち営業スタッフの仕事だろう?〕


「ちょ、ちょっと店長──」


〔きみだって、本社なんかより、店舗のほうがずっと肌に合っているんじゃないのかい? 田高くんの面倒を見てきた児嶋くんになら、こっちも安心して接客も任せられるというものだよ、うん!〕


 電話は一方的な渡部の要望で終わった。

 ぶつんと切られるなり、由美はスマホを柔らかなベッドへ叩きつける。


(冗談じゃないわ! なんであたしが、あの無能上司との尻拭いなんか……!)


 由美にはかねてより大いなる夢がある。

 男が出世街道をひた走りたがる生物であるように、彼女も女として、シンデレラ・ストーリーの主人公を夢見ていた。


 その夢は、少しずつだが着実に現実へと近付いていく。

 ようやく耐え忍んできたブラックな労働環境を脱し、本社の企画部で悠々とオフィスワークを過ごせるようになってきたのだ。

 そして今や、退社すればS級のルックスとマッスルを持った男の胸に抱かれ、優雅にも情熱的な夜を過ごす生活……。


になるまで、あと一歩なのよ。いずれは彼との子を設けて寿退社……アナウンサーやアイドル上がりも羨むようなグッドワイフに……)


 由美は歯軋りする。


(店舗勤めに逆戻りなんてあり得ない! この生活を、あんなパワハラを生き甲斐にしたようなクソジジイと、田舎くささがいつまで経っても抜け切らなかったB級男に壊されてたまるものですか!)


 その時、玄関の方で扉の開く音がする。

 まもなくドスンドスンと重量感のある足音が、ベッドのある部屋に迫ってきた。


 この空間のあるじが帰ってきたのだ。


 由美はぱあと顔を明るくさせ、待ちきれずに自ら寝室を飛び出していく。

 シャツのボタンが危うく外れかかり、谷間の位置が若干中心よりズレかかっていても構わずに。


!)











♢♢♢


作者コメント:

 まさかの次回予告。デカいだけのクソ女には「性的搾取」も辞さない構え──ッ!


 新章突入です。いつも読んでくださりありがとうございます!


 おかげさまで現在、カクヨムコン現代ファンタジー部門内で

 週間ランキング【67位】です。


 面白い! もっと読みたい! と少しでも思っていただけましたら

 読者の皆さんも【フォロー】【★★★】【レビュー】などで応援してくださると、どんどん主人公たちと物語のレベルが上がっていきます。


 引き続きよろしくお願いしマッスル〜!

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