電話

 ナギは瞬きながら顔をあげ、幽かに首を傾げた。


「つーる? ってなんですか?」

「T、O、O、LでTOOLだ。この平凡な世界にあってはいけない物だ」


 ナギは少し上目向いてしばらく静止し、あ、と目を見開いた。


「前にCDを見たことがありますね。一曲しか聞く時間なかったんですけど、僕は好きですよ。ちょっと暗い感じとか」

「俺が話してるのはこいつのことだよ!」


 慶隆が声を荒らげ、通信機器を指先につまみもった。


「これはな、九十年代にサークルの連中が世界中にバラ撒いたリクルーティング用の通信機器なんだ。これまでに百万台以上も作られ一万人ちかい死者を出してる。何年もかけて九十九パーセントを回収し、破壊した、最低最悪の兵器だ」

「……通信機器なのか兵器なのか、どっちなんですか?」


 ナギが問いただすと、慶隆はまたPHSをテーブルに叩きつけた。


「通信機器で、兵器といってもいいくらいの被害者を生み出したツールだ。お前はこれをどこで手に入れた」

「施設だったと思います」

「嘘だな。お前はこれをどこかで手に入れ、サークルに参加したんだ」

「そのサークルってなんですか?」

縁環えんかん救世きゅうせいかい――」

「僕は信者じゃないですよ」


 慶隆が強く鼻を鳴らし、すべて知っているといわんばかりの顔をして椅子にどっかりと腰を下ろした。


「救世会はサークルの下部組織だ。こいつを持ってて知らないとはいわせない。答えるんだ。お前は、あそこで、どんな役割を担っていたんだ?」

「簡単な事務と、実作業中の監視役ですね」

「監視役……人体実験用に人を集めて見張っていたわけだ。お前が」

「そういう噂はありましたね。ちょっと乱暴なところもあります。萌芽で働いていた研修生の方たちは――」

「シラを切るんじゃねえよ!」


 首に筋を浮き立たせ、慶隆が凄んだ


「救世会の看板を掲げてるのはデカいところだけでも日本国内で五十箇所以上。ほとんどがダミーなのはわかってる。だが見つけた! ……俺たちをナメるなよ?」

「なんだかすごく勘違いしてませんか?」

「証拠が出てきた。それに――あそこに潜ってた調査官が一人、まだ見つかっていない。お前がやったんじゃねえのか!?」


 そう詰められて、ナギが口を開きかけたときだった。

 

 ――ピリリリリ。

 

 と、PHSが鳴りだした。驚いた慶隆が飛び退るようにテーブルから離れた。明らかに動揺した様子でマジックミラーに顔を向ける。その間にナギが手を伸ばすと、さすがにこれには反応し、慶隆は拳銃を抜いた。


「待て!」

「でも、鳴ってますよ?」

「待――」

『――いいぞ』


 慶隆に代り、スピーカーがいった。


『準備ができた。戸呂戸へろど一等調査官、出てくれ』

「お、俺が――!?」

「怖いなら僕が取りますけど」


 ナギがいうと、慶隆は怯えた犬のように威嚇し、PHSの通話ボタンを押した。


『――ナギ。どうした? いまどこにいる?』


 帽子の男ハットマンだった。PHSから発せられる声が増幅され、スピーカーからも流れた。

 

「お前はどこのどいつだ?」


 誰よりも早く慶隆が答え、ナギは幽かに口の端を下げつつ息をついた。


『――お前は? ナギはそこにいるのか?』

「一等調査官の戸呂戸慶隆さんだそうです」


 ナギが答え、慶隆は勝手に話すなとばかりに目を怒らせた。しかし、ナギは視線を意に介さずに答える。


「ごめんなさい、途中でこの人たちに捕まっちゃいました」

『――そういうことか。来ないから心配していたんだ。無事か?』

「はい。ちょっと変なことに巻き込まれちゃいましたけど……」

「おい! 勝手に喋るなって――」


 とうとう慶隆が横から口を出した。間をおかず帽子の男がいった。


『黙れ、オーディナリー』


 意表をつかれたのか、慶隆がぐっと口を噤んだ。

 ナギは小首を傾げて尋ねる。


「おーでぃなりぃ?」

『そうだ』


 帽子の男がいった。


『人の進化を停滞させ、平凡を尊ぶ、世の中をつまらなくしている連中だ。オーディナリーは通称で、日本語の正式名称では平凡維持機構という』


 ナギがふんふんと頷きを繰り返す。


『――しかし、ヘロド調査官だったか? まったく、次から次に調査官を増やすものだ。それでは質が落ちるばかりだろう、加木屋博士』


 出された名前に慶隆が目を剥き、マジックミラーを見やった。

 帽子の男がしばらく待っていった。


『返事はなしか。――まあいい、ナギ、ヘロド調査官の評価を教えてくれ』

「慶隆さんですか?」


 ふいにナギに見つめられ、慶隆がやや仰け反りながら喉を動かす。


「歳は僕と同じか少し上で、ちょっとだけ鍛えていそうです。考えが浅く攻撃的ですけど、訓練不足というより慶隆さんの傾向だと思います。たぶん、怖がりなんです」

「てめえ――っ!」


 と、慶隆が声を荒らげかけると、帽子の男がすかさず言った。


『黙っていろ。殺すぞ?』

「ああ!? やってみろ! こいつにやらせるか!?」

『ナギに? それもいいが、もっと簡単な方法がある』

「あ!?」

『君の目の前にあるのは、電話のようだが電話じゃない』

「ツールだろうが! 知ってるんだよそのくらい!」


 声を大きくしていく慶隆だが、対照的に顔色は悪くなっていく。


『――いや、知らない。君のそれは知識だ。知るとはどういうことか教えてやる』


 そこまで言って、帽子の男は沈黙した。スピーカーを通じて幽かなノイズが聞こえてくる。慶隆が胡乱げに眉を寄せ、PHSに耳を向けた。そのとき。


『鍵よ、しまれ』


 帽子の男の低く重い声音が響き、慶隆は弾かれたように扉へと振り向いた。拍子に椅子にぶつかり、椅子の足が床と擦れて耳障りな擦過音を立てた。慶隆は足をもつれさせながら駆け出すと、ドアハンドルに取りつき、勢いよく押し下げた。


 扉は勢いそのままに開かれた。何の抵抗もなく。


 鍵はかかっていなかった。当然だ。そもそも、鍵がかかれば音がする。

 慶隆が困惑顔でドアハンドルから手を離す。扉がゆっくり、ゆっくりと閉まり、


『ナギのいうとおり、臆病だな』


 と、スピーカーを通じて帽子男の声が響いた。

 羞恥のせいか、憤怒のせいか、慶隆の顔は真っ赤になっていた。充血し、潤んだような瞳がナギを見やる。


 ナギは、俯き気味に肩を揺らしていた。

 

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