第8話 モンスターの腹筋が6LDKだったので

「あ、ああ……あぁあああぁああああああああああっ!!」


 突然、麗奈も悲鳴を上げた。

 出現したモンスターに恐れ慄いて──いや。


「良いですねえ! 今日もキレてますねえ、泣く子も黙る6LDK!!」


 両手をすり合わせ、頬へ手の甲を当ててうっとりしていた。

 バキバキに割れたモンスターの腹筋で、悦にっているようだ。


(まーそりゃそうか! あんな割れ方してるカンガルー、俺も初めて見たぁ!)


 誠二はなぜか、元カノの由美を思い出してた。

 ──ど、どうしよう。あの次元のマッチョとお近づきになろうものなら、確かに一度くらいは抱かれてみたくもなっちゃいそうだ。

 今さら彼女に同情しているのか、俺は?


(いやいやっ! あんなのに抱かれたら死ぬだろ、フツーに考えて!)


 そもそも、なんなんだその袋? 絶対におひとり様用じゃないだろう。

 かといって赤ちゃんモンスターを6頭も入れられるようなスペースだって、あんなバキバキ具合じゃないだろうに。


(いやいやっ! なんだよ赤ちゃんモンスターって!?)


 想像を遥かに凌駕する怪物の登場で、誠二の頭がこんがらがっている。

 そんな感情の洪水を落ち着かせるためか、アキラがポンと、誠二の頼りない小さな肩を叩いた。


「カンガルーじゃなくてA級モンスター『ガン・トバース』よ、誠二くん」


 そういう問題ではない。


「A級!? CとかBとかじゃないんですか!?」

「馬鹿ねえ。あんな大根すりおろせるような腹直筋を、CやBのモンスターが持ってるわけないでしょう?」

「まーそりゃそうか!」


 え、まじで? あれと戦うんか、ビギナーの俺が?

 誠二はいっそう怖気付く。麗奈にいきなり連れ出されたせいで、いまだ手ぶらな上に、元職場帰りのスーツを着替えてすらもいなかったのだ。

 攻略の準備なんて、これっぽっちも整っていない。


(ていうか、素人でもわかるぞ。カンガルーなんて誰もが知るバッキバキの武闘派……『人間がまともに戦っちゃいけない動物ランキング』堂々1位だろ!?)




「れっれれ麗奈トレーナー!? アキラさん!?」


 数歩後退りして、誠二は先達者たちに教えを乞う。


「どっどど、どうすれば!? 今にも襲いかかってきそうなんですが!?」

「ご安心を!」


 麗奈は呑気にも、首へ一眼レフカメラをぶら下げ、自分のリュックサックからなにかを取り出そうとしている。


「一方的に殴りかかったりはして来ませんよ、あの子は」

「あの子!? 麗奈トレーナーのペットかなにかですか!?」

「似たようなものですね〜! なんせガン・トバースはダンジョン協会が発表している『ベスト・オブ・フェアプレー』堂々の殿堂入り、ダンジョン・ビギナーに一番優しいと名高いモンスターちゃんですので!」


 そう言いながら取り出されたのは、黄色いラインとシルバーの金属具が特徴的な、どうにも怪しげなベルト。

 特撮モノに出てくる変身系ヒーローが、装着するなり、超絶カッチョいい(※特撮モノ視聴者層視点)ポーズで「変っ! 身っ!」と叫んで全身に光を帯び始めそうな、マッチョ系イケメン俳優にしか許されない類のベルトだ。


「はいっ、どーぞ!」


 そんなベルトを、麗奈はさも当然のようにぷらんと誠二へ手渡した。

 細マッチョですらない誠二が、ベルト両手に唖然とする。



「へっ? ……な、なんですかこれは」

「『ドーピング・ベルト』です」


 ──な、名前がすでに脱法アウトだぁ!?



「ダンジョン協会が開発した、装着者の潜在ステータスを一時的にカンストさせる装備です。〈U.D.D.〉での使用は禁じられていますが、野良のダンジョン攻略でお咎めを受けることはありません」

「え、ちょ、麗奈トレーナー」

「ただし! ベルトの効果はたったの30分間しか出ませんので、どうかそれまでにガン・トバースの長女ちゃんをKOさせてあげてくださいね!」

「30分!? え、ちょ、せめてウルトラなのかライダーなのかくらいは性能スペック面で明確にしておいてくださいよ!?」


 どうやら麗奈には誠二の言い分を聞くつもりも、心の準備を待つつもりもないらしい。


「ほら早く」


 アキラも急かすように、誠二の細ましい腰へ触れてくる。

 だいたい、彼女(いや実は『彼』なのか? ドラァグ・クイーンを名乗りたいならせめて女装してくれ)も結局なにをしに来たのやら。さてはただのガヤか解説要員? それか、格闘でいうところのセコンドを気取きどりにきただけ?


 つべこべ文句言う暇も与えてもらえない。黒いズボンには似合わぬ、派手なベルトが誠二の腰に巻かれた。

 まもなく──ビリッ! と。


「うおわっ!?」


 軽い痙攣を起こすなり、強力なエナジードリンクか危ない薬でもキメたような、全身に根拠のない自信がみなぎってくる感覚を得る。


「行ってらっしゃい、誠二くん!」


 さっとアキラが誠二のもとを離れたのと、ガン・トバースがその場で高く飛び跳ねたのはほぼ同時だった。

 いつのまにか、暗がりでよくわからなくなっていた天井が、まるで吹き抜けみたいに遠い。ダンジョンの深淵はそれほどまでに奥張っており、いつだって壮大なスケールの世界観を、誠二ら攻略者たちに魅せつけてくるのだ。


 もちろん、モンスターの脅威も。


「ベーッ!」


 太い尻尾で体を支え、浮いた両足をそのまま誠二の胴体目掛けて蹴り出す。


「うおわぁっ!?」


 一撃確殺のドロップキックを、誠二は背中ごと上半身を大きくそらすことでかろうじてかわした。

 我ながらなんという反射神経。これがベルトのドーピング力だというのか。

 リンボーダンスみたくそり上がっていた体を起こした反動で、


(ええい、攻撃こそ最大の防御ぉっ!)


 片足を強く踏み込み、突進する。

 ガン・トバースの首へ両腕を伸ばし、がしと抱きつくなり、


「ふんっ!」


 上司へ深々と辞儀をするように頭を振り下ろした。

 ダンジョン攻略どころか格闘も素人同然たる誠二に、すぐさまできそうな攻撃と言ったら殴る蹴るか、この石頭で脳天をかち割ることくらいだろう。


「ベッベッベッ!」


 だが、百戦錬磨のモンスターもそう簡単に怯んではくれない。

 ゴチンと鈍い音がしただけで、ガン・トバースに尻尾を使って誠二ごと全身を一回転させられたあげく、あっさりと腕を振り解かれてしまう。

 空中に投げ出されても、度重なる交通事故とスタントマンのアルバイトで培った受け身の体勢を作ることにより、地面へごろごろ転がるという醜態を晒すのは免れた。


(さすがカンガルー、いやガン・トバース。尻尾のバランス感覚が異常発達し過ぎじゃないのか?)


 舌打ちする誠二はまったく自覚していない。

 そういう自分も、ベルトによって引き出された潜在ステータス──誠二自身が身体能力を、極限状態のダンジョン内にてあますところなく発揮させていたことに。




 そして。


(すごい……)


 戦場に放り出された誠二は、まだ気付いていない。

 ガン・トバースが飛び出してきたタイミングで撮影開始のボタンを押し、カメラのピントを懸命に合わせていた麗奈が、その戦いっぷりに息を呑み、見惚れそうになっていたことを。


(やっぱり、の目に狂いはなかったんだ!)











♢♢♢


作者コメント:

 キレてるよ! キレてるよ!(ダブルミーニング)

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