ナギの生体構造について
*
パソコンのタッチパッドに触れてモニター類のアプリを開き、つい二十分ほど前にに収容室に戻したナギの様子を確認する。加木屋博士の提案によりおよそ八時間もかけて成された健康診断のあとだというのに、平然と腕立て伏せをしている。――それも、逆立ちした状態で。
「んっふっふ」
「すごいねえ、元気だねえ。この腕立て、慶隆くんもできる?」
「……まず壁なしで逆立ちができねえ」
瑪瑙が口元を隠し肩を揺らした。
慶隆は不機嫌そうに口を開く。
「なんだよ。笑いたきゃ声出して笑え。ナメてんのか?」
「ちょっとだけね」
「同じ一等調査官だろ。瑪瑙はできんのか?」
「無理かなあ。お姉さんの専門は
「……その取り調べ専門のお姉さんから見て、こいつはユニークなのか?」
瑪瑙がちらと慶隆を一瞥し、深く鼻で息をついた。
「ぜんっっっぜん、わかんない」
慶隆のPCモニタに資料類が共有された。ナギの健康診断記録だ。
身長は約百七十三センチ、体重は七十キロ弱、体脂肪率七%弱――数値の割に細く見えるが筋肉の塊といっていい。血圧は百二十の八十、脈拍三十七はトップアスリートと比べても遜色ない。
裸眼視力は二.〇以上と記録されたが自己申告式のため信用はおけない。オートレフラクトメータを利用した限りでは、近視や遠視等は異様に少ないとされている。他に目を引くのは九リッターにも達する肺活量だが、まだ人間の範疇にある。しかし――、
「あいつ、どこまで本気で受けてたんだ?」
その言葉が慶隆の口をついて出た。
従順な態度を示しているものの、捕獲した経緯をふまえれば、素直に検査に協力していること自体が理解しがたい。
平凡維持機構では、これまでにもサークルに手を加えられた人間
「――加木屋博士?」
瑪瑙が、ノートパソコンのそばに立てられたマイクに呼びかけた。博士本人は地下の個別研究室におり、イントラネットを通じて会に参加している。
「検査結果をご覧になってのご感想は?」
「X線もCTもMRIも――じきに血液と尿の結果もくるけど、この感じだと残念ながら人間ってことになりそうだなあ」
ノートパソコンの低品質なスピーカーでもわかるほど声が沈んでいた。
慶隆はつきかけたため息を呑み込み、加木屋に尋ねる。
「fMRIの結果はどうなんです? なにか異色らしい兆候はありませんか?」
「ああ、あるよ」
モニターの片隅で、加木屋が髪を撫でつけながら鼻を鳴らした。
「からかっているね」
「からかってる?」
「昨日、自律訓練法の話をしたろ? あれだよ。質問に対する回答と活発化する脳機能がまるで一致しない――かと思えば、急に普通の人間になる。自由自在だよ。そういう意味では人間じゃないが、人間でもできるという意味では人間だ」
コツ、コツ、と瑪瑙の指が机を叩いた。視線はどことも知れぬ場所に固定され、組んだ足の先が揺れている。
「慶隆くん、キミの、一等調査官としての見解は?」
平凡維持機構における一等調査官の一等とは、特殊技能を持つという意味だ。瑪瑙の場合は彼女にしか扱えない
「第六感で、どう見る?」
「二等調査官と一緒にすんな」
慶隆は吐き捨てた。この世界に存在する事物・事象のうち、いわゆる超常現象と呼称される一群について、ほとんどの人間は既知の物理法則で説明できると無意識下で判定したものしか認識できないといわれている。
しかし、現実には既存物理法則を嘲笑うような事象――すなわち異色は無数に存在し、それらを認識できる人間は、研究観察の不足によるという代替説明を試みる者も含めて、全人類の内、一パーセントも存在しないと推計されている。
平凡維持機構では、それら異色を知覚できる素養がある者に、まず二等の評価を与えてリクルートし、さらに二等と一等の間に越境不可能な壁を仮定した。その壁こそが既知の常識では理解不可能な能力であり、換言すれば、一等調査官は自身もまた人ではなく異色なのである。
「……俺の感覚で言えば」
慶隆は苦虫を噛み潰したような顔でいった。
「どっからどう見ても人間なバケモンだよ」
通常の異色なら見た瞬間にそれと分かるが、ナギについては確信がもてない。
モニターの向こう、監視カメラが見つめる先で、椅子をつかった体幹トレーニングをしているようだが表情が人間のそれとは思えない。あまりにも平然と、淡々と、放っておけば何時間でもしていそうな異様さがある。
「――ああ、やっときた」
いって、加木屋が笑った。慶隆たちの画面に血液検査等の記録が共有された。
「見たまえ。どっからどう見てもA型の人間だ」
「遺伝子検査の結果はまだですが」
もし異界からやってきた生き物なら、最悪は鑑定不能と報告される。
監視カメラの映像では、特殊なバーピージャンプをするナギが映っている。腕立ての姿勢から手元に足を引き寄せる運動を一、二歩の助走として跳躍し、天井を叩いて着地と同時に腕立ての姿勢に戻る。天井高は三千二百ミリだ。真上に腕を伸ばした状態で二千三百ミリと仮定しても千ミリ――一メートルは飛んでいることになる。
「こんなに鍛えて、ナギくん、カロリー足りてるのかな?」
瑪瑙が感慨深げに呟いた。通常ならくだらない軽口と笑い飛ばすところだが、核心をついているような気配もあり、仮設調査室には形容し難い緊張が残った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます