ナギの戦闘特性について

  *

 平凡維持機構オーディナリー本部施設、地下十三階、加木屋の研究室は、紙と機械とゴミに埋没していた。部屋の最奥、周囲を用途不明の書類の壁に守られて、加木屋博士がニタニタと笑いながらパソコンのモニターを注視している。画面は戦闘試験直後、瑪瑙の命令に従いナギが両手を出したところで停止した。


「いやあ、凄いな。これ、できるかい?」


 ぐりん、と加木屋は喜色ばんだ顔で振り向く。その視線の先で、呼び出された瑪瑙と慶隆がパイプ椅子に座っていた。つい先程、書類とゴミの山から発掘したばかりの椅子だ。


「主語はなんです? 加木屋博士」


 先に口を開いたのは瑪瑙だった。部屋の湿気を帯びたカビ臭さが気に入らないのか部屋に来たときからずっと鼻口を手で覆っている。


「主語? 主語って……そりゃ、の、だよ」


 加木屋は瞳の焦点を散らしたまま、肩越しにモニタを指さした。

 慶隆がガシガシと頭を掻きながら答える。


「できるできないでいえば、できますよ。やってやれないわけない」

「素手でかい?」

「……ええ、素手で。時間はかかるでしょうが――」

「ハハハハハハ!」


 加木屋がけたたましい笑い声を立てた。


「時間がかかるならダメじゃないか! あれは、どうだい。十二回だよ? たった十二回殴っただけであの結果だ」

「――お言葉ですが」


 そう前置いて、慶隆は首元を緩めながらいった。


「部位鍛錬を重ねて拳を強くすれば――空手とか、そういう、武術系の訓練を続けていれば不可能ではありませんよ。俺だって自分の手を気にしなければ可能です」

「だが、の手は壊れていない」

「鍛錬を積んできたってことでしょう」

「そう、そこ。そこなんだよ。これを見たまえ。いましがた修復が終わったばかりなんだが――」


 加木屋が椅子を回し、モニターを操作した。壁にかけられた巨大ディスプレイに四分割された粒子の荒い映像が映った。黒いタクティカルベストの四人。先日の萌芽ほうが突入作戦に参加していた四人である。


 四人目のカメラの前にナギが飛び出し、助けを請う様子が映った。突入部隊で使用しているM4カービンの銃口がナギを捉えるかどうかというとき、この世ならざる金切り声とともにノイズが走り、画面が止まった。


「ここからだ」


 ノイズ混じりの映像がコマ送りされる。なにが起きているのか判別しがたいが、ナギが高速で足元に潜り込みライフルに手をかけるところだけは映っていた。いちはやく事態に気づいたらしい小隊長のカメラがナギの行動を追う。

 

「――ほぼ完璧な制圧ですね」


 瑪瑙の言葉に、慶隆も頷きで同意を示した。

 加木屋は嬉しそうに唇の端を吊り上げた。書類の束を押しのけて煙草の箱を取り一本抜いて唇に挟む。百円ライターを両手で掴むようにして火を灯した。


「やっぱりそうか! そうだろうなあ、美しいと思ったものなあ」


 ぷっ、と感慨深げに煙を吹いた。即座に使い古された部屋の換気装置が唸りをあげ汚染された空気を吸いはじめた。


「わかるかい、この凄さが」

「――わかりやすく、お願いできますか?」


 瑪瑙はますます不愉快そうに顔を歪めていった。


「泡野くんにもわからんとはなあ」

 

 楽しげに煙を吐き散らし、噎せ、目尻の涙を拭いながら加木屋はいった。


「いいかね? 異界からやってきた攻撃的な異色は、ほら、こうだ」


 映像が進み、犠牲者の皮膚を縫い繕って切る怪物――通称、ミスクが小隊員の躰をいともたやすく切り裂いた。床に落ちたカメラは淡々と惨劇を捉え続ける。

 慶隆が無念そうに顔を背け、加木屋が笑った。


「僕のレポートにもあったと思うけどなあ。は、対象によって攻撃を変えたりせんのだよ。野生動物と同じさあ。自らが用いうる最高の攻撃手段を、最大効率で、機械的に繰り返すのが普通なんだなあ」

「……なるほど?」


 小さく鼻を鳴らし、瑪瑙が画面を見やった。

 加木屋はモニタを操作してナギの格闘術と戦闘試験時の映像を並べて出した。


「見たまえ。の戦い方は、まったく違うんだよ」

「つまり、相手を見たと?」


 慶隆が尋ねると、加木屋は歯を剥き出したまま首を振った。


「いやわからん。わからんが、はっきりしていることもある。ほら、ミスクにはなにもしないだろう? 対して、人間には攻撃を加える」

「――それに、突入部隊は制圧に留め、戦闘試験では壊しにかかってますね」


 瑪瑙が付け足すと、加木屋は楽しげに頷きくしゃくしゃの紙の資料を手にした。


「壊しにかかるというのは良い表現だなあ。これだけの身体能力を持っていて、あれだけの技術もあるんだ。殺そうと思えばファーストコンタクトで殺せた――いや、泡野調査官や戸呂戸調査官のことだって一瞬だったんじゃないかなあ」

「さすがにそう簡単にはやられてやりませんよ、俺は」


 慶隆は吐き捨てるようにそう口にしたが、虚勢であるのは明らかだった。

 

「科学的見解には忠実でいたまえよ。に呑まれてしまうぞ?」

「俺は平気ですよ。それより、もっとはっきりお考えを聞かせてもらえませんか?」

「ふむ――端的にいえば、この事態を招いたのは君たち二人の言葉のせいかと思う」

「……というと?」


 加木屋は短くなった煙草をつまみもち、吸い殻が堆く積もる灰皿を引き寄せた。残っている僅かな空間にねじ込むようにして煙草を消して別の資料を手に取った。


「映像でも確認したがね、君ら、頼み事をされたろう」

「ええ、たしかに」


 瑪瑙が顎を上下した。


「予備を含めた十二人全員を倒したら見学させてほしいと。私は前向きに検討すると答えました」

「うん。だからだろうなあ」

「それは――」

「そして戸呂戸調査官はこういった。まず一人倒してみせろ。それに対しは十二人同時に倒すと宣言した。そして戦闘前の会話だよ。覚えてるかな?」


 慶隆は天井近くを藪睨み、あ、といった。


「バットがほしいといったとき?」

「そう。は一発で戦闘行動を停止させられるといっていた。つまりだ、どんな方法を使うにせよ、戦闘不能に追い込めばよいのだと、そう解釈したのだ」


 一人を倒したその手段によって他の十一人を戦闘不能に追い込んだ。過剰な暴力はあくまで手段であり、暴力そのものは目的ではない。異色ユニークの怪物たちが野生動物に似ているとするなら、ナギの行動はより人間的と判断できる。


「――では、博士はナギくんは人間なのだとお考えですか?」

「そこは現場にいた泡野調査官に聞きたい――というかだね、私も少し考えてみたのだが、実はそれこそが帽子の男ハットマンが君を指名した理由ではないかな、と」

「つまり、彼の心の声を聞きたかったと?」

「なにか考えていたかね、は」


 問われ、瑪瑙は鼻口を隠したまま伏し目がちに答えた。

 

「はっきり覚えているのは三つです」

「なんだね」


 部屋に加木屋の高らかな哄笑が響いた。

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