ナギの運動特性について
*
健康診断の翌日、二人組はナギが朝食を摂っているときにやってきた。
「おはよう、ナギくん。朝ごはんは足りてるかな?」
瑪瑙がいった。二日目にしてノックすらなくなっている。
ナギは口に入れたばかりの鯖の味噌煮の一欠けを飲み込んで小さく頭を下げた。
「おはようございます。朝からこんなにいっぱい食べるのは仕事の日くらいなのでびっくりしてます」
瑪瑙はぎょっと口の端を下げ、背後の慶隆と顔を見合わせた。
「瑪瑙の指示でお前のは特別にウチの食堂で用意してる」
慶隆が瑪瑙の背中越しに顔を見せる。
「……昨日の――いや、普段はどんなもん食ってんだ?」
「色々です。時間があれば砂糖抜きのフレンチトーストを作ったりしますし――」
ナギは五穀米を口に運び、しめじと小松菜の味噌汁で流し込んだ。
「
懐かしむような口ぶりでいって、ナギは残りの味噌煮を端でつまんだ。茶碗を手に取って残りを胃袋に収めつつ、最後に蕪の漬物を食べきる。
「じゃあ、明日はポテトサラダもつけてもらおうか」
「――ご馳走様でした」
ポンと両手を合わせて唱え、ナギが振り向く。
「今日はなにをするんですか?」
「運動能力のテスト――と、戦闘能力もちょっと見せてもらう予定かな」
「僕あんまり強くないですよ?」
んふふ、と瑪瑙が唇の端を吊り上げ、右耳の補聴器を指で叩いた。
「大丈夫。殺さなくてもいいから」
「……そうでしたね。気をつけないと」
ナギは鼻で息をつきながら席を立つ。机との距離を測りながら椅子を戻し、トレイに置いた箸の位置を直した。
「歯を磨いてからでもいいですか?」
「もちろん、でも急いでね。部屋を取るの苦労したんだから」
瑪瑙の言葉に応じるように、慶隆がため息まじりにジャケットのポケットからロック式の拘束バンドを取り出した。
後ろ手に親指を結束されて、ナギは地下二階に上げられた。通された部屋は以前も使われた尋問室に似たマジックミラーによる仕切りが入っており、傾斜のつけられる手すりつきトレッドミルと、大型の測定機器類があった。
「走るんですか?」
「まずは、ね。その後に各種筋力の測定をやって、それから戦闘能力試験」
ナギの質問に、瑪瑙が答えた。慶隆がナギの両親指を拘束するバンドを外しながら言葉を継ぐ。
「全力でやれよ? てきとうにこなしてごまかそうとするんじゃねえ」
「嫌です」
ナギは即答した。慶隆の眉がつり上がった。しかし、ナギは気にする風でもなく穏やかな調子で続けた。
「っていうか、僕、どこから限界かよくわからないと思います」
その涼しげな顔に、慶隆が歯を強く噛み締めた。場の空気を解そうというのか、瑪瑙が軽い口調で付け加えた。
「まあまあ――ほら、学校でやる体力測定みたいなものだと思ってよ」
「学校ですか?」
ナギがつぶらな瞳を輝かせていった。
「学校ってこういうのやるんですか?」
声も心なしか高くなっている。
瑪瑙は胡乱げな顔を慶隆と見合わせ、さらに尋ねる。
「もしかして、学校に行ったことないの?」
「はい。その前に商品として出荷されたので」
慶隆が嫌そうに顔を歪め、不愉快そうに続きを尋ねた。
「……出荷って、誰に?」
「売った人ですか? だったらお父さんです。買ったのは――」
「サークルか?」
「っていうんですか? 灰色の帽子を被ったおじさんです」
慶隆が鼻息をつくと、瑪瑙が納得したように頷いた。
「
「オーディナリー……でしたっけ? 瑪瑙さんたちも知らないんですか?」
「残念ながら。でもナギくんなら彼が誰かに呼ばれたとこくらい……あの人?」
ナギは小さく、あ、と発し、迷惑そうに眉を少し寄せた。
「そうです。みんな、そう呼んでましたし、僕もそう呼びました」
ぷいと顔を背けてトレッドミルの前まで歩き、振り向いた。
「この靴だと走りにくそうです。僕のブーツと靴下を返してもらえませんか?」
「靴は返してやってもいい。でも、今は用意したスニーカーでやってもらう」
そう言って、慶隆は白衣の男たちと警備員数名を部屋に招き入れた。
ナギは幽かに肩を落とし、真っ白いスニーカーを受け取った。靴のサイズは昨日の健康診断の際に測定したのだろう、左右ともにピッタリと足にあった。
*
トレッドミルの上で、ナギの足が回転している。封印された操作盤から白いホースが伸び、呼気ガス分析装置のマスクとなって彼の口元を覆っていた。
その姿を、隣室から厚さ三センチのガラス越しに、瑪瑙と慶隆が観察している。
「どうなってんだよ、こいつ」
慶隆が呆れたように呟き、瑪瑙が目だけをやった。
「なにか気づいたの?」
「お姉さんなのにわかんねえのか?」
「凄く早そうってくらいはわかるかな」
「凄いどころかバケモンだ。日本記録を作る気かもな」
機器類を操作していた研究員の一人が振り向いた。
「しかも心肺機能にはまだまだ余裕があります」
「やっぱ人間じゃねえな」
瑪瑙が鼻を鳴らした。
「化け物というには控えめすぎない?」
「お前はロクに運動しねえからそう思うんだよ。化け物だ、間違いなく」
低く唸り、瑪瑙は腕組みした。
「就学前にサークルに売られたってことは、五、六歳ってことでしょ?」
「それがどうしたんだよ」
「少なくとも人間の親がいたってことになる。それも、
「……調査室のタブレット取ってくるわ」
「うん。お願い。これが終わったら筋力測定に移るから」
慶隆が小さく頷き、部屋を出た。
結局、彼がタブレットを手に戻ってきたのは、また別の測定室でナギが背筋力二百七十キロを記録した頃だった。
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