こんにちは

 ナギは男の奥足を狙って滑り込み、固く握った拳で股間を殴った。ガスマスク越しにみじかな悲鳴があった。ときに死に至ることすらある痛みへの反射は理性による制御もほとんど利かない。殴られた当人はもちろん残る三人も事態把握に必死で動けない。


 だが、ナギは動き続けた。男の左足首と首から下げるアサルトライフルのハンドガードに手をかけ、背後に回り込んだ。他の三人がようやく動きだした。ナギは男の膝裏を叩いて片膝をつかせ、ライフルから首、肩、胴と繋がる肩紐スリングを利用し右腕を絡め取る。そのまま背中を回しライフル自体で首をめにいった。


「ううぁっ!」


 と、くぐもった唸り声をあげ、男はライフルと首の間に左腕をねじ込んだ。ナギはかまわず肘を背中に沿わせてテコの力を使い、腕ごと締めた。続けて右足の膝裏を蹴り両膝をつかせる。残る三人の射線から身を隠しつつ、男のヒップホルスターから拳銃を奪い、銃口を後頭部に押し当てた。


「くそっ!」


 と、三人のうちの誰かが苛立ちを吐き捨てきた。すべてが遅すぎたのだ。ナギの視線は自身が握るライフルのハンドガードと拳銃を舐める。ライフルはM4カービン、拳銃はUSPだ。ナギの眉間の皺が深くなった。


「――こんにちは」


 ナギが男の肩越しに声をかけた。残る三人はM4に頬付けしながら射角を取ろうと散開を試みる――が、ナギがUSPのスライドを男のボディアーマーに引っ掛けコッキング――指先一つで撃てる状態にするのを見て、動きを止めた。


「所属はどちらですか?」


 ナギが問いかけると、正面の人間がマスク越しにいった。


「そっちは?」


 若い男の声。ほとんど子どもといってもいい。ナギと同じか、高く見積もっても二十歳に届くかどうか。


「その動き、同業者だろ?」

「違います」

 

 ナギは即答した。


「短期バイトです」


 正面の男の射撃姿勢が僅かに緩んだ。


「求人票を見て、応募して、二ヶ月くらい働いてました」

「ちょっと、ふざけてるの?」


 右方の人間がいった。こちらは若い女の声だった。やはり二十歳に届くかどうか。


「さっきまで仕事に出てて、忘れ物を取りに来たらここに入っちゃって」

「民間人の動きには思えない」


 正面の男がいった。


「映画を見て練習したんです」

「そんな言い訳で納得すると思ってるのか?」

「僕、物覚えはいいほうらしいですよ」

「……銃を捨てろ。そしたら外に連れて行ってやる」


 正面の男の言葉に、右方の女が驚いたように首を振り向けた。男は片手を広げて制止し、声帯マイクに触れた。


「民間人を名乗る存在を発見。高い戦闘能力を有するも攻撃反応は低い。日本語による意思疎通が可能――だが、内容は虚偽か、本当だとしたら素養はある」

「素養?」


 ナギが尋ねると、正面の男がやはり手を広げて制止した。


「――接触を試みる」

「接触?」

「――笛の音を聞いたか?」

「笛……えっと、あの高い音のやつですか?」


 右方の女が呆れたように銃口を下げた。


「嘘でしょ? そんなことある?」

「現に目の前にある」


 正面の男が言葉を引き取った。


「普通の人間には聞こえない音だ。隠蔽を暴くための笛で、警笛でもある」

「警笛――じゃあ、さっきのは違う?」

「ああ、違う。ここは音を反響させやすい構造で――」

「――あいつじゃない?」

「……あいつ?」


 ナギは盾にした男の背後から片目を覗かせた。


「すぐ後ろです。二十メートルもない」


 いい終えるのとほとんど同時に蛍光灯が激しく明滅した。なにも見通せない暗闇と無限の廊下が閃光のように瞬きを繰り返しふつと消える。一秒、二秒――唸るような低周波音とともに、ナギの前に廊下と動揺する三人が姿を表した。そして、また、


「なに?」


 三人の背後に、黒髪を腰まで垂らす、赤黒いワンピースのがいた。

 弾かれたように三人が振り返り銃を向ける。ナギは彼らに即応し、捕らえていた男を引き立たせ前に押し出す。


「撃て!」


 いうが早いか三人同時に引き金を切った。立たせた男も慌てて射線を確保する。四つの銃声が耳をつんざき一瞬で廊下を煙と悪臭で満たした。弾丸はすべてに当たっているのだろう、血飛沫ちしぶきとも肉片ともつかぬ物が炸裂するたびに散らばった。


 しかし、は立っていた。

 

 咄嗟とっさのことに、四人が積んできた訓練は機能しなかった。空になった弾倉マガジンが一斉にガツンと床を叩く。タクティカルベストから予備弾倉を抜きつつ正面の男がいった。


「後た――」


 声はそこで途切れた。手にしていた予備弾倉が床に落ち、四人は膝から崩れるようにその場に倒れた。


 心臓の鼓動に合わせ、四人の首から噴水のように鮮血が噴いた。


 ナギは見ていた。四人になにが起きたのか。

 が、腕と呼ぶべきであろう肉塊を、立ち籠めた煙を払うように振ったのだ。ただそれだけだ。それだけで、四人の首は生白い脛骨が見えるほど深く切り裂かれた。


 ナギは拳銃を両手で保持し、片膝をついた姿勢で、を見た。

 

 


 黒いワンピースのように見えたのはたしかに衣服ではあるが、上下が逆になったタクティカルスーツだ。明かりにさらされた腕は灰色の肌をしているのではなく、剥ぎ取った肌をつなぎ合わせて袖を作り、腕を通しているのだ。


 袖のフリルは、そのふらふらと揺れている細長いものは、肉だけを抜き取った指なのだ。何人分かを継いだがためにフリルのようになった。その下の本当の指先は金属質なぬめりを持っていた。


「こんにちは……?」


 ナギはにいった。

 は滑るように四人の足元に近づき、まず正面の男に手を伸ばした。人よりも長く二つも関節が多い指が足首を取り巻いたかと思うと、べりべりと皮を服ごと剥いでいく。不思議なことに出血は少なく、剥かれた側の赤い肉肌から滲み出ている程度だ。


 ナギは動かない。銃を下げ、見つめている。


 は四枚の服と頭髪がついた皮を、横向きに床に広げた。皮と皮をまたぐように指を広げ、滑らせていく。指の過ぎた後にプツリプツリと穴が穿たれ、黒い糸が――り合わせた髪の毛が繋いでいく。縫っているというべきなのだろう。


 四人分の皮を繋ぎの布に仕立てると、は濡れタオルを干すように振った。鉄臭く生暖かい風と血液の飛沫がナギに浴びせかけられた。


 ナギは目を擦りながら立ち上がった。赤く濁った視界でまばたきを繰り返す。


 は両手を横に広げ、その場でくるくると回っていた。ワンピースに見えた足元の模様が変わっている。頭の位置を互い違いに配した、衣服の黒と肌色のストライプ。下に向かって濃くなる肌色の下地に青褐色の静脈が網目を広げている。目玉の抜けた顔と頭髪が、大きな花柄のように四つ、立体感をもって散らばっていた。


 がピタリと回転を止めた。

 

 ナギはパチパチと目を瞬いて、いった。


「こんにちは」


 小さく首を傾げ、の足元から頭――奪ったであろう黒髪で覆われた突端までを見上げていった。


「凄いお洋服ですね。いつもご自分で作られるんですか?」


 は両手を広げ、くるり、くるりと回転し、蛍光灯の明滅とともに消えた。

 ナギはが立っていたところを見つめていた。

 廊下の少し先、そして後ろから足音がし、声があった。


「銃を捨てて両手をあげろ!」

 

 ナギは手にしていた銃を放り捨て、両手を頭の後ろで組んだ。

 彼の視線の先には、脱ぎ捨てられたであろう黒い衣服と灰色の肌で構成された古いスカートと、ごぼごぼと水っぽい息を吐く四つの人体があった。

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