墓穴

 ナギは地図を頼りに細い山道を外れた。積もった葉と柔らかな下草を踏み、Aやざわめく研修生を連れて行く。山肌の傾斜は緩やかだが土が崩れやすい。まばらな木々に手をつきながら十分ほど歩くと、かつて大木があっただろう開けた空間にでた。


「ここですかね?」


 ナギが振り向くと、Aは額に浮いた汗を手の甲で拭いながらいった。


「こんなとこに埋めたってバレるだろうに、なにを埋めるんだろな」

「死体じゃないんですか?」


 ナギはきょとんと目を瞬く。Aが顔をしかめ、背後を――ついてくる研修生たちを気にする素振りをみせながら答えた。


「さっきのは冗談だよ。俺も穴掘らされただけだ」

「そのときはどこでやったんです?」

「もっと上の枯れた沢筋だった。こんな尾根筋じゃ人が来そうなもんだけどな」

「不法投棄ですかね?」

「農業研修センターが、なにを捨てんだよ、なあ?」

 

 鼻を鳴らし、AがC-43番らに振り向いた。

 ナギは指示書を見ながら尋ねる。


「深さとか広さとか書いてないんですけど」

「俺のときもなかった。縦横三メーターで深さは……二メートルも掘ってねえな、頭が出てたし……特になんにも言われなかったよ」


 頷き、ナギはC-43番にいった。


「四時間でやれるだけやってみてください。まず表面を……五十センチくらい掘ってみて、周りから中央に向かって深く掘っていく感じだと思います」

「……ハイ」


 C-43番は不満げに、あるいは不安そうに眉を寄せたが、すぐに他の研修生たちに指示を伝え仕事に取り掛かった。落ち葉を払い、スコップの刃先で掘削範囲の線を引いて、刃を突き立てる。土が固いのか研修生の一人がスコップの足掛けを蹴って悪態をついた。ナギの手が腰の教育棒に伸び、C-43番が黙ってやれと叱責した。


「スコップの数が足りませんし、疲れてきたら交代してくださいね」


 そよ風が枝葉を揺らし、木漏れ日が煌めく。人の気配のせいか鳥の鳴き声は聞こえない。目的の判らない労働による疲労と精神の摩耗する気配だけが目立つが――それがC班だからだろう、穴はみるみる深くなる。とはいえ、


「雑誌を持ってくれば良かったかも」


 ナギは幽かに肩を落とした。Aが鼻を鳴らす。


「わかるわ。俺も同じこと思った」

「いつまでいるんです?」

「そう邪険にすんなって」

 

 Aは軽薄な笑みを浮かべつつ自らの肩を揉んだ。


「若いのお前だけだし、親睦を深めようや」

「そういうの教団の人が嫌がりそうですけど」

「お、信者なのか?」

「いえ、僕は違います」

? 誰かにいわれてここに?」

「色々あるんです」

「その色々を教えてくれってえ」


 馴れ馴れしく近寄るAに顔を向け、ナギは教育棒に手をかけた。Aは慌てて両手をあげた。


「おいおいおい! 俺まですんのか!?」


 研修生たちがクスクス笑いあった。一人だけ休憩を取っていなかったC-43番が手を止め、研修生のなかでは珍しい白い歯を見せた。


「Cさん、触られるの嫌いデス。デスよね?」

「警戒してるだけなので嫌いとは違います」


 研修生たちが声をあげて笑った。手は動いている。ナギも教育棒を抜こうとはしない――が、Aが声を張り上げた。


「おい! 仕事しろ仕事ぉ!」

 

 研修生たちが肩を竦め、口を閉ざした。

 ナギがAを見やると、彼はいった。


「代りに言ってやったんだよ」


 ニヤけ顔にため息をつき、ナギは研修生たちに目を配る。逃亡の予兆はない。Aを迷惑そうに見ているが、それは管轄外だ。穴を掘る音と荒い息づかいだけが響き、Aは帰ろうとしない――


 ――ピリリリリリ。


 と、薄ぺらい電子音が鳴った。研修生たちが手を止め、Aが目を怒らせた。


「おい! どいつだ! 携帯は禁止されてんだろうが!」


 研修生たちが顔を見合わせるなか、またピリリと携帯が鳴った。視線が、ナギのほうに集中する。また鳴った。ポケットからだ。


「僕みたいですね」


 どっと気配を弛緩させる研修生たち。振り上げた拳の下ろしどころを見失うA。ナギは平然とPHSとして渡された機器を手に取った。使うのも――鳴ること自体も初めてだ。ひとまず通話ボタンを押して耳に当てる。


『俺だ』


 帽子の男ハットマンだった。


「どうしました?」

『ナギのいっていた嫌な感じがする奴、手に五芒星の入れ墨があるか?』

「はい」


 ナギはAを一瞥する。彼は視線に気づき、わざとらしく顎を突き出した。

 帽子の男がいった。


『そいつは裏切り者だ。スパイ、間諜、潜入捜査官――呼び方はなんでもいいが、ナギは家に逃げて隠れていろ。すぐ迎えに行く』

「いまからですか?」

『なにか問題が?』

「少し」


 答えるのとほとんど同時にAが吠えた。


「いつまで話してんだよ!」


 ナギは手のひらを見せた。


『――近くにいるのか?』

「はい。だから、」

『殺せ。後始末はしなくてもいい。殺して家に隠れていろ。急げ。時間がない。俺たちもできるだけ早く向かう』

「わかりました」


 ナギは電話を切って見つめる。


「終わったのか?」


 Aがいった。

 ナギは電話を見つめ続けている。


「おい?」

「話したいそうです」


 と、ナギはPHSを振った。Aが眉をしかめる。


「どうぞ」


 ナギはPHSをほんの僅か差し出した。Aが苛立たしげに歩み寄り、引ったくるようにして電話を取った。


「もしもしぃ!? ……あ? なんだこれ」


 AがPHSに目を落とした瞬間、ナギは後頭部めがけて教育棒を振り抜いた。頭骨の砕ける感触があった。Aは携帯を握ったまま掘りたての穴に倒れ落ちた。

 

 研修生の悲鳴はなかった。手で口を塞ぐか、歯を食いしばるか、喉に筋を浮かせて耐えていた。


「四十三番さん」

「ヒィ!」

 

 と、C-43番が悲鳴をあげた。スコップが手を離れがらんと鳴った。

 ナギは微笑みながらいう。


「携帯、取ってもらえます?」

「ハ、ハイ!」


 C-43番は大慌てで硬直したAの指を引き剥がし、震える手でナギにPHSを差し出した。ナギはそれを受け取ると、ポケットに入れ、何事もなかったようにいった。


「せっかくですし、埋めちゃってもらえます? その後は好きにしてくださって構いませんので」

「す、好きにテ……」

「逃げるなり、残るなり、自由ですよ」

 

 いって、背を向けかけて、ふとナギは振り向いた。


「僕のことは話しちゃっても大丈夫ですから。でも、僕はみなさんのことは言わないようにしますので、そっちは安心してください」


 C-43番は全身をガタガタと震わせながら、タガログ語らしき言葉でなにかを呟いていた。声も小さく意味はとれない。

 ナギは研修生を見回し、ぺこりと頭を下げた。

 

「いままでありがとうございました。さようなら」


 いって、ナギは教育棒を吊るしたベルトを穴に――Aの背中に放り、猛然と駆け出した。まるで拳や弾丸を躱すように木々を避けて駆け抜け、道に出た瞬間に土埃を立てながら足を止める。


「雑誌」


 ナギは思い出したように呟いた。両手を腰にうなる。ポケットの上からPHSを握り、躰ごと曲げるようにして首を捻り、戻り、強く鼻息をついた。


「大丈夫。きっと」


 家までは道を無視したほうが早い。

 だが、ナギの足は道を進んだ。

 どこか遠くで、犬笛に似た、目眩めまいびそうな高い笛の音が鳴った。

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