指示

  *


 慶隆はマジックミラー越しにナギを睨みながら、加木屋に尋ねた。


「――それで、どうするつもりですか? 俺は収容室に送って管理するのが妥当だと思いますが」

 

 不貞腐れたような物言いに、加木屋はちらと一瞥をくれ、興味深げな眼差しでモニター手前のコンソールを操作する。映し出されたのはつい数分前に尋問室でなされた奇妙な提案である。


『さてと――ナギ』


 録音された帽子の男ハットマンの声がいう。


『すぐ迎えに行くといいたいが、オーディナリーが相手では準備がいる』

「はい」

 

 ナギが答えた。モニタに映る二人は、慶隆の存在はおろか加木屋や録画・録音についても気にする素振りすらない。


『そこで――ちょうどいい機会だ、準備が終わるまでオーディナリーの世話になるといい』


 すぐに慶隆が声を口を挟むが、加木屋の操作で彼の音声だけ切られている。


『いずれ教えようと思っていたことだが、我々が教えるよりナギ自身が見聞きするほうが早いだろうし、正確だ。オーディナリーのことだ、ナギのことを色々と調べたがるだろう。ナギはナギの目的を最優先に、興味があれば協力してやれ』

「――つまり、いままでどおり、ですね」

『そうだ』

「わかりました」

『うまくやれ』


 加木屋がコンソールに手を伸ばし、さらに先の映像を出した。


『加木屋博士。返事はもらえないようだが、聞いてのとおりだ。ナギのことを調べてみるといい。それと――ヘロド調査官では力不足だ。ナギにされるまえに、メノウ・アワノ調査官に担当させるといい。彼女なら、そう安々とはナギの逆鱗に触れないだろう』


 モニターには唾を飛ばして吠える慶隆と、眠そうな目をするナギが映っている。加木屋の手が、映像を先に進めた。


『――では、ナギ』

「はい」

『いずれまたかけ直す――か、もしくは、迎えに行く』

「わかりました。ごめんなさい。失敗しちゃって」

『次に気をつければいい。失敗は誰にでもあるからな』

「はい」

『では、また』

 

 映像の中で電話が切れ、ナギが慶隆、マジックミラーの順に頭をさげていった。


「だ、そうなので、よろしくお願いします」


 加木屋は楽しげに顔面を歪め、大きく仰け反るようにして背もたれを軋ませた。


「まさか帽子の男から頼まれてしまうとはねえ。罠かなあ。罠だと面白いなあ」

「面白がっている場合ですか。ここに置いておくだけで危険なのでは?」

「しかしなあ、面白いからなあ。申請を出してみるしかないよなあ」

「正気ですか!?」


 慶隆は詰め寄った。目をくれようともしない加木屋に業を煮やしたか正面に顔を突き出して迫る。


「いますぐにでも隔離すべきです。冷凍保存処置でもいい。迎えに来るっていうなら上等だ。俺たちで帽子の男も捕まえちまえばいいんです」

「俺たち? 戸呂戸へろど調査官には無理だね」


 息を切るようにして笑い、加木屋はモニタの前から慶隆を払い除けた。


「さっそく、あれらに申請を出そう。泡野あわの瑪瑙めのうくんも貸し出してもらわんとな。忙しくなるぞう!」


 加木屋がキャスターつきの椅子を背後に突き飛ばすようにして立ち上がった。

 慶隆は苦い顔をしていう。


「……また謹慎になりますよ?」

「謹慎はいいぞお? 部屋から出られん代りに監視が緩む。興味のあることだけをしたいなら、謹慎になるのが一番だ!」

 

 いって、大声で笑いながら加木屋が部屋の出口に向かい、振り向いた。


「一連のデータをアップロードしておいてくれたまえ。セキュリティクリアランスは――そうだな、一等調査官の上位まで。下手な編集をいれるんじゃないぞ? 怖いこわーい収蔵物たちの世話係にはなりたくないだろう?」

「俺は助手じゃありませんよ」

「知っているとも。じゃなきゃ今ごろ餌係だ!」


 扉が閉じた。慶隆は深い溜め息をつき、マジックミラー越しにナギを見た。瞼を閉じて静かな呼吸を繰り返している。モニタを脳波計に切り替えると、少し前にも見た形――深い睡眠を示していた。


 *


 尋問を終えたナギは、来たときと同じように拘束され、さらに二階層下へ移動させられた。エレベーターの鋼鉄の扉が開くと、今度は人通りのまったくない、無機質な廊下が伸びていた。天井の蛍光灯型LEDが立てる幽かな低周波音がはっきり聞き取れるほど静かで、萌芽で目にした無限に続く廊下にどこか似ていた。


 ナギは、その整然と扉が並ぶ廊下を進まされ、『41616』と番号が振られた部屋に入れられた。薄青い室内には鏡付きの洗面台が一台と壁に固定された机が一脚、奥に白いシーツのかけられたシングルベッドがあった。


 古い刑務所の独房に似ているが、壁に囲われた浴室もあり、浴槽のついたユニットバスもあった。ただし、どちらの部屋の天井にも丸型のカメラが埋めこれている。


 のぞき窓のついた厚さ三センチはあろうかという鉄扉が閉まり、いくつもの重々しい錠前の音が鳴り止むと、胸の高さに設けられた横長の細長い小窓が開き、月刊アインシュタインとアトランティスが乱暴に差し入れられた。


 ナギは床に落ちた雑誌を拾い、手で軽く埃を払って机に置いた。角に、そして辺に対して平行になるように、また交わらないように、調整する。椅子に手をかけ、机と背もたれの間の距離が机の縦幅の三分の一程度になるように少し引き、頷く。ベッドに腰を下ろして、配給されたスリッポンを綺麗に揃えて足元付近に並べ、ようやくナギは躰を横たえた。


「……まだ早いのかな?」


 見回しても時計は見当たらない。

 ナギは鼻で息をつき、薄い掛け布団を肩までかけて、両手を腹の上で組んだ。


「明日も、いい日になりますように」


 呟き、ナギはそっと瞼を閉じた。一秒とかからずに静かな寝息が聞こえ始めた。

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