戦闘試験前

 ナギはしばし上向いてから、あらためて瑪瑙に聞き直した。


「魔女っていうのは、あの魔女ですか?」

「あの、がどれを指すのかはわかんないけど、たぶんそう。お姉さんのずっと昔の先輩たちが色々な説明をくっつけて矮小化した異色たち」

「わいしょうか」

「簡単にいうと力を削いだって感じかな。たとえば、魔術や呪術と呼ばれるものが世界に影響を及ぼすためには、二つの道筋があるの。一つはすでに支配的な力をもっている物理法則や科学的な説明、原理、道筋。もう一つは、自他境界を曖昧にさせることで異色を強引に共有させてしまう道」


 ナギは瞬きしながら聞き返す。


「自他境界の『他』には世界も含まれているから、世界そのものの自他境界も曖昧にするってことですか?」


 瑪瑙と慶隆が顔を見合わせた。


「どっちが先とはいえないが、まあ、だいたいあってるよ。いわゆる超常現象にもっともらしい理屈をつけて限界点を設定してやれば矮小化できる。小さなものでは市松人形の髪の毛が伸びた、とかな」

「湿度の変化や経年劣化で伸びたように見えるとか、構造上もっと長い髪を植え込んでいるからそれが引きずり出されて伸びたことにする。――するっていうか、実際にそうなるんだけど、理解しやすくて納得のいく説明を加えれば、本当に髪の毛が伸びる人形の絶対数を減らせるの」


 瑪瑙は慶隆の説明に補足を加え、左手首の内側を見るように袖をまくった。アナログ式の細い腕時計を巻いていた。シルバーグレイの革巻きで、見ようによっては盤面が革の腕環に埋め込まれているようにも見えた。


「金属アレルギーですか?」


 ナギが尋ねると、瑪瑙が一瞬、驚いたような目をして袖を戻した。


「もう少し説明してあげたいところなんだけど、もう時間なんだよね」


 瑪瑙は質問には答えなかった。


「ナギくんの戦闘試験、いってみようか」

「前も言いましたけど、僕あんまり強くないですよ?」

「それが本当かどうかは俺らが決める」


 いって、慶隆が席を立った。瑪瑙が続き、少し遅れてナギも立った。


「先に歯を磨きたいんですけど」


 ナギのした要望は、慶隆に鼻で笑われただけだった。

 三人はエレベータに乗り、今度は地下へ移動した。短時間のうちに十メートル単位で上下動を繰り返しているからだろう、音が厚い霧に包まれているように詰まって聞こえる。


 広い部屋に十代の後半から二十代前半の男女が十二人、集まっていた。部屋の印象は武道場というより寝技のある格闘技場に近い。床はビニールに似た質感のふかふかとした材に覆われ、レスリング用のサークルや柔剣道用の四角いラインがあった。

 

 また、壁にかけられた棚に木刀や警棒、薙刀――などなど、いつどのようなときにどうやって使うのかわからないものまで含めて、無数の武器が並んでいた。


 瑪瑙は一人先立って十二人の男女の前に行き、ナギたちに振り向いた。


「こちら、ナギくんの戦闘試験に協力してくれるウチの警備部のみなさん」


 瑪瑙は肩越しに会釈し、さらに続けた。


「映像と音声は十台のカメラで記録される。特に測定機器はつけないけど、この部屋自体が巨大な検査機器だと思ってくれていいよ。ナギくんはこの人たちと一対一から一対四まで戦って」


 ナギは小首を傾げた。


「それだと二人あまりませんか?」

「予備」


 瑪瑙が当然とばかりに笑い、背後に並ぶ警備員たちが顔を固くした。

 ナギはふんふんと頷きながら尋ねる。


「殺さなくていいんですよね?」


 その一言に、部屋の空気が重くなった。瑪瑙は笑みを崩さずに頷く。


「もちろん。っていうか殺さないで。でも打撃は当てていい。大怪我はさせないようにお互いに注意しましょうって感じかな」

「わかりました。武器はなにを使いますか?」


 警備員たちに音のないざわめきが広がった。瑪瑙が任せたとばかりに慶隆に目配せすると、彼は少し考えるような素振そぶりを見せていった。


「お前、なんか使いたいのあるのか?」

「じゃあ、バットとかいいですか?」

「バット?」

「Z社の硬式野球用で三十六インチです。使い慣れてますし、一発で戦闘行動を停止させられます。グリップにテニス用のテープを巻いてください。野球用だと汗とかで滑っちゃうので」


 慶隆が呆れたように瑪瑙を見やった。首を横に振り返されて、ナギに目をやる。


「指定が細かすぎて用意できないとさ。他のじゃダメか?」


 ナギはごく幽かに唸った。


「だったらもうなんでもいいです。スプーンとか、ドライバーとか……」

「今度はゴルフクラブかよ」

「ゴルフでそういうのを使うんですか?」

「……食器のスプーンと工具のドライバーってことか?」

「はい」

「……ナメてんのか?」

「なにをですか?」


 慶隆はため息をつきつつ瑪瑙を見やった。彼女がさらに肩越しに振り向くと、警備員たちはいよいよ緊張に震えだしていた。


「えーっと……素手でもいい?」


 瑪瑙に問われ、ナギは頷き返した。


「いいですよ。じゃあ、僕は素手で、みなさんは好きなのを使ってください」


 いいつつ、ナギは足運びも軽く前に進み出た。

 瑪瑙が警備員たちとの間から退きつつ聞く。


「グローブは?」

「いりません――あ、でも、そうか。つけたほうがみなさんが怪我しないですむかもしれませんね。どうしましょう?」


 ナギは警備員たちに尋ねた。十二人の男女は互いにざわめきながら顔を見合わせ、やがて押し出されるように一番体格のいい男が前に出てきた。


「あー……私はつけないでも構いませんが……」


 身長は百八十弱。七十五キロといったところだろうか。骨格はやや太めで僧帽筋が発達している。ウェイトトレーニングを頻繁にこなしているはずだ。


「じゃあ、よろしく――待った」


 ナギは下げかけた頭を戻し、瑪瑙にいった。


「十二人同時でいいですけど」

「ダメ。まず一対一から」

「じゃあ、お願いがあるんですけど」

「なにかな?」

「十二人全員倒したら、この施設のこと少し見学させてもらえませんか? できればオーディナリーのことももっと知りたいです。僕なにも知らないので」


 瑪瑙はうーんと唸りながら両手を腰に置いた。しばらく斜め上を見つめ、いった。


「前向きに検討しておくって感じかな。でも、十二人全員は倒せないと思うけど」

「――二人は予備だしな」


 瑪瑙の横に並び、慶隆がいった。


「まずは一人倒してみせな。お前が思ってるより手強いぞ?」


 ナギは初めの対戦相手らしい男を一瞥していった。


「そうみたいです。でも、十二人同時に倒してみせますよ」


 柔らかに微笑みながら、ナギは男にぺこりと頭を下げた。


「よろしくお願いします」

「よ、よろしく……」

 

 男はぎこちなく背を丸めた。躰を起こすと同時にボクシングスタイルに似た構えを取った。後ろの警備員たちが距離を取り、瑪瑙が離れながらいった。


「戦闘試験はじめ」


 ナギは、散歩に行くような足取りで前に進んだ。

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